第80話 解消法
―――修行15日目。
アーデルハイト魔法学院へ向けての出発日、早朝。ネル達との集合時間まで、あと少しだけの余裕がある。やはり早起きするとこういう時間に余裕ができる分、得をした気分になれるな。さて、この空き時間をどうしたものか。
「うー、ご主人様ぁ、おはようございますぅ……」
俺とハルが朝食を終える頃になって、俺の食っている横で寝ていたリリィが目を覚ました。おいおい、今頃起床かよ。メイドとしての矜持は格好だけで、それ以外はどうも駄目駄目なんだよな。全く、誰に似たのやら。昨日の俺に託されたのもあるし、このままただ飯食らいになられても困る。さて、どうしたものか。
「―――おはようさん。ああ、そうだ。リリィ、悪いんだが朝飯を食ったら一仕事頼みたい事があるんだが」
「へ……? し、仕事! ご主人様から仕事を任せてもらえるなんて、夢みたいです! 料理ですか? お洗濯ですかっ!?」
「いいや、それよりも大切な事なんだ。我が家のメイドのトップに立つリリィにしか頼めない、とても大事な事だ」
「ま、まさか、遂に……! ゴクリ」
「お願いできるなら、メイド服に着替えて朝飯食って、外に来てくれ。ハル、お前も出発の準備ができたら一緒に来い」
「私もですか? 分かりました!」
「メ、メイド服で、それも野外で、しかもハルちゃんと一緒に……!? 過激、ご主人様ったら予想の斜め上を行くほど過激だった……!」
敢えてもうツッコミは入れないが、たぶんリリィが妄想しているような事は起こらない。なぜならば、もっと過激な事が起こるからだ。我ながら、何て良い案を思い付いたのだろうか。クックック……
「あっ! リリィ先輩、駄目ですよ。まだピーマンが残ってます」
「ハルちゃん。今まで黙っていたけど、悪魔はピーマンを食べると死んでしまうの……」
「ハル、悪魔は雑食だから気にせず食べさせろ。そいつ、好き嫌いが多いんだよ」
「了解です! 私、弟達にもお残しさせた事がないので、ちょっと自信がありますよ。安心してください。美味しく調理しましたから。ほーら、絶対に食べられます! ゴブ男君、ちょっと押さえて」
「ゴブ!」
「や、やめてぇー!」
クックック。そうだ、農民の皆さんに感謝しながらゆっくりと咀嚼するといい。噛めば噛むほど嫌いが好きに転じ、お前の野菜嫌いも解消されるであろう。クックック……
「い、いやぁーーー!」
1人の乙女の叫び声が、山の中で木霊した。
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リリィの野菜嫌いが平和的に解消されたところで、俺達は庭に集合した。例の仕事をさせる為だ。
「よし、準備は良いか?」
「私は準備万端ですっ!」
「わ、私も大丈夫です…… ぽっ」
俺が2人に声を掛けると、オレンジ色のローブを纏ったハルがビシッと敬礼し、メイド姿のリリィは赤面しながら頷いた。2人とも、やる気十分である。
「オーケー。そうしたら、2人にはちょっと模擬戦をやってもらおうかな? お互いに目などの急所への攻撃はなし、あくまでも訓練の範囲内での戦闘に止める事。分かったか?」
「はい!」
「は、はい…… って、え? あれっ? も、模擬戦?」
「リリィ先輩。私、胸を借りるつもりで頑張りますので、よろしくお願いしますねっ!」
「うん、こちらこそよろしくねって違ーーーう!」
突然、リリィが大きな叫び声を上げ始めた。何だよ、情緒不安定か?
「ご主人様、これはどういう事ですか!?」
「その台詞に酷いデジャブを感じるんだが、何がだよ?」
「何がも桃色な展開もあったもんじゃないですよ! ハルちゃんと模擬戦って、一体どうしてそうなるんですかっ!? 全くもって展開について行けません!」
「落ち着け、リリィ。全てはお前の為であり、ハルの為であると言っておこう」
「私と、ハルちゃんの為……?」
そう、俺は考えたのだ。ハルとリリィ、そして俺が、皆が幸せになれる方法をっ!
「まず大前提から説明しておこうか。リリィの飽くなき欲求の探求心、これを解決させる場合、その過程で俺が死ぬ可能性が大いにある。これは絶対に避けなければならない。分かるな?」
「いえ、ご主人様なら大丈夫だとリリィは確信しております」
そこは確信しないでほしい。というか、特に理由のないその自信はなんなんだ? 俺だって死ぬ時はちゃんと死ぬんだぞ?
「……そこで、俺は考えたんだ。お前の望みを叶えるのが無理なら、その欲求を別の場所にぶつけさせれば良いのだと!」
「ま、まさか―――」
「戦いとは良いものだ。拳を交える事で相手と通じ合い、互いを高め合う高尚な儀式。それまで己が歩んだ人生そのものをこの瞬間にぶつけ、更なる段階へと昇華させる…… これ以上の求愛行為はないと言っても過言ではないっ!」
「―――求愛、行為……!」
よし、食い付いた! 単純で良かった!
「そして、古くからメイドとは衣食住を支えると同時に、主の護衛として戦ってきた歴史がある。奇しくもリリィ、お前は我が家のメイド長であり、後輩であるハルがいる。改めてお前の主として命令しよう。リリィ! メイドの長を務める者としてハルと戦い、己を高め合えっ!」
「はい、はいっ! 謹んでお受け致しますっ!」
感極まったのか、リリィは涙目鼻声になりながら了承してくれた。そこまで感動されてしまうと、何だか騙しているみたいで心が痛む。だが、別に騙してはいない。これはリリィに必要な処理なんだ。ハルの如く戦いに熱中するとまではいかなくとも、スポーツの感覚で別の事柄に熱中してもらえれば、多少なりとも欲求不満も解消されるのではないかと考えたのだ。
この案の良いところは、リリィだけに収まらない。その相手をするハルにとっても、俺とはまた別のタイプの練習相手が増えるメリットができる。延いては俺も苦悩から解放され、皆ハッピー。ああ、何て完璧な策なんだ。自分で自分が怖くなる。
「ハルちゃん、先輩として胸を貸してあげる。思う存分掛かって来なさい」
「はいっ! よろしくお願いします!」
「お前ら、ルールはちゃんと守れよー」
さて、ここで問題となるのが、果たしてリリィがハルの模擬戦の相手として適しているのか? なのだが、それについてリリィは申し分ない相手といえるだろう。
「行きますっ!」
「来なさいっ!」
ハルが『グラヴァス』を唱える。リリィを含むフィールド全体に重力を与え、動きを制限させたところで走り出す。魔法の発動から駆けるまでがほぼ同時、普段の鍛錬の賜物だ。小細工なしに一直線、風となってハルはリリィに飛び掛かった。
「……あれ?」
「ハルちゃん、ちょっと攻撃が素直過ぎると思うよ?」
気が付けば、ハルはリリィによって地面に組伏せられていた。この前ゴブ男を相手に寝技をかけていた、あれと逆の状態だ。関節をぎっちりと決められている。素の能力差に加え、あの状況下。いくらハルと言えど、ここからの逆転はあり得ない。まず、なぜ自分が地面に転がっているのか分かっていないようだし。
「勝負あり。リリィ、次はもう少し手加減してやれな。ハルの鍛錬にならない」
「は、はいっ! 承知しました! ううっ、嬉しい……!」
「ハル、リリィはこんなんでも、俺が使役するモンスターだぞ? ゴブ男よりも遥かに格上だと思って、次からは遠慮せず、ネルの時みたいに鉄球も使え」
「は、はいっ! リリィ先輩、ありがとうございましたっ!」
「ううん、こちらこそありがとう、ハルちゃん……! 私、生き甲斐ができた……!」
リリィは寝技のエキスパートであり、大八魔の末席に連なる大悪魔だ。リリィを倒せたら、それこそ大抵の魔王は倒せる事になる。しかしハルならば、俺の愛弟子であれば、日常的に大八魔と実戦を積む事で不可能を可能にする。効率的で有効的な鍛錬の運用、実に素晴らしい。