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第43話 憧れはどこまでも盲目

 私の名はムーノ・スルメーニ。伝統と格式あるアーデルハイト王国の貴族、スルメーニ家の次男である。昨年に魔法学院を優秀な成績を残して晴れて卒業し、我が誇りである魔法騎士団に入団する予定だったのだが、ちょっとした事務手続きの手違いで日取りが遅れてしまったのだ。全く、私の華々しい門出に泥を塗ってくれるとは、何たる侮辱か。ここ最近の怠慢は酷いものがあるとは聞いていたが、まさかここまでとは……!


 だが、これもまたスルメーニ家に課せられた試練だと思えば我慢できる。この程度であれば、まだ我慢できる。しかし、しかーし、アーデルハイト最強と謳われるネル・レミュール団長を惑わす、この男だけは許す訳にはいかない! その弟子と抜かすこの小娘も、唐突に現れたあの少女もだ!


 昨年の卒業祭にて賜ったネル団長の訓辞に感動し、魔法騎士団を目指した私だからこそ、尚更頭にきてしまったのだろう。黄金の髪をなびかせ、学生であった我々1人1人に高潔な眼差しを向けてくださったネル団長は、それはそれは気高く美しく、それでいて皆の憧れの対象だった。正に騎士の鑑、国を護る崇高なる花。汚い思想が渦巻く貴族社会に生を受けた私には分かるのだ。断言できるのだ。


 入団の手続きをし終えた私は、逸早くネル団長に挨拶しようと胸を躍らせていた。向かうは騎士団本部の団長室。新たに入団したのなら、新人である私が挨拶に向かうのはごく自然な事だ。願わくば、魔法や剣の手ほどきを受けたりして、などと若干下心があったのは否定しないが、兎も角私は心を躍らせながら向かったのだ。


 しかし、団長室にネル団長はいなかった。代わりにいたのが、今私の横にいるこのカノンである。その時、こいつはなぜか部屋の掃除をしていた。


「ネル団長? ああ、今は何人か騎士を引き連れて遠征に出掛けているよ。ところで君、学院で一緒に卒業したムーノ君じゃない? 一緒の職場に就くなんて奇遇だね。覚えているかな? 僕、カノンっていうんだけど」


 覚えていない筈がない。私よりも歳が1つ下でありながら、卒業祭にて私を破った男。平民上がりでそこまでの才能を持っていた点は評価できるが、卒業祭に出た時点で騎士団を目指している事は理解できるだろうに。相変わらずどこか抜けている男だ。だが、心のどこかでライバルと認めている自分もいる。ふむ、ここで出会ったのもやはり運命だったか。そう思う事で私の心はどこか高鳴りを感じた。


 聞けば、今はネル団長直属の雑用を任されているらしい。何とうらやまけしからんっ! しかし、だからこそ我がライバルに相応しい。その座、いつか我が物としてみせる! 備品から机まで、全てピカピカに磨きあげてくれる! その日から私は、した事もない掃除の勉強を家の使用人から学び始めた。


 ネル団長は不在、ならば帰還された際に出直すしかあるまい。団長が帰って来たのは、それから3日後の事だった。ネル団長はこの遠征で国境近くに住み着いたレベル5相当のモンスターを駆除された。それも犠牲者を出さず、殆ど単独で。レベル5のモンスターともなれば、一国の騎士団が徒党を組み、全滅覚悟で挑む強敵。何という偉業だろうか。この成果に隣国から感謝状と勲章を授与したいとの連絡があったそうなのだが、ネル団長はこれを断ったという。流石は我らがネル団長、仕える先はアーデルハイトだけと、愛国心にお厚い。


 これは私も直接出向き、是非ともこの口でお祝い申し上げたい。そう頭で考えていると、私の足は既に団長室へと向かっていた。


「ネル団長? 遠征から戻った後は暫く休むってさ。休暇の届を王様に出して、そのまま帰っちゃったみたい」


 休み、だと……!? な、何という事か。もしや、ネル団長は怪我を負われたのではないだろうか? 唐突な休みだ。王に直に申請して、許可が下りたとなればその理由も頷ける。これは、見舞いに行かなくては! しかし、ネル団長の住まいが分からない。仕方ないのでカノンに聞いてみる。


「ネル団長の? うーん、休みの日は家よりも、デリスさんの所にいる可能性が高いんじゃないかな」


 ……待て、待て待て。誰だそれは? 団長の御友人か?


『それは僕の口からは何とも。まあ、いつもそんな感じだし、そういう事なんじゃないのかな? 昔からの付き合いみたいだし』


 いつも、そんな感じ……? 昔からの、お付き合い……? ハァッ!?


 純白であったネル団長の肖像画に、ド素人が絵具を塗りたくったかの如くの不快感。万にも届きそうな鉄槍が、心臓を貫いたかのような痛みが私を襲う。


 おい、カノン! そういう事って、そういう事なのかっ!? どういう事なのっ!? カノンの肩を激しく揺らし、私は問い詰めた。羞恥心を捨て去り、聞き出そうと全力で動いた。


「だ、駄目だって! それを口にしたら、僕がネル団長に殺されるよ!」


 ネル団長に殺される……? 詰まり、そこまでして公にしたくない事柄なのか? あの高潔なネル団長が隠し事をするなんて、ただ事ではないだろう。まさか、そのデリスとやらに何か弱みを握られているっ!?


 私はいても立ってもいられなくなり、水面下でこの件についての調査を独自に行った。それとなく、それとなく、ネル団長の耳に入らぬ程度に――― 結果として騎士の先輩方、それどころか同年輩の者ら(入団したのは私よりも早かったが)まで、知っているけど言葉にはできない、といった感じだったのだ。何という事だ、魔法騎士団全体がデリスの手の上、それほどの秘密をデリスが持っていたとは……!


 も、もしや、ネル団長は我々を庇う為に、自らデリスの毒牙に? おお、おいたわしや! そして、何とお優しい事か。もはや彼女は女神、そう、女神ではないかっ!


「ムーノってさ、たまに物凄く馬鹿だよね」


 私の動きに気付いたのか、カノンからそんな忠告を受けた。流石は我がライバル、油断ならない。ネル団長でも敵わぬ相手に逆らおうというのだ。馬鹿だと罵られても仕方のない事だろう。だがな、私はネル団長をお救いしたいのだ。例え、この身が滅ぼうともっ!


「でもさ、ネル団長の反応を見れば直ぐに分かると思うよ? 逆に分からない方が不思議――― あ、そうか。ムーノはまだ団長に会ってないもんね。丁度次の遠征、僕と君が行くの決まったみたいだし、そこで確かめなよ。ハァ、嫌だなぁ……」


 ……なるほど。遠征と称して、ネル団長との会談を秘密裏に取り持ってくれるというのかっ! カノン、お前はライバルであり親友だっ! その溜息は「やれやれ、これっきりだぜ?」みたいな意味合いが含まれているのだろう。分かる、分かるぞっ!


 カノンの協力に感動するのも束の間、問題が発生した。ネル団長に弟子ができたというのだ。ヨーゼフ魔導宰相が連れた怪しげな少女の誘いを断った、あのネル団長にだ。この件に関してもデリスの糞野郎が関わっているに決まっている。ネル団長に不審な動きがないか監視させる為、無理矢理に弟子として置かせたのだろう。卑劣な、何と悪徳非道な輩なのだ……! こいつはきっと、街でもそのように言われているに違いない。


 デリスの配下である謎の弟子、悪の権化デリス。カノンが設けてくれたせっかくの機会、無駄にはしないぞっ!


 ―――遠征前日。今日は遠征のメンバーで顔合わせをするらしい。兵舎の入り口にて待つは、私とカノン、そしてダガノフ騎士隊長だ。ダガノフ騎士隊長がなぜここに? そう考えようとしたが、若手である我々だけでは戦力として心もとないだろうと、カノンが勇士を募ってくれたのだと直ぐに分かった。ダガノフ騎士隊長は情に厚く、気高い愛国心を持つ尊敬すべき騎士。ああ、納得だ。そしてありがとう、親友……!


「おはよう、早いわね」


 まさか、ネル団長の私服を目にする事ができるとは……! ああ、いや失礼。遂に私は団長との再会を果たしたのだ。落ち着け、落ち着け。まずは挨拶からだ。そう思い口を動かそうとした矢先、ネル団長の美声が響く。


「あと、デリスとハルナの2人も遠征に参加する事になったから。カノン、人数分の準備よろしくね」

「え? あ、はいっ!」


 予想もしていなかったその言葉に、私達は驚いた。まさか、デリスに気取られていたとは。

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