第51話 馬車の旅
西の隣国、タザルニアは昔からアーデルハイトと馴染みの深い国だ。中小国でありながら魔法やマジックアイテム産業に富んだアーデルハイトを我が物にしようと、密かに牙をむこうとする大国は数ある。その一方でネルの圧倒的武力による威光なしに、長年友好的な関係を築けているタザルニアは実に稀な例なのだ。
広大な穀倉地帯を持ち国力も豊かなタザルニアは、遥か昔にアーデルハイトに対し武力ではなく、交易にて国交の接触を試みたそうだ。かつてのアーデルハイトは今ほど便利な生活品があった訳でもなかったが、それでも他国以上の技術は兼ね備えていた。しかし度重なる防衛に費用はかさみ、一時はかなり貧困した状態にまで至っていた。そこでの他国からの食料の供給の打診、国王が歓迎しない筈がない。そうしてアーデルハイトはマジックアイテムを、タザルニアは食料を支援する事で、両国は今になるまで良好な結びつきを続けているという。騎士や兵士の合同訓練だとか、両国間で祭りを催すなどイベント事も多かったりする。
で、そんなタザルニアとの国境付近で自称魔王様、それも2体の登場だ。緊急時には両国の兵が魔王討伐に割かれるだろう。しかし国境近辺とはいえ、正確な場所はアーデルハイトのやや内側。これが敵国付近であればそちら側に自称魔王を
「つうか、そろそろ勇者君にも仕事させればいいのに」
「何か言った?」
「いや、つまらない独り言」
「?」
愚痴っていても仕方がない。勇者がどの程度の実力者なのか分からないし、やっぱり確実性を取るならネルになるんかねぇ。信頼と実績の高貴なるネル様、稀に横暴、時折乙女である。おお、事実を並べてみるとこっちも扱い難しいな。将来の旦那は絶対に苦労するわ。
さて、そんな隣国との関係を思い描く程度に、馬車での旅は日数を要する。行きに3日、帰りにまた3日といったところか。もちろん、この期間をただただ消耗するのはもったいないので、ハル達には馬車でできる鍛錬をしてもらっている。主に、ハルが苦手な方面の鍛錬を。
「師匠~、もう私は本読まなくていいって言ったじゃないですか~…… あ、料理本は別ですけど!」
「馬車の中じゃ実戦も運動もないからな。何より、苦行を重ねる事で得る事もある。ほら、精神面でのあれとかそれとか」
「思っていた以上に曖昧な説得っ!」
「ほら、私もやるから一緒に頑張ろう、悠那!」
抵抗を試みるハルであったが、千奈津の説得により頭を焦がしながら頑張っている。ふふ、こんな事もあろうかと、俺のバッグの中には日数分の勉強道具が収納されている。教本のおかわりは自由。さあ、魔法スキルを上げるのです!
―――ボン!
あ……
とまあ、多少の事故はありはしたものの、旅は概ね順調だ。仮にハルの頭が限界に達したとしても、快眠スキルの恩恵で少し寝れば全回復していたし、間接的にそっちのレベル上げにも繋がっている。千奈津についてはやはりと言うべきか、スラスラと教本を読み解いて読破し続けていた。『演算』スキルで頭の回りが早くなっているのもあるだろうが、ハルが言っていた通り元々優秀だったんだろう。ハルも生き死にを繰り返しながら頑張ってはいるものの、千奈津に追い付くのはかなり難しそうだ。
「団長、休憩にしましょう」
馬車を止めての休憩中は、ハルにとってお待ちかねの時間だ。何せ、この時間なら思う存分動き回って鍛錬する事ができる。馬車で死んでいたのが嘘みたいに走り回る姿は、水を得た魚のよう。ネルや千奈津がいる事だし、模擬戦をするにしても事欠かないのだ。
しかし、ハルがすべき事は鍛錬だけではなかった。それは、昼休憩中の飯時に起こった。
「ちょっと、これは何?」
「スープであります!」
ムーノ君が調理して出したもの、それはただ水に塩を入れて具材を煮込んだものだった。当然ながら、とても食えたものではない。自ら率先して料理番に挙手したものだから、てっきり自信があるものだと思っていた。いや、自信だけは確かにあったんだろう。結果が全くと言っていいほど伴わなっただけで。不幸なのは毒見とばかりに最初にほぼ塩水と化したスープを飲み、酷く咽返ってしまったダガノフ老だ。カノンが背を擦る姿を見たネルは、静かにこう言った。
「……ハルナ、チナツ。料理番を命じます。早急に食べられるものを用意なさい」
それからハルが調理を開始して料理が出るまで、殆ど待つ事はなかった。馬車に積み込んだ材料から残り日数分の計算をし(こういう時は計算が速い)、客は待たせてならないと時間を掛けずに調理を完遂したのだ。千奈津もハルから調理を教わる機会が多かったようで、流れるような連携でハルを補助していた。
「あら、美味しいわね」
「こ、これ、あの材料から作ったんですか? 僕、こんなに美味しいもの初めてです」
「おお、この老体に優しく染み渡る……」
「ハル殿、申し訳ありませんっ! 私が不甲斐ないばかりにでも美味しいですっ!」
評判は上々、ハルと千奈津は見事この旅中の料理番を任される事となった。調理に時間を割かれ、休憩中の鍛錬は短くなってしまったが、ハルと千奈津が楽しそうだったので良しとする。何、目的地でそれ以上に活躍すれば良い話だ。
俺にとっての難所は夜、就寝する時間だった。辺りを照らす光が月光と焚き火のみとなる夜は、2人一組で交代しながら見張りを立てる。ネルの遠征は階級が上だからといって、これを免除される事はない。団長であるネルも順番が回ってくれば見張りをするし、同行する俺らも同様だ。最初だけは騎士団から出すとの事で、ダガノフ老とムーノ君が担当する事となった。で、残りの面子はよいしょーと眠りに就こうとする。のだが―――
「ちょ、ちょっと……? デリス、何をやっているのかしら?」
ムーノ君の塩水スープの時以上に声を震わせて、ネルが俺を問い質す。視線の先には俺、そして傍らに首に抱きつく形でハル(既に熟睡)が。ふふ、朝のショックで
「実はな、黙っていたんだが…… ハルは抱き枕がないと眠れないんだ!」
何かを予見するかのようなポーズで、ここは乗り切る。俺は覚悟を固めた。
「デ、デリスさん、流石にそれは無理が―――」
「くぅー……」
「―――あっ、そう言えば……」
「チナツ?」
「確かに、昨日悠那と同じ部屋で寝た時、私もそんな感じな事をされました。昔からペットのペロと一緒に寝てたけど、まだあの癖治ってなかったんだ…… たぶん、悠那からデリスさんに頼んだんだと思います」
「そ、そう。なら仕方ないわね。デリス、勘違いな行動は絶対にしないように。分かったわね!」
お、おおう。千奈津のお蔭で何とか生き延びたっ! この状況でネルの厳重注意だけで済んだのは奇跡に等しい。千奈津、この恩は近いうちに返さねばなるまいて……
馬車の中でそんな修羅場を潜り抜けたりする事、3日後。俺達は目的地である国境の砦へと到着するのであった。