第75話 浮いた話
千奈津を連行しながらカノンに案内された団長室は、意外にも綺麗なものだった。書物は整頓されているし、埃も全く積もっていない。聞けば、カノンが直属の雑用として毎日掃除をしているそうだ。危ない危ない。危うくネルが綺麗好きになったのかと勘違いしそうになった。しかし部下に部屋を掃除させるとは、だらしない奴め。
「どうぞ、ソファにお掛けになってお待ちください」
「悪いな。それとカノン、今日はやけに丁寧な接客じゃないか。気持ちも悪いな」
「笑顔を浮かべながら何言ってるんですか…… 僕は頂いた恩にはきっちりと報いるタイプなんです。デリスさんが来なかったらって考えると、血の気が引いちゃいますもん。たぶん、団長の炎が城ごと本部を包んでましたよ?」
冗談ではなく、とカノンは至って真面目な顔でそう言い切った。
「あいつだって一軍を率いる将なんだぞ? 見た目はマジギレそのものだったけど、出してた炎だってかなり手加減してたんだ。もう少し信用してやってくれよ」
「いやぁ、手加減といってもあのレベルだと僕には区別がつかなくって……」
ん、そうか? 使ってたのは威力を抑えた炎魔法の『バーンウォール』だったし、防御系魔法だっただけに、そこまで被害が出るもんでもないんだけどな。間違って触れたら、レベル3程度じゃ死にはするけどさ。
「あ、お茶淹れてきますね。失礼します」
そう言ってカノンは部屋を出て行った。やっと一息つけると俺が腕を伸ばしていると、向かいに座っていた千奈津が申し訳程度に手を上げた。
「あ、あの、さっきお城が燃えるって言いませんでした? 一体何が―――」
「安心しろ、千奈津。ネルの機嫌を損ねた馬鹿がちょっといただけだ。ハルの機転で買ってきた人気店のケーキで機嫌は直したし、もう解決したようなもんだよ」
「千奈津ちゃんの分も買ってきたから、そこも安心してね」
「……取り敢えず、深く考えない事にします」
それが正しい。済んだ事はすっぱりと忘れ、これからの取り組みに専念する。それが人生を上手く生きていく秘訣である。
「それよりも千奈津ちゃん、相談所の所長さんになったの? さっきチラッと扉に書いてあったの見たよ。千奈津のお悩み相談所って」
「さっき通路を歩いた一瞬で確認するとは、流石は悠那よね…… 看板には所長って肩書きまで付いてるけど、実際は私しかいないの。なのに騎士団の間でなぜか人気になっちゃって、休憩中の人や非番の人がわざわざ来て列を作ってるのよ。セラピストでもない素人の私が悩みを聞くだけなのにね」
「例の鼓舞スキルを上げる為の鍛錬か。その様子だと、大分好調な出だしみたいだな。騎士って、どんな相談をするんだ?」
「師匠の話から恋愛の相談まで、本当に幅広いです。頼りにされるのは嬉しいんですが、恋愛については私もお付き合いの経験がないので、表面上の事しか話せなくって……」
「あははー、それを言ったら私も協力できそうにないかなー」
乾いた様子で俯く千奈津と、あっけらかんと笑うハル。状況は同じ筈なのに、2人の反応には天と地ほどの落差があった。
「意外だな。2人の容姿だったら、告白の1つや2つはありそうな感じするけど。本当にないのか?」
「小中高と、ずっと剣道漬けでしたから。あとは家に帰ってから習い事もありましたし……」
「あれ? でも千奈津ちゃん、ラブレターとかよく貰ってなかった? ほら、下駄箱とかに」
「あれはラブレターじゃなくて、ファンレターかしらね…… 詩、なのかしら? 凄く言い回しが難しくって、意図が読み取れないのが多いの。中には女の子からの手紙も交じっていたりして、ちょっと処理に困るのよね」
それ、キザったく表現して書いてしまった正真正銘の恋文なんじゃなかろうか。如何にも清純派といった千奈津の容姿なら、目を付ける男子がいない筈がない。さっきの眼鏡も千奈津を狙っている節の言葉を話していたし、単に千奈津が気付いていないだけっぽいな。女の子に関しては、まあ…… 世の中には同性に恋する子だっているんだよ。千奈津は頼りになる感じがあるし。
「私は告白された事あるよ」
「ほう」
「っ!? けほっ、けほっ……! は、悠那、い、今なんて……?」
見るからに動揺する千奈津。
「小学校の時に1回、中学校の時に2回、高校に入ってからは、ええと…… 4回かな」
「おー、倍々に回数も増えてんのな」
「………」
「あ、あれ? 千奈津ちゃん?」
経験豊富であった親友のまさかの事実に、あまりのショックで撃沈する千奈津。いや、勘違いしてなければ千奈津もかなりものだって。
「今はそっとしておこう、何事も少しずつ慣らす事が大切だ。で、告白されてどうしたんだ? 付き合ったのか?」
「はい! 拳と拳での真剣勝負をしました!」
そうか、拳と拳で真剣――― ん?
「……すまん、今なんて言った?」
「真剣勝負です。昔、お父さんから言われたんです。悠那、お前は狼、いや、お前は獅子だ。獅子であるお前と
どこのグラップラーな家系なんだよ、お前の家……
「ず、随分と猛々しい親父さんだな…… まあ聞くまでもないけど、それでお前に勝てた奴はいたのか?」
「残念ながら…… 最近だと、キックボクシングクラブのおじさんとかもいましたね。お前に惚れた、とか言って。クラブの代表選手まで連れてこられちゃって、少し焦っちゃいました」
それ、お前の戦闘力に惚れたの間違いじゃないか? クラブにスカウトされただけじゃないか?
「お前の彼氏になる奴は大変だな…… 仮にハルに勝ったとしても、その足で親父さんに会わなきゃならないんだろ?」
「はい、俺の手で直接
「そ、そうか。アクティブな親父さんだな……」
確かめるの字が違う気がしたが、たぶん気のせいだろう。済んだ事はすっぱり忘れる。これ、大事。
「―――ハッ!? わ、私は今まで何を……?」
「千奈津も気が付いたか。さて、もうそろそろネルも来そうなもんだが」
―――ガチャリ。
部屋の扉が不意に開く。噂をすれば何とやらか。
「待たせたわね。随分と楽しそうな声が聞こえてきたけど、何の話をしていたの?」
「いや、浮いた話をちょっとな。って、何だ。着替えてきたのか?」
ネルは先ほどの戦闘服ではなく、私服姿になっていた。うっすらと化粧もしている。さっきはしてなかったのに、微かに香水の匂いもするな。
「え、ええ、訓練とさっきの騒動で少し汗をかいちゃったからね。着替えがあったから、ちょうど良いかなって―――」
腕を組みながらそっぽを向いてしまうネル。ネルの言い訳タイムはまだまだ続くようで、そのままの姿勢でやや早口な言葉を喋っている。
(でも、今一番恋しているのはこいつだよなぁ)
(師匠、いつもお気に入りの私服持ち歩いてるのって、そういう理由が……)
(うん、やっぱりこの香水、お店で売ってた一番高いやつだ。ネルさん、師匠と会う時はいっつもしてるなぁ)
俺達は各々で核心を突きながらも、決して声には出さなかった。