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第59話 ゴブリンヒーロー

 私が前線に足を踏み入れた時、そこには紫色の靄が広がっていた。中に入った部下達の動きが鈍くなり、その者達は苦しみを訴えている事から、それが毒である事は容易に推測できた。私の足元にはオーガの遺体が4人分転がっている。四肢が折れ曲がり、頭部を破損。凄まじい殴打を与えられたのか、吐瀉物を撒き散らしながら死んでいる者もいた。実力差は明白だったのだろう。彼らの死に顔には恐怖しか映っていなかった。そして今、私の眼前にはその元凶と思わしき人物、ネル・レミュールが兵を相手に戦っている。いや、戦いになんて生易しいものではない。これは蹂躙、圧倒的強者による殺戮だった。


 我々は軍を率いて砦を攻め落とそうとしていた立場だ。それが返り討ちに遭い、全滅しようと言い訳できる境遇にはいない。だが、私の心の奥底では確かに、怒りにも似た燃え上がるような感情が渦巻いていた。己の感情を引き合いに出すなんて、指揮官としては失格だろう。それでも、同胞を殺されて平気でいられる勇者は、勇者として失格なのだ。ああ、私はなんて面倒な立場にいるのだろう。一体どちらの立場を優先しろと言うのだ?


 ―――簡単だ。どちらの立場も、良い所だけを抜き取れば良い。勇者として私は感情を押し殺し、波紋の広がらない水面のような穏やかな心で、王国最強と謳われるネル騎士団長を討ち取る。泣く時間なんて後でいくらでもあるのだ。


「ふふっ、はじめまして。貴女がネル騎士団長ですね?」


 油断を誘う為にも、紳士的に挨拶を試みる。これまで襲い掛かったゴブリンにはなかった行動、多少なりとも驚く事だろう。


「いえ、人違いです」

「………」


 ほ、ほう。あくまで白を切りますか。流石は一騎当千など名誉ある称号が絶えぬお人だ。高度な心理戦もお手の物、という事ですか。


 しかし、その噂のネル・レミュールとは随分と姿が異なるものだ。黄金に輝くと聞く毛色は黒く、まるで東方の民族のよう。そして何よりも、彼女は女性らしい凹凸のある体つきだった筈。実物は――― ストン、ストン、ストン。子供のそれではないか。いや、ゴブリンと人間では感性が異なると言うし、人間にとってはスタイル抜群の美女なのかもしれない。噂は所詮、噂。信じるは自分で見聞きした事だけなのだ。


「おい、そいつ見た目はあれだが強いぞ。気を付けろ」


 そう言いながら現れたのは、黒ローブの男だった。恐らくは部下だと思われるが、ネル騎士団長を相手にこの物言い、何と怖いもの知らずなのか。それとも、敢えて言葉遣いをそうさせる事で、自らの正体を隠そうとしてる? ああ、なるほど。それならば納得がいく。何と巧妙な策であろうか。


「ええ、分かっています。強い人から感じる圧が、彼からビシビシと感じますから」


 やはり、間違いない。あんな真っ直ぐで恐ろしい、戦士の目をしている者が2人といる筈がない。純粋で真っ直ぐで、それでいて強者に飢えている。そんな瞳なのだ、あれは。


「言葉をそこまで流暢に話せるって事は、ゴブリンキング以上の種族なんだろうな。どうする? これは想定外だし、俺も手伝うか?」

「デ、デリスさん、行き成り飛び出して、それも速過ぎですよ……! って、それどころじゃなさそうですね。私も戦います!」


 不味い、仲間が霧の向こうからどんどん現れている。ネル騎士団長が私と同等の力を持っているとして、これ以上直下の者達が加わっては戦いが厳しいものとなってしまう。ネル騎士団長を私が引き受け、兵とオーガに私が止めを刺すまでの時間稼ぎを―――


「いえ、ここは私にやらせてください。お願いします」


 なっ!? 自ら利を捨てるだとっ!?


「えっ!? ちょ、ええっ!?」

「……おい、いいのか? 他の敵は千奈津が総取りしちゃうぞ?」


 彼女の部下達も酷く心配している。当然だろう。ネル殿を尊敬し、敬愛する彼らならば。


「構いません。ここで彼と戦えば、何か掴める気がするんです」


 ……騎士道を重んじるその心、見事なり。やはり噂は信じるものではなかった。鉄火肌など気性が激しいとも聞いていたが、実際はどうだ。こんなにも高潔であったとは、一勇者として見習わなければなるまい。


「千奈津もそれでいいか?」

「こうなっちゃうと人の話を聞きませんからね…… その代わり、絶対無理しちゃ駄目よ!」


 黒ローブの男が了承し、後から来た黒髪の少女も、やや不満気ながらも納得したようだ。部下からあんなにも親愛されるとは、同じ上に立つ者として羨ましい限り。だが、だからといって手心は加えない。私は勇者であり、この軍団の統率者なのだから。


「皆さん、ここは私に任せて、迂回しつつ目的地を目指してください。多くの同胞が倒れましたが、我々は夢は未だ消えず。立ちはだかる者を打倒し、進み続けましょう!」

「「「「「ギィーーーアーーー!!!」」」」」


 私の宣言に合わせ、親愛なる同胞達が雄叫びを上げる。兵達が行進を再開すると同時に、ネル騎士団長の部下達は霧の中へと消えていった。


「それでは、お手合わせ願います。ネル・レミュール殿!」

「………」


 ……返事が、ない? いや、違う。私の声が耳に入らないほどに、全神経、全知覚を戦いに集中させているのだ。彼女は腰に付けているポーチから黒い杖を出し、上段から杖の先を下に垂らす形で構え出す。緊張による硬直などまるで見られない、見事な自然体だ。うら若き外見に騙されてはならない。一体どれほどの戦場を駆け巡り、鍛錬に次ぐ鍛錬を行えばその境地に達するのか皆目見当が付かない。


 これほどの女傑を前にして、果たして私の力を通用するのだろうか? この場に立つまで、驕り高ぶっていた自分が恥ずかしい。もしこの戦いで私が勝てたのなら、今一度自分を見詰め直した方が良いだろうな。確かに最近は部下達の育成ばかりにかまけて、肝心の自分を疎かにしてしまっていた。そうだな、次に鍛えるべきは―――


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ゴブオン 12歳 雄 ゴブリンヒーロー

職業 :勇者LV6

HP :780/780(+150)

MP :710/710(+150)

筋力 :483(+150)

耐久 :235(+150)

敏捷 :275(+150)

魔力 :375(+150)

知力 :473(+150)

器用 :432(+150)

幸運 :232(+150)


スキルスロット

◆剣術LV100

  L剣王LV12

◆炎魔法LV100

  L紅炎魔法LV6

◆指揮LV84

◆鼓舞LV42

◆話術LV30

◆交友LV17

◆教示LV12

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 ―――何という事だ。結局、同胞との関わりが深いスキルばかりになってしまっている。しかし、それもある意味で私らしいのかもしれない。勇者として、一ゴブリンとして、常に正しい道を模索してきた結果なのだから。


 ああ、そうだ。今ばかりは自分を信じるとしよう。勇者である私の補正は全てのステータスに行き渡る。更にその恩恵は周囲の仲間達へ僅かながらに配分され、集団としても強化される。これから霧の中へ向かう私の部下を、これまでと同じとは思わない事だ。私とネル殿、そしてその部下同士、どちらに軍配が上がるか――― いざっ!

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