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第46話 魔法(物理)

 騒がしかった野次馬達が静かになる。どうやら2人の模擬戦が始まる事を肌で感じ取ったんだろう。安全性を考慮してか、俺や千奈津よりも大分遠くまで離れているというのに、その表情には緊張感が漂っている。固唾を呑んで見守る、正にそんな感じだった。


「カノン、私の剣を持ってなさい」

「は、はいっ! お預かりします」


 ムーノ君を運び終わったのか、カノンの奴もいたようだ。私服に帯刀というアンマッチな格好をしていたネルから、その剣を手渡されている。あいつ、泡吹いて気絶していた筈なんだけどな。復活が早い。


「ネルさん、剣使われないんですか?」

「反撃しないって言ったでしょ。なら、剣は不要よ」

「あ、いえ。ネルさんは剣士だと師匠から伺っていたので、てっきり剣で攻撃を防ぐものだと思っていまして」

「その上で問題ないわ。ハルナ、人の心配ばかりしてないで、今は全力を尽くす事を考えていなさい。あんまり酷いようだと、遠征に連れて行かないわよ?」

「そ、それは困ります! が、頑張りますっ!」

「それで良し。じゃ、最後にルールを確認するわね。ハルナは思う存分動き回って武器や魔法で攻撃していいけど、私は反撃もしないしこの場から一歩も動かない。そうね…… ハルナに一本入れられるか、私が納得するような力量だと思ったら合格にしましょうか。制限時間は特になし、ハルナがギブアップした時点で終了。他に何か注文があるなら受け付けるけど、これでどうかしら?」

「いえ、十分過ぎるほどのご配慮、ありがとうございます。私もそれで良いと思います」


 また面倒なルールになったな。無抵抗を謳っているとはいえ、ネルに攻撃を一本入れる難易度は灰コボルトボスや佐藤の比ではない。一方でハルもハルで自分から諦める姿が想像つかないし、これは長引きそうな予感しかしない。


「なら、掛かって来なさい。見定めてあげる」


 地面をしっかりと踏み締め、腕を組んだ状態でネルが言い放った。前言をそのまま遂行するとなれば、ネルはもう地面から足を上げる事すら許されない。


「よろしくお願いしますっ!」


 対するハルは模擬戦開始の礼を元気にし終えると、魔法を唱え始める。この詠唱は、ディーゼか。本来であれば術者の周りに黒煙を展開させて、目暗ましに活用する魔法だ。しかし、ハルはこれを自分の周りではなくネルの立ち位置に発生させている。


「悠那が、魔法を使ってる……!」

「あれでも職業は魔法使いだし、そりゃ使うさ。基本投げる事に集約されちゃうけどな」

「投げる?」

「まあ、そのうち分かると思う。それよりも考えたな、あいつ。ディーゼが作る黒煙は発生範囲が狭く、人体にも無害なマイナー魔法。だが、あの黒煙は闇そのもので光も通さない代物だ。ああやって周りを囲まれると、視覚が封じられてしまう。普通であればそこから少し移動すれば済むもんなんだが、今のネルは移動も自分で禁止にしたからできない。ダメージの有無は兎も角、あの状態から攻撃を防御したり躱すのは至難の業だろうな。更に」

「更に?」


 ハルはそこから別の魔法を組み立て始めていた。昨日覚えたばかりのニューマジック、毒霧を作り出すフュームフォッグである。


「今ハルが唱えた魔法は、毒霧を広範囲に発生させる。色合いも紫で如何にも毒! って感じなんだが、周りが見えない状態のネルには分からないだろうな。持久戦にはもってこいな魔法だ。周りが見えない上に呼吸もままならないとは、なかなかえげつない戦法だな」

「あの、デリスさん。紫色の霧が、ここまで迫っているんですが……」

「……対応できないか?」

「あ、いえっ! できます!」


 慌てた様子の千奈津は、そう言いながら光魔法の障壁を施し始めた。野次馬達の所まで毒霧は届かないだろうが、緊急医療班としてこの位置取りは譲れないからな。それにしても刀っぽい剣を腰に差してるから、てっきり千奈津の職業は剣士かと思ったけど、ハルと同じお魔法使い、或いは僧侶って線もあるか。ネルみたいに剣士から魔法覚え始める逆パターンもあるにはあるけど。


「デリスさん、構築完了しました」

「よし、大丈夫そうだな。お、ハルも攻めるみたいだぞ」

「いよいよですね」


 ハルはまだ距離を保っている。これまで培った経験、研ぎ澄まされた感覚が迂闊に近づいてはならない事を知らせているのか、いつになく慎重だ。されどハルの瞳はいつものモードに入っている。そして、そんなハルがポーチから取り出したのは、昨日ガンさんに作ってもらった黒魔石製の鉄球だった。


「あくまで最初は遠距離攻撃に徹するか」

「あれ、黒いですけどボールですよね? あれが魔法なんですか?」

「……うん、一応魔法の部類に入らない事もないかもしれない」

「どっちですか……」


 それは俺も聞きたい。ハルは鉄球にグラヴィで重さを、アドヴァの毒泥よりも強力なダウスで猛毒を練り込んでいく。野次馬からすれば黒いボールを磨いているようにしか見えないだろう。だけどな、あれはもう物理的にも魔法的にも凶器に染まっている。ましてや、今回はそこらに落ちている石ではなく特注品の武器だ。闇魔法のレベルやステータスの魔力もステップアップして、今や凄まじい重量と猛毒があのボールに篭められているのだ。術者であるハル以外が触ったらとんでもない事になる。


 さて、狂気な凶器が完成したらいよいよ投擲、投球だ。持ち時間は無制限、非常にゆったりとした動作で、ハルは鉄球を持った腕を振りかぶっていく。そこからもまだまだタメはあり、体を捻じりに捻じって遂にネルから向かって背中を見せるまでに至る。


 ―――ゴクリ。


 緊張が高まる中、野次馬達の誰かから唾を飲み込む音が聞こえた。格闘術スキルによる身のこなし、投擲スキルによる補正効果、それらを全部ひっくるめられたハルの魔球が投じられたのは、それと同じ瞬間だった。


 毒霧の中を突き進むは数多の猛者達を屠ってきた魔法(物理)。それは吸い込まれていくように、暗闇に閉ざされたネルの居場所へと向かって行く。溜めに溜めた剛速球、また皆が投じられたその魔法に目を奪われているうちに、ハルは次の砲撃位置へと場所を移していた。


 絶え間なく攻撃する為には、移動に掛けられる時間は僅かしかない。鉄球をポーチから取り出したハルは、次なるマウンドへ駆け走りながら振りかぶる。第一投のように時間は掛けず、最短で横投げ。今度の球は球速こそはなかったが、黒煙に入る直前で異様なほどの変化を見せ、急角度で曲がりながら闇の中へと消えて行った。


 ハルの攻撃はまだまだ止まらない。ポーチに収納した鉄球とハルのMPが許すまで、闇を中心に円の軌跡を描きながら魔法は投じられ続ける。灰縄の屋敷で佐藤達を相手していた頃とは違い、現在のハルは多少無理な姿勢からでも百発百中の制球力を身に付けている。縦横無尽に走りながら時に直線で、時に変化を加えられながらディーゼの目暗ましに立ち入る攻撃は圧巻の一言だった。


「それでもネルから一本取れるほどではない、か」

「えっ?」


 疾駆を続けていたハルが立ち止まった。ステータスのMPを見る限り、まだそっちには余裕がある。となると、どうやら鉄球の残弾が切れたらしい。流石のハルもあれだけ動けば肩で息をしてしまう。鉄球持っての全力疾走&投擲だからな、そりゃ疲れる。


「ハルナ、面白い魔法を使うのね。溶かしたら悪いと思って素手でキャッチしたけど、それなりに芯に響いたわ」


 ネルの声が闇の中からしたと思ったら、今度は爆音が轟いた。そして黒煙と毒霧ごとハルの魔法は吹き飛び、四散してしまう。散ってしまった闇の中から現れたのは、腕組みの状態から変わらず、何事もなかったかのように立つネルだった。いや、心中の感情は変わってるな。かなり機嫌が良い時の笑顔になってる。


「うん、これならレベル5のモンスターまでなら通用しそうだわ。やったわね、合格っ!」


 満足そうなネルの足元には、ハルが投げた鉄球が積み上がっていた。


「え、あ、はい……」


 ハルは納得し切っていない感じだけど、予想よりも早く終わったのは僥倖だった。

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