第44話 現実はどこまでも残酷
唖然とする私は、そのまま固まってしまった。デリスが来る。それは詰まり、私が水面下で動いていた事を奴が気付いていたという事だ。我が心の友であるカノンも、ネル団長からその言葉を頂戴してからやけに緊張した様子だった。これは、本当に不味いかもしれない。そして、デリスがここにやって来た。
「あら、来たわね。おはよう」
「おはよう。急に呼び出してどうした?」
急に呼び出しただと? 白々しい奴だ。自らがこうなる事を先読みして仕組んだんだろうに。しかし、このままでは不味い。最悪、私はここで抹消されるかもしれない。いや、私だけなら別に構わない。私が忌諱するのは、私に協力してくれたカノンや、その責任を問われるであろうネル団長にまで火の粉が降りかかる事だ。それだけは、何としても回避しなければならない。
だが、やはりデリスの糞野郎は相当のようだ。あのネル団長が、どこか卒業祭に見た時と違う様子で話している。こう、角がないというか、敵意がないというか。今考えて見れば、如何に休日とはいえ兵舎前に私服でやって来るというのもおかしな話。団長たる者、平時から部下にその示しをつけるものなのだ。 ……っ! なるほどな、その魅惑的な格好と態度でデリスに反抗心がないと訴えているのか!
「一応、これでも引率する立場だからね。雑魚相手に死なれちゃ困るから、今のうちに連れて行く部下の力量をお互いに把握しておこうと思って」
ネル団長、こんな時にまで我々の心配を……! ネル団長が就任してからというもの、死傷者が激減したという逸話は本当だったらしい。これほどまでに部下の命を大切に思って頂ける上司が他にいるいるだろうか? いや、いない。私はそう断言できる!
「ネ、ネル団長。雑魚と申されますが、今回の討伐対象って魔王と聞いたんですけど……」
「安心しなさい、自称魔王よ」
緊張でガチガチに固まってしまったカノンを、小粋なジョークで和ませてくれるとは。ネル団長はこんなユニークな面も持ち合わせていらっしゃるのか。どこまでも完全無欠、内面までも最高に美しい。
「まあ、良いけどさ。それで、この面子で全員か? 騎士の遠征にしては少ないな」
「少数精鋭よ、少数精鋭。いくら連れて行っても、移動が遅くなるし結局倒すのは私になるもの。あと、私の弟子をお披露目するわ。チナツ、チナツー!」
な、なるほど、毒を食らわば皿まで。デリスが送り込んだ偽りの弟子をこの場に呼び込むと……! 凡弱なる私では到底思いつかぬ奇手である。今、ネル団長の脳内では更なる大胆不敵な次なる手が模索されているのだろう。クソッ! 私にも何か、団長をお助けできる事はないかっ!?
「は、はい師匠、何でしょうか、って悠那っ!?」
「わあ、やっぱり千奈津ちゃんだ!」
やはりと申せばいいのか、何と言うか…… ここまで露骨に貴女がここに居たなんて感を出されると、逆にどうしたら良いのか分からなくなってしまう。デリスとこの弟子が繋がっていた事は周知の事実だ。今更騙される私ではないが、この演技力には圧倒されてしまう。まるで、本当に意図せぬ再会に喜ぶ少女達を目の当たりにしているようで、不覚にも涙が―――
っていかんいかん! 危うく騙されるところだった。流石はデリスの諜報員、並みならぬ技量を持っている。もう私は騙されない、騙されないぞ! 心を鬼にして、眉間にしわを寄せ、睨み付けるように。よし、これで心身ともに完璧である。
「チナツ、デリスは私が冒険者だった頃の仲間よ。実力は保証するわ。人柄はまあ、保証しかねるけど」
牽制、ネル団長が牽制をはられたっ! ここが攻めどき、いや、そうでなくとも少しでも意識を私に集中させ、皆をデリスの意識から遠ざければ…… 最低でも、私が死ぬだけで済むかもしれん。ああ、そうだ。私にできる事は、これくらいしかないのだ。願わくばネル団長、いつか貴女がデリスの呪縛から解かれる事を願っております。
「ネル団長! 自分は納得できません! なぜ、女子供まで崇高なる騎士団の遠征に連れて行くのですかっ! 邪魔になるのは目に見えていますっ!」
できるだけ私に敵対心が溜まるように、あの子供には可哀想ではあるが汚く罵ってやる。デリスは私のこの発言に驚いたのか、ポカンとした表情で私を見詰めていた。その視線から内心は読み取れないが、心底予想外だったのだろう。しかし、後に来るのは大きな怒りだ。そう、その怒りを私にぶつけるといい!
「チナツは私の弟子で、ハルナはデリスの弟子よ。それで十分じゃない?」
「全く十分ではありませんっ! そもそも、その男の実力も怪しいものです!」
「……ふぅーん」
ネル団長が、止めろと言わんばかりの凄まじいプレッシャーを私に飛ばしてくる。ぐっ、何と言う圧だ。団長の前に立っているのがやっと、今にも押し潰されてしまいそうになる。しかし、一見殺意の塊に見えるこの重圧も、裏を返せば団員を想う優しさなのだ。団長、すみません。入団して間もないこんなヒヨっこではありますが、貴女の意に反抗します。
「ム、ムーノ? 何してくれちゃってるの……? ほ、ほら、早く団長に謝って……! デリスさんはついででいいから、まずは団長っ! 空気読めないにもほどがあるよ!?」
「……申し訳ありません、団長。ムーノは今月に入団したばかりで、デリス殿を知らないのです。どうか、寛大な配慮を」
カノンも耳打ちで私を心配してくれる。ダガノフ隊長が、こんな私を擁護してくれている。ああ、やはり魔法騎士団は高潔で、温かな場所だった。先行く私を許してくれ。
「ふふっ、寛大も何も、ムーノの言う事はもっともじゃない。それに、最初に言ったわよね? 力量を確かめ合うって。ちょっとした模擬戦をしましょう。私がハルナの力を測るから、ムーノはデリスの相手をしてあげて。そこまで言うのなら、自分で実力を確かめてくれるわよね?」
こ、これは――― ネル団長との共同任務っ!? 思わぬところで、ネル団長から援護を受ける事になってしまった。あのハルナという少女は私に任せて、デリスの糞野郎を抑えろ。そういう事なのですねっ! ええ、分かりました。理解しましたともっ!
「承りましたっ! このムーノ、見事ネル団長の期待に応えてみせましょう!」
心なしか、デリスが私を嫌そうな目で見ている気がする。そう、決意を固めた男は強いのだ。それをデリスは理解しているのだろう。勝機が僅かに開かれた瞬間、まさしくこの時がそうだった。
「俺じゃなくてハルでいいだろ。弟子が力を証明できれば、その師もまた然りだ」
「ええっ、そんなっ! 師匠、私の相手はネルさ―――」
そんな私の意図を、デリスは汲んだらしい。手負いの獣である私を恐れたのか、デリスはあろう事か少女に相手をさせようとした。見ろ、少女も酷く動揺しているではないか。心優しきネル団長であれば手加減ができるだろうが、今の私は心を鬼にしている。少女であろうと、とてもではないが手加減できる状態ではないのだ。何て卑怯な奴だっ!
「……まあ、それでもいっか。ハルナ、ムーノ。もうここで良いから勝負なさい。真剣に、ね?」
ネ、ネル団長、そこまで私を信頼して……! くっ、承知しました。このムーノ・スルメーニ、少女に怪我をさせぬよう、華麗に勝利して見せましょう!
私と少女は向かい合い、互いに構える。少女は杖を持つ訳でもなく素手だ。ならば、私も学院で鍛え上げた魔法をお見せするとしよう。
「はい、それじゃあ始めっ!」
「安心しろ、痛みなく終わらせ―――」
「―――すみませんっ!」
私の記憶が途切れたのは、手合わせを知らせるネル団長の美声を聞いた直後の事だった。