第79話 巨悪の猛威
ネルと千奈津に明日の出発を告げた俺達は自宅に帰る。いつものようにハルと鍛錬をし、いつものようにハルと飯を食い、いつものようにハルと就寝する。
「おやすみなさーい」
「はい、おやすみ。明日は走るぞー」
「望むところです! 朝のランニングも欠かしません!」
ああ、これぞ日常って感じだ。平和主義者な俺には、こんなまったりとした生活が合っている。さ、早寝早起き、明日も頑張るぞーっと。
「ご主人様、これはどういう事ですか!?」
ベッドで横になり、目を瞑ろうとした寸前の視界にリリィが現れた。枕側から出てきたので上下逆、そして近い。そして格好もメイド服ではなく、少々アレな格好になっている。一応リリィにもお小遣いは渡しているのだが、全部そういうのに注ぎ込んでんじゃないだろうな……
「さっきまで静かだったのに、急にどうしたんだよ?」
「ふわぁー…… どうしたんですかぁー……?」
半分寝ていたハルも目覚めてしまった。一応、この駄メイドであるリリィも家に連れ帰っている。ハルと一悶着あるかと身構えていたのだが、飯時も風呂時も何もなかったので就寝時はすっかり油断していた。しかし、なぜこのタイミングなんだ……
「どうもこうもないですよ! どうしてあれだけ誘惑した私の誘いは断って、後輩のハルちゃんをベッドに招き入れてるんですかぁ!? 差別だぁ!」
「それは違うぞ、リリィ。差別じゃなくて区別だ。ハルとのこれに淫らな意味はなく、全ては鍛錬に直結する。一方でお前の誘いは淫らな目的しかない。如何わしいに始まり、如何わしいに終わる。それがお前だ」
「ひ、酷いっ! 1から100まで大体合ってますけど、そこまで言わなくてもいいじゃないですかっ! これはサキュバスの
そこまで合っていれば完璧にそれ目的だろ。ちなみにサキュバスとそんな事をした男は、色々な理由で結構な確率で枯れ、最悪は死に至る。詰まりは、こいつは俺に死ねと言っているようなものなのだ。駄メイドどころか死を運ぶ暗殺者である。特にリリィは特別製のサキュバスなだけに、その威力は絶大。俺はまだ死にとうない。
「確かにハルちゃんは可愛いですし、料理は美味しい、炊事洗濯は完璧、妹にしたいの全てにおいて私を凌駕するメイドです。先輩としての立つ瀬は微塵もありません。ですが、ですが! これだけは負けない自信があるんです! それが―――」
「ストップ、それ以上はいけない」
危ない危ない。リリィは周りに人がいないとここぞとばかりに、平気でバキューンな事を口走るからな。ハルの教育上よろしくないし、千奈津がいたら赤面ものだ。ネルがいようものなら滅せられる。
「ううっ、ネルに言い付けてやる……!」
「ネルの許しは既に貰ってるぞ」
「馬鹿なっ!?」
「何度も言うけどな、これは快眠スキルを効率良く上げる為の処置だ。それ以上の意味はない。早く寝ろ。さっさと寝ろ。夢の中はお前の世界だ」
「そうですねぇー…… 人肌が温かくて、気持ち良く、寝られ…… くぅ……」
「気持ち良く、寝られ……!? ゴクリ」
意味深に唾飲み込むんじゃねーよ。うーん、変なスイッチが入らなければ、ここまで面倒な奴でもないんだが。やはり種族的に、今の時間が1番冴えるんだろうか?
「そもそもですね、私の寝床が用意されていないんですよ! そりゃご主人様と同じベッドで寝るしかないでしょ! うん、それっきゃない!」
「居間のソファをベッド代わりに貸してやっただろ? 何なら、ハルの部屋のベッドを使っていいぞ?」
「……サキュバスは寂しいと死んじゃう生き物なんです」
「安心しろ、亡骸は回収してやるから。それじゃ、おやすみ」
「え? ちょ、ちょっと? 本当に何もせず寝るんですか? うわ、信じられない……」
だまらっしゃい。間違って手を出したものなら、恐妻家の俺に命はない。こうしてハルに添い寝してやってる事自体が奇跡に等しいんだ。その状況下でリリィを布団に入れたら、絶対に誤解どころでは済まないからな。誰がこんな見えている地雷を踏むというのか。
「こーのーへーたーれー」
世界を揺るがす殲姫様の足音を聞けば、誰だってへたれるわ。俺はまだ、この国を亡ぼすつもりはないのだ。
ちなみにサモン系のモンスター召喚は、契約維持の為の魔力を定期的に与えなければならない。が、こいつの場合は勝手にどこかから奪ってくるので、その必要もない。方法は簡単だ。サキュバスとは夢魔であり、人の夢に入り込む能力を有している。夢の中とは無防備なもので、余程の屈強な精神の持ち主でもない限りは好き放題にされる。魔力も奪い放題だ。夢を弄った一種の幻のようなものなので、現実では何もされていない分、この方法なら死ぬ確率も殆どないのだ。加害者のサキュバスは全く満たされないが、夢を好き放題にされた当人は現実に限りなく近い感覚を覚えてしまう。よって夢から覚めた後も、その夢が幻だったのか現実だったのか、全く判別できないそうだ。
「さーびーしーいー」
このサキュバス特有の力が実に有能で、適切に扱えば無防備となった夢の中で情報を吐露させたり、人には言えない弱みを握ったりと、本当に恐ろしいまでの効力を発揮してくれる。俺がリリィに与えている主な任務とは正にそれなのだが―――
「ごーほーうーびーくーれー」
だから死ぬっつの。リリィが寝そうにないので、魔法を強めに撃って強制的に眠らせる。居間のソファに移動させて、毛布を掛けてやれば…… はい、完成!
「ふへへ…… ご主人様、遂にその気になって……」
ついでにリフレッシュを多めに詠唱して落ち着かせる。リフレッシュリフレッシュ――― しかし、少々不味いな。リリィは変に頑固なところがあるから、夢で魔力は集めようとも、俺以外を相手に欲求を満たそうとはしてくれない。理性のあるうちはいいけど、そのうちタガが外れて暴走しないとも言い切れない。久しぶりに会った反動だと思いたいけど、それはあくまで希望的観測だ。かと言って俺はまだ死にたくない。万が一に生きていたとしても、ネルに殺される。ふむ、前門の虎、後門の狼か。どちらも扱いを間違えれば国の危機、延いては俺の危機。
「……寝よう」
こんな時間に考えても仕方がない。何よりさっきまで寝ようとしていたんだ。大丈夫、きっと明日の俺が何か名案を考えてくれる。何て言ったって、火消しのデリスだからな! 頑張れよ、明日の火消しのデリス!
「うにぃー……」
ベッドに戻ると、案の定ハルは熟睡していた。
―――修行14日目、終了。