第8話 魔法
十分な睡眠とは贅沢なものだ。いくら早くに寝ようとも、朝になればあと5分、更に5分と抗えぬ欲求に悩まされる。ならばと発想を逆転させる。夜遅くまで起きているようにして、朝は満足するまで寝てしまう。おお、素晴らしい作戦ではないか。俺は今、圧倒的勝利を手中に収めたのだ。
―――ガァンガァンガァン!
俺の耳元で鉄と鉄が激しくぶるかるような、そんな金属音が鳴り響いた。気分良く眠っていたのだが、俺は夢の中から意識を覚醒させてしまう。
「師匠ー、起きてくださーい。朝でーす」
「………」
これまでは2度寝3度寝と朝は俺の至福の時間だった。しかしながらハルが来てからというもの、6時には起こされてしまうようになった。そう、なってしまったのだ……
「おはようございます、師匠! 今日も暖かいお日様の出た、良い朝ですよ」
「うん、おはよう。ところでハル、君は毎朝俺の耳元でフライパンにおたまを叩き鳴らして起こす気なのかな?」
「私だって本当はしたくないですよー。でも師匠、こうでもしないと起きないじゃないですか」
「……生活習慣とは怖いものだよね」
「これから正していきましょうね。これから私、日課のランニングに行って来ます。朝食は居間のテーブルに用意してますから、ちゃんと食べてくださいね?」
「うー……」
「目が覚めたら潔く未練を断ってください。それじゃ、30分ほどで戻ってきますねー」
ジャージハルはそう言うと、小走り気味に部屋を出て行ってしまった。記憶はないのだが、この懐かしい感覚――― これがオカンか。いや、年端もゆかぬ娘に何を感じているんだ、俺は。俺のまぶたはまだ睡眠を欲している。しかしこのまま寝てしまえば、次はハルの拳が飛んでくるだろう。昨日の朝に体験したから分かる。
「起きます、起きますよー」
俺はのそのそとベッドから立ち上がり、チェストから衣服を取り出した。
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ハルの修行2日目。日本を思わせる朝の和食がテーブルに並べられていた事に驚き、俺はすっかり目が覚めてしまった。ランニングから帰って来たハルと一緒に食器を洗った後、鍛錬午前の部を開始する。場所は先ほどまで食事をしていた居間のテーブル席だ。すっかり勉強スペースになってしまったな、ここ。
「えー、それでは今日の鍛錬内容を発表したいと思います」
「お願いします!」
「ずばり今日は魔法を覚えてもらう。幾ら格闘術スキルを鍛えたって、魔法使いのレベルは上がらないからな。ハル、昨日の夕方に渡したテキストは読んだか?」
昨夜、俺はハルに『ゴブリンでも分かる魔法の初歩』という魔法使い向けの入門書を渡していた。本当であれば俺がハルに直接教えてやるのがベストだったのだが、昨日は昼からずっとハルに付きっ切りだったからな。その結果、本業の仕事が全く進んでいなかったのだ。これはいかんと徹夜した次第である。
「はい! 入門書だけあって、私でも読みやすかったです。可愛いキャラクターの解説付きでしたし、ラストの場面でゴブ男君がフィアンセのゴブ子を助ける為に放った初級の闇魔法が感動ものでした!」
そりゃあ、本来は幼児向けのものだもの。テキスト自体のページ数もないに等しいし、本当に魔法の基礎しか載っていない本を買い出しの時にわざわざ買ってきたんだ。正直、こんなものを読んでもスキルのレベル上げに役に立つとは言えない代物なんだが、切っ掛けには十分なる。
「よし、よく読み切ったな。その本にも書いてあったと思うが、魔法には属性別にスキルがある。炎、水、風、土、雷、光、闇――― 直感的に、ハルはどの魔法を覚えたいと思った?」
「当然闇です! 一ファンとして、私もゴブ男のように格好良く闇魔法を使ってみたいです!」
ゴブ男の影響力ぅ…… いや、別にどれを選ぼうと正解も不正解もないんだが、ハルはそんな理由で良いのか。変なところが単純だな、おい。モチベーションが続くなら良いけどさ。
「あー、闇魔法は攻撃が不得手だが、敵の能力を阻害したり、死体や重力を操作するトリッキーな魔法だ。その兼ね合いで、慣れない初めのうちは難しいと思う。それでもいいか?」
「何の問題もありません。でも、私の会得可能なスキルの一覧にはありませんでしたよ?」
「いや、もう並んでいる筈だ。確認してみろ」
「えっ……? あった!?」
ゴブ男の魅力に釣られて全力で読破していたからな。少なくとも、魔法を学ぶ切っ掛けにはなったんだ。
「ゴブ男に感謝しろよ? それじゃ、空いているもう1つのスキルスロットに設定な。くれぐれも操作をミスしないように注意だ。魔法系以外のスキルを会得してしまうと職業スキルが上がらないし、スキルの再設定をするにしても色々と条件が厳しいからな」
「は、はい…… オッケーです。闇魔法を設定しました」
「よーし」
何気に1番怖かったのは設定中のポカだったからな。そこを乗り切ってくれれば、山を越えたようなものだ。
「師匠、質問です。スキルスロットはもっと増やせないんですか? 確か、刀子ちゃんや他のクラスメイトはもっと沢山のスキルを持っていたと思うのですが……」
「それは職業レベルが高いからだな。職業レベルがアップすれば、その都度スキルスロットも1つ増えていくんだ。レベル1なら今のハルの状態で2つだけ、レベル2ならそこから1つ増えて全部で3つ、といった具合にな」
「刀子ちゃんはレベル5の格闘家だから…… 全部で6つもスキルスロットがあるって事ですね?」
「正解だ。スキルの枠数が多いほどにステータスも伸びていくから、職業レベルを積極的に上げていくのがこの世界の常套手段になってる」
「そっかぁ。それじゃあ、頑張って魔法使いを極めなきゃですね!」
やる気になっているところを水を差して悪いんだが、魔法と勉学は切っても切れない関係だ。実戦で魔法を鍛える手もなくはないが、魔法の場合どうしてもMPが足枷になるからな。今の最大値5だぞ、5。回復薬はかさばるし、飲みまくるにしたってお腹に限度がある。MPは使うだけ使うとして、残りの時間は魔法書による楽しいお勉強タイムがハルを待っているとは思ってもいないだろうに。まあ、知力が上がれば頭から煙が出る事も少なくなる、と良いなぁと遠い目。
「ハルが目指すべきは、接近戦で殴れて魔法も使える超攻撃的魔法使いだな。覚える事も多くなるが、お前の集中力があれば不可能じゃない」
「ええと、歌って踊れるアイドルみたいなものですか?」
「え? う、うん……?」
そんな例えを持ってくるとは思ってもいなかったわ。合っているような、違うような。
「当初の予定じゃ最初の1週間で武術を鍛えて、魔法は正式に弟子入りしてから教えるつもりだったんだけどな。まあ、これは試用期間を設けてしまった俺の都合の問題なんだが」
「えっと、どういう事です?」
「職業レベルが上がったら教えてやるよ。ほら、ゴブ男の魔法を使わせるから外に出るぞ」
MP的に1、2回しか使えないだろうけどな。
「あ、あの伝説のっ!? 行きます、行きますっ!」
……これはゴブ男を餌にすれば、座学の効率が上がるかもか?