第35話 悪徳非道
意外にも一瞬だったその戦いは、佐藤が部屋の天井部に突き刺さる事で終わりを告げた。後に残るはドヤ顔のハルのみである。
「開始から終了まで、大体10秒だったな。戦ってみてどうだった?」
まだ佐藤らが息をしているのを確認しながら、ハルに感想を聞いてみる。うわ、佐藤君やべぇな。
「思っていたよりも弱かったです。よく分かりませんでしたけど、何か焦っていたようですし……」
見ていた通り、ハルにとっては物足りない相手だったようだ。
「師匠、回復してあげるんですか?」
「んー? まあ、な」
ハルが扉をぶっ飛ばして被害を被った田中、左肩に突き刺さった毒石の痛みで失神した高橋、顔面が見るも無残な状態になっている鈴木、そして、最も酷い有様だった佐藤に死なない程度の回復魔法を施してやる。ハルはそれを不思議そうに見守っていた。
「……なんだよ?」
「いえ、師匠って敵にそんな慈悲を施す人でしたっけ? ……っ! さては、偽も―――」
「―――おい、お前の中で俺はどんな悪逆非道な人物なんだよ?」
だからそのボクシングの構えを解きなさいと。お前の迅速な行動に師匠は泣きたくなってくるよ。
「あ、その気怠そうなツッコミは本物の師匠ですね。失礼しました!」
「……割と本気で怪しんだな?」
俺としてはクラスメイトをこうも簡単に
「死んでるよりかは、生きている方が国からの報酬が高いんだよ。こんな状態だし、夕食のおかずは一品でも多い方がいいだろ?」
「なるほど、それなら納得です」
「納得してくれて何より。主戦力っぽいこいつらは蹴散らした事だし、残るは残党と頭目のトロンだな…… ハル、後は1人で適当に片付けてくれ。頭のハゲた脂ぎったおっさんがトロンだから、そいつだけは生かしておけ。同じ理由でミッドナイトに売るから」
「ハゲに脂肪、ですね…… メモメモ。師匠はどうするんですか?」
「俺はこいつらの回復が終わり次第、地下にいる誘拐された少女を助けに行く。この伊藤君とやらと、奴隷の子も連れて行かないとだしな」
そう言って、床に寝かした気絶中の伊藤、布を被せた奴隷少女を指差す。少女は動揺から大分落ち着きを取り戻したのだが、彼は未だに夢の中にいたのであった。
「了解です! それでは残党の殲滅、トロンさんの捕縛に行ってきますっ!」
元気に部屋から駆け出して行ったハル。ややして扉が粉砕される音と、野太い悲鳴が聞こえてきた。後で隠密行動というものも教えてやろう。
「さて……」
死なない程度に治療した佐藤ら4人を伊藤の隣に並べ、ジャラジャラと鎖の音を奏でる、とある物をバッグから取り出す。ああ、そうだ。折角だから、この子にも聞いておくか。
「なあ、君。ちょっといいかな?」
顧客に対する営業スマイルを顔に貼り付かせて、俺は奴隷の少女に声を掛けた。
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「ん、んん……」
ぼやけた意識が少しずつ覚醒していく。長時間ゲームをして寝落ちしてしまった際の、あの感覚。あまり心地好くない目覚めだ。えっと、僕は何をしていたんだっけ? 酷く頭が痛いし、胸やけもする。確か、佐藤達に命令されて――― あ。
「は、悠那ちゃん!?」
悠那ちゃんとの運命的な出会いを思い出し、無意識にその名を呼んでしまった。
「いいえ、その師匠です」
「……っ!?」
しかし目の前にいたのは、悠那ちゃんと一緒にいたあの男だった。相変わらず僕に向けるその目はどこか死んでいて、まるで興味を持っていないかのようだ。
「うわあっ!」
「何だ、大声も出せるんじゃないか、少年。その調子で頼むよ」
「えっ、ええっ?」
状況がまるで理解できない。僕が気を失ったあの後、一体どうなったんだ? 確か、悪を根元から断つとか何とか言って…… いや、それよりもここはどこだ?
辺りを見回すと、そこは牢獄の中だった。壁に立て掛けられた蝋燭の火だけが照明になっていて、窓はなく薄暗い。床も壁も全て石造りで、非常に冷たい印象の部屋だ。だけど、どこかで見覚えが―――
「―――ここは、地下の?」
そう、ここは誘拐した少女や、奴隷の住処である地下収容所だ。ただ、僕の記憶にある光景と違っている所もあった。牢獄の中の壁にぶら下がる手錠、そこに収められていたのは悲運の少女などではなく、自分だったのだ。
「あ、あの…… これは何の、冗談ですか?」
「何のって、君だけ仲間外れにするのは可哀想だろ?」
男は僕の隣に視線を向けた。僕も釣られてそちらを向くと、佐藤や鈴木、田中や高橋までもが、僕と同じ格好で捕まっていた。瞳を開けて頻りに男を睨み付けている事から、意識と戦意はあるらしい。ただ、口を縛られていて、話す事はできないようだ。
「さて、お友達が目覚めたところで、本題に行こうか。君達は現在、この国から秘密裏に指名手配されている。まあ、当然だよな。王城から脱走したんだ」
動揺する僕の心境なんて関係ないとばかりに、男は勝手に話を始めてしまった。
「おまけに城下町から少女を複数人誘拐、暴行、国が規定する法を無視した奴隷への越権行為――― これだけでも死罪は免れないが、スラムでも好き放題やってたみたいだなぁ。ミッドナイトもカンカンだったよ。普通には死ねないな、これは」
僕たちに罪状を読み上げるように、男は淡々と話していく。あ、あれ? これ、もしかしなくても、僕も含まれている……?
「ぼ、僕はやってません! それは、全部佐藤達がやった事です!」
「ンン、ンーーー!」
佐藤が猿ぐつわ越しに何か叫ぼうとしているけど、今はそんな事は関係ない! 悪いのはこいつらだけで、僕は本意ではなかったんだ!
「ん、そうなのか?」
「悠那ちゃんにも喋りましたけど、僕は無理矢理連れて来られただけなんです。だから、僕は何も悪い事はしてないんです!」
そう、罪は全部佐藤達に擦り付ければ、全ては丸く収まるんだ。そして、僕は城に戻りやり直す。そうすれば、また悠那ちゃんと―――
「でもなぁ、国はお前ら全員を抹殺したがってんだよ。下手に情報が回らないうちに、迅速にな。もちろん、その中には伊藤君も漏れなく含まれてる。君、その少女に手を出しただろ? ここに捕まってた子達全員に聞いたよ。君らの中に、殺してやりたい奴はいるかって。見事に伊藤君にも矛先が向いた。やるねぇ」
「―――は?」
え、ええっと……?
「だからさ、君らの心中なんてどうでもいいんだ。経緯はどうであれ、君は無断で城を抜け出した。君ら自身が国の機密の塊だからね。機密を持ち出した犯罪者には罰が下る。ほら、自然な流れだろ?」
この男が何を言っているのか、理解できない。いや、理解したくなかった。くだらない佐藤の言い付けを聞いただけで、何でそんな事になる? 僕は、僕はこんなところで死ぬべき人間じゃないのに……!
「ンン!」
「ンーー、ンーー!」
佐藤達も最後の抵抗なのか、力の限り暴れている。だけど、手錠は外れないし、叫びの1つも上げられない。1番強い佐藤でこれなのだから、僕なんかが頑張っても意味はない。クソ、クソッ……!
「まあまあ、そんな顔しなさんな。そこでだ、巷で優しいと定評のあるお兄さんが、1つ提案しよう」
「……?」
男は含みのある笑顔で、牢の扉の前に歩いて行く。その笑顔がなぜか、物凄く気持ち悪く感じた。そして男がパチンと指を鳴らすと、どういう訳か僕の手を縛っていた手錠が外れた。佐藤達も同じようで、猿ぐつわまで外れている。
「お前らの横に箱があるだろ? 佐藤君の剣はハルが壊してしまったから代用品だが、他は各自が愛用してる得物を持って来てやった。さ、拾え」
男の言う箱を覗き込むと、僕の杖や鈴木の剣が入っていた。佐藤は逸早く剣を取り出して、男に対峙する。
「……てめぇ、どういうつもりだ?」
「何、最後のチャンスをあげようと思ってさ。今、この地下には俺達しかいない。詰まり、俺を倒せば運良く逃げられる可能性がある訳だ。 ……あとは説明しなくても、分かるだろ?」
男はご丁寧にも牢の鍵を開けてくれた。男を倒してここを抜ければ、自分達は助かる。彼はそう言ってるんだ。
「で、でも、何で? わざわざ自分に危険が及ぶような事を……?」
「理由か? 別に大した事じゃないぞ。なぜか知らんが、お前らハルを怖がって無残な戦いぶりだったからな。お前達勇者候補の本来の力を測るのが1つ。あとはまあ、俺自身の運動不足解消かな? ハルと組手するにも、そろそろ本腰入れないときつくてさ。いやぁ、この歳になって長いブランクが空くと辛い辛い」
「「「「「………」」」」」
欠片の悪気もない様子で、男はそう話を綴った。僕だけでなく、佐藤らも開いた口が塞がらないようだ。だけど、そんな沈黙は長くは続かなくて。
「ふ、ふっざけんなぁーーー!」
口々に罵りながら、佐藤が男に向かって行く。まさに鬼気迫る表情、佐藤が他校の不良に恐れられる所以だ。それでも男の表情は変わらず、申し訳程度に右手を前に突き出した。すると、佐藤の右足が吹き飛んだ。いや、消え去った? 兎も角佐藤は右足をなくし、無情にも冷たい床にその身を伏した。
「い、いってぇーーー!?」
地下だから、佐藤の叫びがかなり響く。だけど、自分の心臓音の方がよく聞こえた気がした。
「……あれ? 君らも来ないの? おーい」
こんな状況で行ける筈がない。男の足下に転がってる佐藤が、全てを物語っているじゃないか。絶対に、勝てないと。
「おいおい、少しはやる気出してくれよ…… まあ、運動不足解消と言った手前のこれだからな。分かった、魔法は使わない。これでどうだ?」
「この、クソ野郎が……!」
こんな力の差を見せ付けられて、まだ怨み事を言える佐藤は根性があると思う。だけど、僕には―――
「ああ、そうだ。伊藤君」
唐突に、僕の名前が呼ばれた。
「君、ハルの事が好きだろ? 悪いな、狙っていた子を先にとっちゃってさ」
「……は?」
この男は、何を言っている?
「ハルは今、俺と一緒に暮らしているんだ。1つ屋根の下、同棲ってやつだな」
「……っ!」
考えたくもない事を、思い描いてしまった。だけど、沸々と、怒りが込み上げる。
「ハルの手料理は格別でさ。毎日食べても飽きないくらいだよ」
それは、それは僕が、毎日食べたいと思っていたお弁当の、あの―――
「いやぁ、本当に悪いねぇ、伊藤君。ハルを、
僕の中で、何かが切れた。それからは僕は男に立ち向かい、歪な笑みを前に―――