第82話 恩を着せる
こちらにこれといった被害が出る事なく、無事にグリフォンを討伐したハルと千奈津。少し離れた場所から様子を窺っていた俺達が近付こうとする頃には、冒険者や護衛から謝辞の嵐を受けていた。ハルはぎこちなく苦笑いを浮かべて困った感じでいたが、逆に千奈津は慣れた様子で対応している。流石は相談所の所長なだけはあるな。
「あ、師匠! こちらの方々が、是非ともお礼をしたいとの事です」
そうか、良い心掛けだ。ボランティアとタダ働きは俺が1番嫌いな言葉だからな。是非とも誠意を尽くして頂きたい。さあ、謝礼を出せ。さあさあ!
「アンタらがこの娘さん達のお師匠さんかい? いやー、本当に助かった! 恩に着るよ!」
「いえいえ、当然の事をさせたまでですよ。それよりも、救援が遅れてしまい申し訳なかった。我々がもう少し早く到着していれば、そちらの3人も犠牲になる事には……」
「何言ってんだよ! 俺達はアンタらに命を助けてもらったんだぜ? それだけで十分過ぎるくれぇだ!」
「その言葉だけで救われる思いです…… 仲間の方が傷ついているようですね。千奈津、彼の傷を治してやってくれ」
「……え? あ、はいっ!」
とは言ったものの、そんな下衆な本心を表に出す必要はない。人との関わりは出会い頭の数秒でイメージが決まるという。手始めにこの冒険者達、護衛達からの印象を高め、途中の会話で口走っていたご婦人とやらとの良き橋渡し役となってもらおう。報酬金はもとより、権力者と友好関係を築ければそれ以上に好ましい結果に繋がる事も少なくないのだ。
あと千奈津、「デリスさん、頭でも打ったのかな?」みたいな顔で俺を見るんじゃない。変わり身に慣れてしまったネルやリリィのように軽くスルーしなさい。
「う、うう……」
「ヒールグレア」
千奈津が光魔法最高位に属する『ヒールグレア』を詠唱すると、重傷を負った冒険者の傷口が輝き出し、見る見るうちに塞がっていった。荒かった息遣いも次第に安らかなものとなり、顔色も良くなっている。
「おおー…… お嬢ちゃん、剣士なのにそんな上位魔法を使えるのかい?」
「いえ、私はこれでも僧侶なんです。はい、治療完了。あとは十分な睡眠を取れば大丈夫ですよ」
「何から何まですまねぇ。ハンスは昔からの仲間でな、この恩は絶対に返すぜ」
「気になさらないでください。困っている人がいたら助けるものですから(ちらっ)」
これで良いのかというアイコンタクトを取る千奈津。オーケー、頭の良い子は察しも良くて助かる。千奈津が順調に好感度を高めている間に、馬車の方も助けるとしようかね。
「ぐ、ぐぐぐっ……!」
「開きそうか?」
「駄目だ、思ったよりも損傷が酷い」
「くっ…… 奥方様、もう少々ご辛抱頂けますよう!」
横転してしまった馬車は扉の部分も壊れてしまったようで、今は生き残った護衛達が力任せにどうにか抉じ開けようとしているところだった。ハル、出番だぞ。と目配せ。俺の意図を受け取ったハルは力強く頷き、馬車へと駆けて行った。
「扉を開けるの、お手伝いしましょうか?」
「君は、先ほどの…… すまないが、協力願えるか?」
「お任せください!」
横転した馬車の側面部に乗り、ハルは両手で扉の取っ手を掴む。そこから勢いよく扉を開ける動作をすると、さて、どうなるか?
―――バキン!
「わわっ!」
扉が金具ごと抜け、必要以上に力み過ぎたハルは勢い余って尻もちをついてしまう。その半分ほどの力で十分だったな。
「あいたたた…… すみません、思ってたよりも脆くって」
「い、いや、それは良いんだけどさ。君が持ってるその扉、私達は3人掛かりで壊そうとしていた筈なんだけどなぁ……」
「あと少しで壊れる寸前だったんですよ、きっと!」
「……そんな感触だったかな?」
「いや、俺に聞かれても…… あっ! それよりも奥方様だっ! 奥方様、ご無事ですかっ!?」
ハルの馬鹿力に一瞬気を取られてしまった護衛達。それでも直ぐにご婦人を思出し、救助に向かうのであった。ハルと同様に馬車側面部に乗り、開口部から手を差し出す。
「さ、手を」
「ええ、ありがとう。皆、無事でしたか?」
「グラッツら3名は、残念ながらグリフォンに……」
「そう、ですか……」
馬車から差し出された手に引っ張られて、中から煌びやかな衣装を羽織ったマダムが現れた。彼女が冒険者達のいう御婦人なのだろう。
「ですが、こちらの方々がグリフォンを退治してくださりました。刹那の出来事で私は驚いてばかりでしたが、これだけは分かります。彼らがいなければ、グリフォンの撃退は成し得なかったでしょう」
「まあ! それほどまでのお力を?」
「恥ずかしながら、俺ら雇われ冒険者じゃ太刀打ちできなかったのは事実だぜ?」
「何を仰りますか。皆の盾となって貴方達が体を張ったからこそ、我々も何とか間に合ったのです。私達はただ、ここを通りかかっただけですよ」
「………」
今度はネルが微妙な顔をし始めた。何だ? お前にとっては別に珍しくもないだろうに――― あー、いやさ、確かに歳の割に美人ではあるけど相手は10歳以上年上なんだから、そこは安心してもらいたい。流石に範囲外だって。
「謙虚な方なのですね…… 申し遅れました。私、メイ・バッテンと申します。もう少し東へ渡った土地を統べる、オルト・バッテンの妻でございます」
「オルト・バッテンと言いますと、もしや学院周辺の領主である、あの?」
「ええ、そのオルトです。つきましては是非ともお礼をしたく、屋敷までご同行願えれば大変喜ばしいのですが……」
このタイミングでオルト公の屋敷か。一応、知らぬ存ぜぬでギベオン遺跡に向かったであろうご令嬢よりも早く、噂のゴーレムを倒してしまう予定なんだが…… 変にギベオン遺跡に近寄るなとか釘を刺されては面倒だな。しかし、報酬金を貰わないのも馬鹿らしい。メイ夫人には可能な限り恩も売っておきたい。うーむ……
「あら? あの、もしやと思いますが、貴女は魔法騎士団の―――」
ネルに視線を向けた夫人がそう言いかけた瞬間、瞬く間に距離を詰めたネルが夫人の口に人差し指を当てた。
「今、プライベート中なの。できれば、あまり私の事には触れないでもらえると嬉しいわ。部下にも、オルト公にも」
「あっ、なるほど……! 分かりましたわ。この件は夫にも内密にしておきます」
何だろうな、夫人が俺を物凄いチラ見してるんだけど。だけど、これなら都合が良いかもしれない。国内における軍の実質トップにいるネルのお願いともなれば、如何にメイ夫人と言えども無視する事はできない。これならオルト公に出会う事なく用件を済ませられる。
「ですが、助けて頂いた礼はさせてください。幸い、夫は本日一杯は出掛けている予定ですので」
ほら、こんな風に。それから俺達は夫人の臨時護衛兼客人として帰途に同行する事になり、街道の安全な道で目的地へと向かうのであった。