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第55話 救世主

 その者らは、何処からともなく現れた。最初はゴブリンコマンドが率いる、ちょっとしたモンスターの集団だった。ゴブリンの全てが薄汚れた剣や槍を装備している事から、多少は手練れである事は見て取れる。しかし、その程度であれば標準的な冒険者でも対処できる、特に珍しくもないものだ。普通であれば間違えて周辺の村々を襲わないうちに、何者かによって討伐される。それが関の山だった。


 変化が起こったのは、それから少ししての事だった。1匹の、赤い肌をしたゴブリンがその集団に加わったのだ。ゴブリンは進化したとしても、そのどれもが肌の色を変えず、常に緑色であると知られている。灰コボルトのように環境に適応した亜種族である可能性を考えるのが一般的であるが、普通、亜種族モンスターは他種族と行動を共にしたがらないもので、緑肌のゴブリンの中に赤肌ゴブリンが混じっている光景は珍しいものだった。


 それからまた少しして、その集団の規模は3倍になっていた。呼び寄せられるようにゴブリン達が彼らの巣である廃墟に集まり、次々と赤肌ゴブリンに服従していく。気が付けば彼の配下にはゴブリンコマンドが3匹もいて、規模としてはゴブリンキングが率いるであろうモンスター部隊と同等のものになっていた。


 だが、彼らの成長はこれで終わりではなかった。あろう事かゴブリンが、本拠地である廃墟で畑を耕し、自らの手で武具を作成し、戦いを想定した訓練を行うようになったのだ。ゴブリンの主食は森で採れる木の実や、自分よりも弱い小動物の生肉が基本である。ゴブリンが持つ武器だって、猛獣に敗れた冒険者の死体から剥ぎ取ったものや、壊れて廃棄されたものを漁って手に入れるのが普通なのだ。モンスターが鍛錬、ましてやゴブリンがそんな事をするなんて、これまで報告された事がない。しかし、彼らは指導者である赤肌ゴブリンの命令を守り、一心不乱にそう励んだ。


 その期間中は、自分達の存在を知られないよう細心の注意が払われた。噂が流れないよう村々には近寄らず、食料は畑や狩りで補う。時折山間の盗賊を襲って武器を調達し、また鍛錬に励む。そんな生活は瞬く間に過ぎていった。


 やがて彼らはゴブリンの集団から、ゴブリンの軍隊へと生まれ変わった。その全てのゴブリンが最低でもゴブリンリーダーとなって完全武装、装備する武具も冒険者に引けを取らない良質なものだ。そして彼らは部隊長であるゴブリンコマンドの命令に忠実に従い、理のもとに組織的な行動をする。最初のゴブリンコマンドであった3匹は、更なる進化形態のゴブリンキングへと道を進み、大隊を任される司令塔となっていた。中にはゴブリンを大きく上回る強者、巨兵オーガまでもが彼らの仲間になっていた。


 では、これらゴブリンの著しい進化の発端であろう、赤肌のゴブリンはどうなったのか? 赤肌のゴブリンは、いや、彼だけは何も変わっていなかった。元々羽織っていた風格のある青マントをなびかせ、頭に深く被るは神秘的なサークレット。武器もまた異質であり、ゴブリンの身の丈ほどもありそうな剣を背負っている。今は行軍するゴブリン軍団の中心地に混じって歩き、周りを観察しているようだ。彼の歩く付近には、多くのゴブリン兵によって担がれる御輿が、その上には彼の影武者であるゴブリンキングが王座に座している。


 国境の砦がゴブリン調査に派遣した警備隊は、偽の情報を掴まされていた。目立つ御輿の上にゴブリンキングを置いて、自身の存在を忍ばせる。部下達には『魔王様』という言葉を覚えさせ、そして頻りにそう口にさせる事で、無謀にもゴブリンキングが魔王を自称しているかのように錯覚させた。これによりアーデルハイトの兵達は、ただ規模が大きなだけのゴブリンキングが率いるモンスター集団と認識してしまったのだ。その実体は、国を揺るがす可能性のある武装組織だというのに―――


「砦、見エタ。肉、匂イ、良イッ!」


 少人数の先行部隊を率いての偵察から帰ったゴブリンコマンドが、ゴブリンキングに向かってその成果を報告する。単語を並べての言葉遣いで要領を得ないが、必要な情報は問題なく持ち帰れたようだ。


「フム。勇者様、コノ先モウ暫クスレバ人間ノ砦ガ見エテキマス。シカシ、罠ナノカ待チ伏セヲスル騎士ト冒険者ラシキ者達ガ数人イルヨウデス。今ハ呑気ニ食事ヲシテイマス。如何シマスカ?」


 ゴブリンキングが赤肌ゴブリンに指示を仰ぐ。御輿の上からという見た目上の立場はゴブリンキングが上なのだが、その態度は平伏するように身を低くしていた。そして王は、赤肌を勇者と口にしていた。


「数人、ですか? 偽の情報を信じたとしても、迎撃を準備するにしては少な過ぎますね。噂に名高いネル騎士団長がいらっしゃっているのでしょうか。だとすれば、私が出なければなりませんが……」

「イエイエ、始メカラ勇者様ノオ手ヲ煩ワセル訳ニハイキマセン。南カラハオークラガ迫リ、挟撃スル事ガ可能デス。イクラ強イト噂ニアロウト、コレニハ太刀打チデキナイデショウ」

「それは慢心というものですよ。王たる者、常に最悪を想定してください。そうですね、ネル騎士団長については、仮にではありますが私と同程度の実力を持つと考えましょう」

「ハ、ハッ! 申シ訳ゴザイマセン……」

「……ですが、様子見する程度なら良いかもしれませんね。いいでしょう。当初の予定通り、兵を展開してください」

「承知シマシタ。オイ、各部隊ニ伝令ダッ!」


 赤肌から命令を受け取ったゴブリンキングは、ゴブリンコマンドを集めてその指示を出し始める。


 北から彼らの部隊が南下し、南からはオークの部隊が北上する。一見すれば風雲急を告げるように、種族間で争いをするようにも思われるが、彼らは始めから結託していたのだ。彼らの真の目的、それは繁殖場所となる巣を探しているのではなく、国境の砦を破壊する事だった。


(2国の国境が破られるとなれば、タザルニアとアーデルハイトは相当荒れるでしょうね。その後は砦を占拠し、更なる戦力増強。後はあの方を待つばかり…… しかし、フフッ。皮肉ですね。勇者が、忠臣に魔王を名乗らせるなんて)


 赤肌のゴブリン、その種族はゴブリンヒーロー。彼はゴブリンがレベル6になる事で進化する、ゴブリン族史上初となる勇者の称号を持つ者であった。


「報告ッ! 見ツカッタ! 迎撃、3人ッ!」


 更に別のゴブリンコマンドが知らせを持ってきた。指を3本立てて、頻りにその数字を強調している。


「迎撃ガ、3人……!? ユ、勇者様、流石ニコレハ呆レルシカアリマセンナ。砦ヲ攻撃スル前ニ、コノ愚カ者共ヲ駆逐シテシマッテモ?」

「……逆に興味が湧きますね。ええ、ネル騎士団長の首を上げてやれば、敵兵の士気はさぞ落ちる事でしょう。全力を挙げてぶつかってください。いいですか、手加減抜きです」

「ハハッ! 皆ノ者、長キニ渡リ積モラセタ我ラガ一族ノ怨ミ、今コソ晴ラス時ゾッ!」


 全てのゴブリンから猛々しい歓声が上がる。ある者は剣を掲げ、ある者は腹の底から叫び続ける。士気は十分、今の我らに足りないものなど何もない。一種の万能感にも似た感覚を身に宿し、彼らは力強い行進を再開した。


 その先に待つは、かつて魔王界を震撼させた冒険者『黒鉄』と『殲姫』の弟子達である。ゴブリンの勇者は予感めいた胸の騒めきを僅かに感じていたが、それ以上に自らが育て上げた部下達を信じていた。

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