第38話 抱き枕
―――修行6日目。
真夜中に少し催して、うつらうつらと目を覚ましてしまった。窓の外を見れば、まだ月も空に昇ったままの時刻。いつも朝までぐっすりと睡眠を満喫する俺にとって、かなり珍しい事だった。歳をとると夜中に目覚めやすくなるというが、俺もそんな歳になったという事だろうか…… う、軽くショックだな、それ。快眠スキルよ、ハルのように存分に働きたまえ。何、遠慮する事はない。俺が許す。
「……馬鹿やってないで、さっさと寝るか。トイレトイレ~っと。ん?」
トイレに行こうとベッドを降りようとする。が、ここで違和感。布団に自分のものではない温もりを感じるのだ。これはまるで、布団に猫が入っていて温かくなっていたとか、酒を飲み過ぎた翌朝に隣で女が寝ていたとか、ああ、あれは本当に心臓が止まるかと。兎も角、そんな印象の――― いや、現実逃避は止めよう。俺は大人だ、どんな不条理だって真正面から見据えてやる。
「お前、俺のベッドで何してんの?」
「くぅー……」
寝てる。ハルが気持ち良さそうに俺に抱きつき、俺のベッドでなぜか寝てる。寝間着のジャージ姿はいつもの事だが、ポニーテールでなく髪を下ろしているのは新鮮、でもないな。風呂上がりはよく見てるし。
話が逸れた。問題はなぜハルが俺に添い寝しているかという点だ。こんなところを誰かに知られでもしたら、アニータが喜んで拡散させる事だろう。それはいかん、悪徳非道のデリスさんのイメージが崩れる。流石にロリコンよりは、まだ悪徳非道の方がマシだ。
「おい、ハル。起きろー」
頬を突く。まずは俺の腕に回した手をどかせこの野郎。
「……ぅにぃー」
執拗にハルの頬を突っつくも、理解不能な寝言を呟くだけで起きる気配がない。こいつ、全力で寝てやがる……! こうなれば実力行使だ。ほっぺたを引っ張る!
「ふぇー……」
「……起きねぇ」
ハルのほっぺを縦横無尽に引っ張るも、すやすやと心地良さそうに眠るハルの寝顔に変わりはない。何かもう、ただ単に俺がハルの頬の感触を楽しんでるだけ、みたいになってる。確かにハルの触り心地は癖になる柔らかさだが、俺はそれを目的としている訳ではない。朝はきっかり時間通りに起きる癖に、なぜ今は起きないのか? 仕方ない、強制的に起こすとしよう。
「―――オールキュア」
「……ふぁ?」
睡眠を状態異常として、光魔法で治療してやる。こうすればいくら夢の奥深くにいようとも、問答無用で起きてしまうのだ。
「あ、師匠ぅ~…… おはよーございまぁす……」
「はい、おはよう。早速だがハル君、そこに正座しなさい」
「へ……?」
状況をよく分かっていないハルの手を解き、ベッドの上に正座させる。こうなるまで気が付かなかった俺も悪い。よって事の深刻さをできるだけ伝える為にも、俺も同様に正座だ。一応、もう1度オールキュアを掛けてやり、眠気を完璧に飛ばしてやる。
「ハル、何でこのベッドで俺と添い寝してるのかな? 夜這いか?」
「いえ、これには深い深い、私が考えた上での理由がありまして」
「ほう、その深い深い理由とは?」
「ズバリ、快眠スキルを効率よく上げよう作戦です!」
「………」
無言でハルの額に手を当て、熱がないか確認する。
「師匠、私風邪とかひいた事ないです」
「あ、俺の意図は汲んでくれたのか。確かに熱はないようだ――― マジで?」
「マジです。えへん」
お前、どんだけ健康優良児なんだよ…… 馬鹿は風邪をひかないから? いや、徹底的な健康管理とハルの健全な肉体がそうさせているのか。その辺りも全力疾走していたんだろう。
「ハルの凄さは良く分かった。けどな、その快眠スキルを何とやら作戦って何だよ?」
「快眠スキルを効率よく上げよう作戦、です!」
そこ拘るのな……
「私、気付いたんです。他のスキルに比べて、快眠スキルだけが伸び悩んでいる事を!」
「うんうん、それで?」
伸び悩んでねぇよ。十分凄ぇよ。そんなツッコミをしたかったが、今は堪えて続きの言葉を待つ。
「その理由を突き詰めて考えた結果、私はある事に気が付いたんです。この世界に転移する前の睡眠と比べて、寝ている時に異なった要素が1つだけあった事に!」
「ふんふん、それは?」
「それは――― 愛犬のペロです!」
「……は?」
愛犬、犬、ペット?
「私、寝る時はペロを抱き枕にして寝ていたんです。こう、軽くぎゅーっと。ここ最近は快眠スキルのお蔭であまり意識していませんでしたけど、やっぱり慣れ親しんだ寝方をした方がレベルも上がりやすいかなと思いまして」
「……それで、俺をペロの代わりにしようと?」
「はい! 師匠の腕は丁度ペロと同じくらいの大きさですし、温もりも良い感じでってあいたっ!?」
チョップ、チョップ。ハルの頭にチョップ。
「うう、痛かった……」
「ハルの行動力がたまに怖くなるよ。お前な、師匠を犬と同列に扱うんじゃねぇよ」
「あぅ、すみませんでした……」
「そもそもだ、仮にもお前は花の女子高生だ。そんな貧相な体をしていても女の子なんだ。俺みたいなおっさんと安々と同じ寝床で寝るもんじゃありません。世の中にはな、特殊な性癖の人だっているんだぞ? 灰縄の屋敷で見ただろうが」
「はい……」
「全力で取り組む事は良い事だ。だけどな、場合によっては節度を守る事も大事なんだ」
それはブーメランじゃないかって? 場合によっては、と言ってるじゃないか。ちゃんと。
「師匠はその、嫌でしたか?」
「嫌ではないけどさ…… 誰彼構わずそういう事をするのは良くないぞ?」
「私だって誰に対してもこんな事はしませんよ! その、師匠だからしたんですっ!」
げっ、その展開は止めろ。関係が面倒臭くなる!
「お父さんみたいな感じでっ!」
「……お父さん?」
「はい、お父さんです」
そうかぁ、お父さんかぁ。予想した展開とちょっと違ったけど、これはどうなんだろうなぁ。女子高生のお父さん代わりって、何か不穏な響きもあるんだよなぁ。アウトか、セーフか……
「ちなみに、俺に添い寝してみてどうだった?」
「凄く快適でした! お布団に入った瞬間に寝付けましたし、安心して眠れました! 快眠スキルに師匠の抱擁、これはもう最強ですね!」
力説するハルを見るに、効力はあったらしい。別になくとも寝付きは頗る良い方だと思うが、1日くらいは様子を見ても良いかもしれない。
「……なら、今日だけ添い寝まで許す。これからは前もって言えよ?」
「本当ですか? わーい、師匠大好きっ!」
「だぁ、抱きつくな! 勘違いされるだろ!」
「……お父さん、大好き?」
「もっと勘違いされるわっ!」
かくして、経過観察の為にも今日は一緒に眠る事となった。俺が起きた時と同じ姿勢になった瞬間、ハルはすやすやと寝息を立て始める。寝付きが良いってレベルじゃねぇぞ。逆に俺は目が冴えてしまい、なかなか寝付けず。快眠スキル、仕事しろ。
―――そして翌朝になり、快眠スキルの上昇具合を見て2度びっくり。添い寝は効果覿面である事が実証され、それ以降はハルと一緒に眠る事になってしまった。ハルと一緒の時間に寝るようになる。これは詰まり、早寝早起きの健康生活の幕開けである。