第45話 傾国の美女
「ムーノ、しっかりしろ! 傷は浅いぞ!」
「担架、誰か担架持って来てー!」
ハルの一撃によって意識を手放し、地面に沈んでしまったムーノ君はカノン達に運ばれて行った。まあ特に怪我はなく、気絶させられただけだから大丈夫だろう。しかし、最後までぶれなかったな。なかなか見所のある奴だった。
「は、悠那、いつの間にそんなに強くなったの!? 1週間前とは別人みたいよ!?」
「あはは~、そこはいつもの努力と根性で何とか」
千奈津がハルの肩を掴んで揺らす。親友の彼女にとっても、ハルがこの短期間で新人とはいえ現職の騎士を圧倒した事に驚いているようだ。ええ、ハルの成長スピードは師の俺だって驚きましたとも。
「あと、師匠の教えのお蔭だよ。師匠が師匠じゃなかったら、たぶんここまで強くなれなかったもん」
「デリスさんの? ……凄い」
疑惑だらけだった先の視線に、ほんのりと尊敬の眼差しが加わる。ハルよ、その調子だ。もっと私の評判を高めるのだ。フッフッフ。
「何か怪しい事を考えてない?」
「考えてない。それよりもネル、お前のとこの騎士を瞬殺したんだから、ハルの力量は十分だって分かっただろ。腕試しはこれで終わりでいいか?」
「そうね…… 及第点かしら」
ハルが及第点ならムーノ君は落第なんですが、それは。
「そんな顔しないでよ。私が言ってるのは戦力での話よ。ムーノやカノンはもとから戦力に数えてないわ。2人を連れて行く目的は根性を叩き直す為。精々怖い思いをしてもらわないと、いざとなった時に使えないわ」
「はぁー、相変わらずスパルタだなぁ……」
「デリスには言われたくないわよ」
さて、用事も済んだ事だし帰るとするか。そう思い千奈津とお喋りしているであろうハルに声を掛けようとする。が、ハルはいつの間にやらネルの目の前に移動していた。
「ネルさん。私の実力、直接試してもらえませんか?」
「私に? いいの?」
「はいっ!」
「いや、はいじゃなくてだな。ハル、悪い事は言わないから流石にそれは止めとけ。ネルは手加減って言葉を知らない奴だ。冗談抜きで死ぬぞ」
「デリス、それ以上言ったらしばくわよ」
ネルが殺気の篭ったプレッシャーを良い笑顔をしながら俺に飛ばし始めるが、こればかりは全力で止めなければならない。いくらハルが化物メンタルで急成長を遂げたとしても、今の段階で
「師匠、どうしても駄目ですか?」
「どうしても駄目です。親友の前でハルを死なせるほど、俺は鬼じゃないんだよ」
「ちょっと、それはどういう意味かしら?」
「そんまんまの意味だよ」
―――ピキ。
空間が割れたような、そんな幻聴が聞こえた。あーあ、幻聴だったらいいなこれ。俺も少しばかり対応を間違えたっぽい。
「……分かったわ、ならこうしましょ。私からは絶対攻撃も移動もしないから、ハルナは全力で攻撃して来なさい。それで、貴女の真の技量を測ってあげる」
「師匠、ネルさんもここまで譲歩してくださってますし、これはやるっきゃないかと!」
不味い。どんどんハルとネルが戦う流れになっている。というか、ネルが意地になってる。ハルもやる気を抑える気がない。様々な競技、数多の武道を一から学び続けてきたハルにとっては、強者から実戦で死ぬ気で学び取る事が最短最善であると頭に刷り込まれているんだろう。ここに来てハルの強みが悪い方向に働いてしまった。
「……ネル、絶対に反撃しないと約束できるか? 絶対だぞ?」
これは決してフリではない。マジである。
「いいわ、騎士団の名に懸けて約束してあげる。本気でやるなら場所を移しましょう。私はムーノのようにはいかないわよ?」
「はいっ! よろしくお願いします!」
目を輝かすハルと、やる気に満ちてしまったネルが騎士団の修練場に歩き出してしまった。その後ろ姿を、俺は千奈津と共に見守る事しかできなかった。最悪の場合を想定して、瞬時に回復できるようにしておこう、うん……
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俺達が修練場に移動するなり、鍛錬や模擬戦をしていた騎士達が一糸乱れぬ動きで場所を空けてくれた。それはもう、打ち寄せた波が引いていくように、ごく自然と言わんばかりの連携だった。凄まじい練度だなぁ。
「おい、聞いたか? ネル団長と模擬戦する命知らずがいるらしいぞ」
「またまたー、騙されないって。そんな奴この国にいる訳ないだろ。どんなに貪欲な大国が相手だって、ネル団長1人がいれば攻めて来ないって話だぞ。壮絶な最期を遂げたい自殺願望者か、よっぽど世間知らずな自惚れ屋くらいしか挑戦しないって」
「まあ、それで国王もネル団長には逆らえないって噂もあるしなぁ。苦言を言えるのはヨーゼフ様くらいじゃないか?」
「俺は別の噂で、魔王と拮抗する実力があるって聞いた。それも大八魔級だってよ」
「おおー、疑いもせず納得してしまう自分が怖い。誰かネル団長が本気出したの見た事あるか?」
「ねーよ。あったところで危なくて近づけねぇ」
「「「確かに」」」
修練場外にいた者達も、そんな会話をしながらここにポツポツと集まって来る。人だかりは城の使用人や兵士達まで呼び寄せ、ハルとネルの準備が終わる頃にはちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。
「本当に大丈夫かなぁ……」
「あの、ネル師匠ってそんなに強いんですか?」
見物人に混じって何度目か分からない溜息をついていると、千奈津が心が晴れない様子でそう質問してきた。
「ん? ネルの弟子なのに分からないのか?」
「ええと、実は師弟関係を結んだのもつい最近で、師匠と戦った事はまだないんです。お城からこちらの騎士団本部に移ってきたばかりで……」
「あー、なるほどな」
となると、千奈津が地獄を見るのはこれからか。今のうちに合掌しておくべきだろうか。いや、流石のネルも平時であれば弟子殺しはしない、そう願いたい。うん、俺だけでも優しく接しよう。そうしよう。
「ネルはアーデルハイト最強の人間、それは知ってるな?」
「はい。周りの騎士の方々からはそれと一緒に絶対に逆らうな、とかなり念押しして教えられました」
「ああ、それはそうした方がいい。基本的にあいつは間違った事は言わない筈だから、極力そうしろ」
「は、はあ……」
「ネルは今でこそ貴族然とした礼儀作法を身に付けて、雅やかな雰囲気を出している。騎士団長らしく、あれでも尊敬されてもいる。けどな、俺と冒険者やってた頃はそれはもうお転婆で、感情的なところもあってかなり問題を引き起こしてたんだ。詳細は省くが、国を潰すレベルで」
「国っ!?」
そう、国。あの頃のネルはまだ10代前半だったかな。今は大分丸くなったものだ。自分に素直じゃなくなった分、俺への風当たりは強いけど。
「正直、俺もネルとは正面から戦いたくない。火力と戦闘におけるセンスは群を抜いてるからな。まだどこかの魔王軍を単身で相手する方が気楽だ」
確かに昔と今では違うだろう。昔よりは力の調整ができるようになった。昔よりは感情のコントロールも努力して抑えらえるようになった。
……そう、昔よりは。だけどな、手加減してやるから掛かって来い。喋る核弾頭がそんな台詞を言っても、全く信用できないだろう。今の心境を例えるとそんな感じだ。
「あ、あのっ、悠那は大丈夫ですよね? 怪我とかしないですよねっ!? 反撃しないって言ってましたし!」
「……神に祈ろう。怪我で済めばいいな、と」
ハル、生きて帰って来い。それが今日の課題だ。