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第60話 勇者よ、我のものとなれ

 私は愛剣を鞘から抜きとり、ネル殿目掛けて接近する。最速最短での上段からの一撃は、黒き杖によって弾かれた。我が主から賜った名剣を弾くとは、どうやらあの杖も普通ではないようだ。


 続けざまに剣戟を幾度にも渡って放ち続ける。彼女の杖は余程頑丈なのか、杖とは思えぬほどの重厚な音をその度に奏でていた。下手をすれば、攻めて側である私の剣が傷ついてしまう。あり得ない事だが、そう錯覚してしまう。


 だが幸いな事に、ネル殿の素早さと力は私を大きく下回るものだ。当初の目論見よりもネル殿の実力を下方修正、しかし油断はしない。というよりも、できない。してはならない。ステータス面での彼女は私よりも劣るものではある。それでも彼女には、それを大きく補うような、そう感じさせる見えない力が働いているように見えたからだ。どこまでも貪欲に、どんな相手に対しても恐れず立ち向かう、蛮勇にも似た闘気、或いは殺気。ネル・レミュールは取り巻くその気配だけで、相手を屈服させる。誰かがどこかで、そう口にしていたな。確かに彼女と対面したのなら、並の者は屈服してしまうだろう。


 ―――ガキィン! ギキィーン! ギギギ……!


「やり、ますね……!」

「………」


 彼女の恐ろしいところは、それだけではなかった。ステータスで圧倒する私の攻撃を、ことごとく防いでいる。その圧倒的な集中力の先に、一体何を見ているのか。本当に紙一重のところで剣を受け止め、いなす。与えられる衝撃は最小限に食い止められ、場合によっては得物越しに不可思議な技を使われ、逆に私が押し返される場面もあるのだ。


「すぅ――― ふぅ……」


 いけない。押しているのは私の筈だが、彼女と打ち合う度に心を乱されている気がする。一度距離を置き、呼吸を整え―――


 ギュン!


 ―――る事も許してくれないらしい。ネル殿の手には黒い玉? のようなものが握られており、私が距離を置いた瞬間にそれを全力で投じて来た。私の顔面目掛けて僅かなズレもなく放出されたそれを、体を傾けて回避。背後の方で、ぐしゃりと嫌な音が連続して聞こえた。


 ……今は後ろを向く時ではない。あの腰のポーチから取り出したところを見るに、あれはマジックアイテムの類で間違いないと思う。加えてあの玉をまともに食らっては、私でさえただでは済まないだろう。躱す際に間近でアレを見たが、見た目以上の威力に、魔力的な何かが作用している感じがあった。触れない事に越した事はない。


「ブレイズエンチャント」


 炎魔法を極めた後に会得するスキルの進化形、紅蓮魔法。その最初に覚えるのがこの『ブレイズエンチャント』だ。対象とする武器に炎を付与し、疑似的な魔法剣としての役割を与える。更に―――


「ディアリー!」


 私の前方、その広範囲に渡って炎の渦を放出する。確認している限り、彼女のスピードでは躱す事ができぬ炎魔法の最上位攻撃。さあ、どうする?


「………」


 ピクリと僅かに眉をひそめたネル殿は、黒杖を自らの前で地面に立たせ、それを盾とするように私の炎に立ち向かった。


 ……無謀だ。剣などの物理攻撃ならまだしも、ディアリーの炎は眼前のもの全てを飲み込む範囲攻撃。頑丈とはいえ、あの細い杖では炎を防ぐ事は叶わないだろう。


「なっ……!?」


 私の予想はいとも簡単に粉砕された。渦巻く炎の波が、彼女の杖を境に分断されてしまったのだ。正確には完全にではないが、殆どの炎がそこから枝分かれし、まるでその杖を避けるように切り分けられている。一体、あの黒杖は……? だが、それでもダメージは蓄積する。


「……くっ」


 正面からぶつかれば、恐らくは死を直撃させる炎。杖を持って堪えるネル殿を、チリチリと炎が肌を焦がし、ポニーテールの髪を纏めていたヘアゴムが千切れてしまう。束縛から解放された流麗な濡れ羽色の髪は、この場でそう例えるのは良くはないのだろうが、紅蓮に染まる赤の炎と相まって、それはそれは美しいものだった。他種族の、人間の顔を見分けられないゴブリンである私でも、本能的にそう感じられたのだ。


 それと同時に、私の本能が恐怖によって鷲掴みにされる。彼女は燃え盛る炎の中で、笑っていた。この危機的状況において、なぜ笑みをこぼす必要があるのか。


 ……楽しんでいる? この命のやり取りを? 平静を取り戻した筈の私の心が、この炎を伝って掻き乱される。だから、ディアリーの魔法が終わりを迎えた事に気が付くのに、少しだけ遅れてしまった。


「ふっ!」


 彼女は杖を地面に突き刺したまま固定し、ポーチから取り出した黒玉を両手に持つ。そして、同時に投げた。しかし、2つの玉は左右に分かれ、その方向は私から大きく逸れてしまっている。攻撃を急ぎ、手元が狂った?


 ―――ガキィン!


「ぐっ!」


 陽動かっ……! ネル殿は2つの玉を投げた直後に、一直線に私に詰め寄って杖による強撃を繰り出した。小柄なその体から篭められたとは信じられない、オーガやゴブリンキング以上の威力。ステータス面の筋力だけならば、それよりも下なのかもしれない。だが、彼女は熟知しているのだ。どうすれば、相手が嫌がるかを。どう駆動すれば、その身で最大の威力を叩き出せるのかを。諦めなければ、いずれ勝ち筋が見えてくる事をっ!


 剣と杖が激突した直後、黒杖の先、ほんの僅かな取っ掛かり部分が、私の愛剣に引っ掛けられる。剣に燃え盛る炎など御構い無しに、ネル殿は私の構えた剣を横にずらした。流れるような鮮やかな技量に驚くのも束の間、その瞬間に空いた隙間から彼女の蹴りが放たれた。


 芯に響く、手本にしたいほどの蹴りだった。それでも私は歯を食いしばり、耐える。オーガであれば卒倒するかもしれない威力だが、私を相手にするならばまだ足りない。彼女のように笑って見返してやろうと直ぐ様に前に向き直る。


 ―――破壊された瞬間であろう愛剣の砕け散る光景が、今正にそこにはあった。


「な、に……!?」


 剣の刀身があった場所、その左右に黒玉が猛威を振るっていたのだ。彼女が駆け出す前に放った暴投とも思われたあの投擲は、初めからこれを狙っていての行動。私の視界から消え、意識を彼女自身に移した時点で左右の玉は大きく弧を描き、方向を変えたのだろう。杖で剣をずらしたのは、私に蹴りを放つ隙間を空けると同時に、2つの玉が重なる点への微調整を兼ねていた。


 幾重にも張り巡らせられた戦法、炎を恐れず、それを実行しようとするこの大胆さ。剣を失ったとはいえ、地力で上回る私が不利になったとはまだ言えない。しかし私は彼女の目を戦士ではなく、最早狂戦士のそれとして見てしまっている。


 こびり付いた恐怖は一手一手を確実に遅らせ、やがてそれは致命的なミスへと繋がる。そうなる前に、そうなってしまう前に、先手を打つ!


「ぐぅ、う、ぁあああーーー!」


 振るわれた黒杖を脇腹を犠牲にして、ぎっちりと腕との間で挟み込む。これは、凄まじく痛い。確実に骨が逝ってしまっている。だが、黒杖は封じた。単純な力勝負であれば、負ける要素は皆無。


 早々と攻撃手段を切り替えた彼女が次にしてきたのは、拳による痛打。そうはさせまいと、私はその手を払い除け――― 逆に返された。


 馬鹿か、私は! 彼女は単純な打撃を受け流す、奇妙な術を持っている事を忘れてしまっていたとは! しかし、なぜだ。剣を交え、拳を交えるほどに彼女の力が、スピードが上がっている。本気ではなかった? 戦っていく中で本調子になるタイプ? なぜだ、頭の中が散り散りになっていく。頭から地面に叩き付けられ、寝技に持ち込まれた私の体は至る所から悲鳴が上がっている。


 力は、私が上。だが、しかし、なぜ、解けないっ……!? ああ、くそっ、そうだよなぁ、やっぱり強いなぁ、最強は……


「―――ヴァイル」


 意識を手放す直前、そんな言葉が聞こえた気がした。

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