臆病者の戦い方-5
「すげぇ……何がすげぇって、ここまで全然モンスターに遭遇しないあいつの悪運がすげぇ」
かれこれ十分くらいは走り続けているだろうか? 息切れしないように抑えて走ってはいるが、それでもレベル2以下の奴には負けない速度で走っている自信がある。
なのに、俺はバーニャに追いつけないでいた。
「……なんであいつあんなに走れるんだ? 俺がもう……限界に近いぞ」
「精霊術式を使って身体を少しだけ浮かせているんです。さっき風の刃で木を切り倒した力の応用ですよ。空を飛ぶだけの力はさすがにありませんが」
「へぇ~精霊術式は便利だねぇ……で、お前もそれを使っていると?」
「えへぇ~そういうことですねぇ!」
苦しそうに走る俺とは逆に、爽やかな笑みを浮かべるメイプルさん。
途中からなんか動きが軽やかになったからおかしいと思っていたんですよ。ずるい。
「それ……俺の身体も軽くできたりする?」
「できますけど……精霊さんの力は使える量が限られています。使用者である私も凄く疲れますし……いざという時のために力は温存しておきたいですかね。何より私が疲れます」
「二回も繰り返して言うほど嫌なのはわかった」
つまり、てめえに割く力はねえから自力で走れと言いたいのだろう。
メイプルの余裕の表情が少しムカつくが、本当のことっぽいので俺は諦めて前を向く。
恐らくは、緊急時に精霊術式を使えない事態を避けさせるため、ターゴンがいざという時にしか力を使わないように教えたのだろう。正しい判断だと思う。
それにそういうことなら、ここまで出し惜しみしていたのにも納得だ。
実際、ここに来る途中も精霊術式に頼らず、ヒイヒイ言いながら歩いていたわけだから。
バーニャも、誰かが襲われているという緊急事態だからこそ、精霊術式を使い始めたのだろう。
言いつけをちゃんと守っているあたり、二人とも、根は真面目で優しいのかもしれない。
俺には全然優しくないけど。
「ところでぇ~……ずっと走ってますけど、こっちの方角で合ってるんですかねぇ?」
「さあ? さすがに正確な場所はわかってないだろうな。俺だってわからねえし」
悲鳴が聞こえた先は今走っている方角で合っているとは思うが、確証はない。
このまま走り続けて悲鳴を上げた人物がいなかったら、無駄にピンチな状況に自分たちを追い込む結果となってしまう。そうなると、バーニャの責任は重い。
もうここまで来たら、悲鳴を上げた人物にさっさと遭遇して、モンスターに出くわすことなく帰れることを祈るしかないだろう。
「それにしても…………モンスターと遭遇しないな」
「モンスターさんも寝ているんじゃないですか?」
「森に生息するモンスターは確かに夜行性が多いけど、それでも近付かれたら起きるはずだ」
森だからといって、モンスターがうじゃうじゃいるわけでもないが、未だに遭遇したモンスターが一体だけというのは妙だった。これだけ騒がしく走っているのだ、仮にモンスターが寝ていたとしても、起きて襲いかかってきても不思議ではない。……まあ、襲われたら困るけど。
「もしかしたら…………大狩猟の時期が近付いているからかもしれませんね」
「大狩猟? なんだそりゃ?」
「あ、そっか、ユンケルさんは寂れたド田舎に住んでたから知りませんよね」
「確かに知らないけど、俺の故郷を寂れたド田舎とか言うの、やめてくれます?」
実際、寂れたド田舎なのは間違いないが。いいとこもいっぱいあるんだぜ? 例えば、シルみたいな可愛い女の子がいたりだな……あ、シルは今王都にいるからあれだ、寂れてるわ、あの村。
「で、なんなんだよ、大狩猟って?」
「数年に一度、モンスターの大群が王都に攻めてくるんです。それを皆、大狩猟って呼んでます」
「なんで襲われるのに大狩猟って名前なんだよ?」
「さあ~? モンスターを倒せば魔素も手に入りますし、王国から倒した数に応じて謝礼金も支払われるので、災害としてではなく、狩りの時間って考える人が多かったんじゃないですかねぇ?」
本当にその考え方なら、戦うことを知らない者からすれば大迷惑だな。
戦えない者からすれば、ただの災害でしかないんだから。
「その大狩猟が始まる予兆として、森の中のモンスターがいなくなってるかも……ってことか?」
「ですです、大狩猟は一度に多くのモンスターが攻めてきますから。今頃どこかで集結し始めているんじゃないですかね」
「いったいどういう理屈なんだ、それ……?」
モンスターはそれぞれで生態が違うため、同じ種族でもない限りは共に行動しない。
俺の村の周辺のモンスターもそうだった。
なのに、種族の垣根をこえて一堂に集まり、人里を襲うなんて異様としか言いようがない。
「王都にいる人間には力を合わせなければ勝てない、ってモンスターも理解してんのかもな」
「モンスターも賢いってことですねぇ、喋るモンスターも世の中にはいるらしいですし」
「でも今は好都合だ。このままモンスターと遭遇しないことを祈ろうぜ」
いくらモンスターがこの森から少なくなっているとはいえ、完全にいなくなったわけではないはずだ。じゃないとさっき、アサシンカメレオンに襲われていない。
「ユンケルさん……あれ!」
「噂をすれば早速だ」
背後から草木を強引に掻き分けているような音が鳴り響き、俺とメイプルは一瞬だけ振り返る。
「ブゴォオオオオオオオ!」
そこには、猪とよく似てはいるが、通常の猪の三倍のサイズ、槍よりも長い牙と、広範囲を見渡せる血のように赤い目が四つもあるモンスター、フェロシティーファンゴが迫ってきていた。
「ど、どうしますか? 私の精霊術式では足止めはできても倒しきれませんよ!」
「追われながら逃げてたら、挟み撃ちに遭った時に死ぬ。今のうちに俺がなんとかするよ」
俺はすぐには仕掛けず、走りながらフェロシティーファンゴが俺の背後に近づくのを待つ。足の速さは圧倒的にフェロシティーファンゴの方が上のため、タイミングは難しいが、充分に距離を詰められた頃合いを見計らい、俺は踵を返した。
フェロシティーファンゴの突進に当たらないように跳び上がり、宙で胴体を捻ったあと、そのまま背中へとしがみつく。こうなればもう、俺の勝ちだ。
フェロシティーファンゴはパワーこそあるが、攻撃手段は多くない。
背後さえ奪ってしまえば、こいつにできることは俺を振り落とすためにもがくことだけだ。
「悪いが、苦しんで死ね。相手してられないんだ」
無論、振り落とされるまでこいつの背中に乗っているつもりもない。
俺は普段使っている短剣とは違う、刀身に厚みのないナイフを取り出して素早く一回だけ斬りつけたあと、すぐにフェロシティーファンゴから飛び降りる。
「ブゴ…………!」
「じゃあな」
飛び降りた俺を殺そうと、フェロシティーファンゴは踵を返してメイプルに向けていた身体を俺へと向けた。俺はその瞬間を狙い、再び走りだしてフェロシティーファンゴを抜き去り、メイプルの下へと急ぐ。
これでフェロシティーファンゴは俺たちを追うために、もう一度振り向き直す必要が出てくる。
「凄い身のこなしですね、本当にレベル0ですか?」
「これくらいやれないと生き残れなかったんだよ。鬼のような幼馴染についていくにはな」
「ほぇー……それで、今何をしたんですか? まだ追いかけてきてますけど」
「見てたらわかる」
さっきの勢いはなくなり、フェロシティーファンゴと俺たちとの距離は少しずつ離れていく。
「ブ…………ブゴ、ブゴォォ…………」
フェロシティーファンゴは次第に息苦しそうに呼吸を乱し、遂には立ち止まった。
「な、何をしたんですか?」
「あの程度のモンスターなら普通に戦っても倒せるけど、時間が掛かる。今はバーニャを見失うわけにはいかないだろ? だから毒を使った」
俺が使ったのは即効性のある毒ナイフだった。
刃が薄いため、脆くて壊れやすいうえ、塗ってある毒が一回でなくなるのが欠点だが、その代わりに切れ味が良く、レベル0の俺でも敵の体内に容易に毒を仕込める。
「あのサイズのモンスターなら、ナイフに塗った毒で充分殺せるはずだ。すぐに殺してやれないのはちょっと可哀そうだけど……仕方がない」
「はぇーよくもまあ、あんな手際よく毒を敵に仕込めますねぇ」
「背後に回れば大抵のモンスターは攻撃の手段を失うからな。モンスターの背後に回るための訓練を、死ぬほど続けてきたおかげだ」
「なるほど、臆病者なりの戦い方……ってことですね」
「そういうこと」