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第30話 カチコミ

 灰縄の屋敷はスラム街の丁度中心地に当たる場所に建っている。居場所を悟らせないミッドナイトの行動様式とは真逆に、まるで自らがこの地の王であると宣言するかのような派手な建物だ。スラムにおいて無用な着色がされているのは、ここくらいなものだろう。


 煌びやかな雰囲気に反して、灰縄の番兵以外には人の気配が少ない。これは灰縄に所属するギャング達に粗暴な者が多く、下手に目を付けられれば厄介事に絡まれるからである。スラムに住む人々は、わざわざここに近づこうとはしない。ましてや屋敷を囲う塀は高く、幾つかある見張り台には弓矢を携えた見張りの姿が見える。屋敷というよりは要塞に近いこの正門を通るのは、灰縄の関係者くらいなものなのだ。


 ―――普通に考えれば、だが。


「やあ、お兄さん達。こんにちは」

「こんにちは!」


 まさか番兵達もこんな真昼間に、正面から堂々と声を掛けられ、挨拶されるとは思っていなかっただろう。あまりに予想外な行為だった為、数秒間固まってしまったほどだ。辛うじて確認できたのが、挨拶してきたのは男女の2人で、揃って魔法使いのローブを着ている事だった。父親と娘、にしては男の方が若過ぎる気もする。どちらにせよ、そのどちらも満面の笑顔なのが不気味だった。普通、この辺りを通る者は顔を伏せ、笑みを見せるどころか視線も合わせようとしないものなのだ。


「ここって灰縄のトロンさん宅で合ってるかな?」


 そんな番兵の反応なんてお構いなしに、男の方が屋敷について訊ねてきた。これも番兵にとって予想外な行動で、混乱に拍車をかける事に繋がったようだ。この時間に客なんて来る予定あったか? などと番兵2人はアイコンタクトで憶測を送り合うも、望ましい結果は互いに得られない。あまりに返答が遅いからか、オレンジローブの少女が首を傾げ始めた。


「おいおい、無視するなよ。ここはトロンさんのお宅なの?」


 今度は男が語尾を強め、若干威圧的に言葉を発した。これが本当に客であれば事である。番兵達は状況を飲み込んだのか、漸く口を開くのであった。


「……あー、そうだが。客人か?」

「ああ、違う違う。一応、ちょっと確認したかっただけだよ」

「「は?」」


 客ではない。なら、何だと言うのだ。まさか、観光客なんてオチなのか? 男と少女の存在を不審に思う番兵に、見張り台の弓兵達も何事かと怪しむ視線を送り始めている。


「ハル、最終確認だ。俺は基本手を出さないから、やれるところまでやってみろ。こいつら全員悪人だから生死は問わない。まあ、その辺は任せる」

「了解です! あ、私達カチコミなので、その辺よろしくお願いしますっ!」

「「……は?」」


 突然、可憐な少女に笑顔でそんな事を言われれば、誰だって固まるだろう。少女にとっては形式美として宣言しただけだったのだが、思わぬところで隙を作らせてしまったようだ。まあ、生涯に渡り手を抜く事を止めた彼女だ。だからといって容赦はしないのだが。


 カチコミ挨拶の次の瞬間に番兵の腹部に放たれたのは、死の宣告を伴った掌底だった。骨を砕き、スローモーションで見れば体の半分にまで潜り込んでいる事が分かる拳。番兵の片割れは血を吐きながら吹き飛ばされ、後方にあった屋敷の門口に衝突した。


 ―――ガシャン!


 屋敷の扉は放り投げられた人の弾丸によって粉砕され、大きな音を立てながらその役目を終えてしまう。残った方の番兵も迂闊だった。吹き飛ばされた者を目で追ってしまったのだ。


 その時、少女は既に番兵の懐に入っており、次なる攻撃を放ち終わっていた。彼の顎に当たったのはアッパーカット。これもまた相手を首の骨から砕き、宙に舞わせるほどの威力が篭められていた。虚ろとなった番兵の瞳が一瞬、見張り台の者と見合う形となった。その後、ドサリと命を失った人型が地面に落ちる。


「て、敵襲ー!」


 逸早く正気に戻った見張り役が、声を上げる。正門側からは4つの見張り台があり、そのいずれにも1人2人の見張りが弓を携えていた。叫びを聞きつけたその者らは、番兵を瞬殺した少女と後ろの男に向かって矢を放ち出す。


「―――ピッチャー返しからの、捕球!」


 少女がよく分からぬ言葉を発している。が、その事自体は見張り達が驚く事ではなかった。真に驚くべきは、少女が放った矢を全て掴み取ってしまった事だ。まるで矢の軌道が見えているかのように、彼女に当たる直前で矢柄をキャッチしている。


 男の方も不可解だった。放たれた矢は男をすり抜けて、地面に突き刺さってしまうのだ。いくら撃とうとも結果は同様、男は腕を組んだままこちらを見ようともせず、ただ少女がどうするかを見守っているかのようだった。


「な、何なんだ、あいつらっ!」

「ガァッ!?」

「え……?」


 見張り台の隣にいた同僚が、急に変なうめき声を出した。そちらを向くと、同僚の首には先ほど射ったと思われる矢が刺さっているではないか。しかも、矢には泥のような土が塗られていて、それに触れた肌が僅かに変色していた。


「ま、まさかっ!?」


 急いで少女の方に振り返ると、眼前には矢が浮かんでいた。いや、浮かんでいたのではない。少女によって、放り投げられたのだ。自身に射当てられる寸前、矢の背後で少女が別の見張り台に向かって、掴んだ矢を投げている様子が見えた。弓よりも正確に、弓よりも速く投じられたそれらは、見張り役の首や左胸に向かって寸分違わずに飛んでいった。


 なぜそこまでの描写を理解する事ができたのか、ああ、これが死ぬ直前だからか。と、頭の中で自己解決した彼もまた、同じ道を辿っていった。


「ぐう、あっ……」


 見張り役の中には、たまたま前に突き出した腕に矢が当たった者もいた。木製矢であるにも関わらず、鉄のように重いそれは、腕を貫通して最初の狙い目であった心臓へと達する。死の直前、体の中を貫通した矢が、スッと軽くなったような気がしたが、それはもう彼にはどうでもいい事だった。


「魔法は、投げるものっ!」


 見張りを全滅させたオレンジ色のローブが眩しい少女が、またよく分からない事を喋っている。


「お前限定だけどな。さ、準備運動は終わったし、本番に行きますか」

「はい、師匠!」

「そうだ。折角だから、杖の練習もしておけ」

「あ、そうですね。えーと、杖杖―――」


 腰のポーチから黒き長杖を取り出した少女が、あたかも魔法使いであるかのように装っている。屋敷の1階内部で隠れながらそれを観察していた灰縄の組員達は、全身に嫌な汗を流していた。ものの1分もしないうちに、外の戦力が無力化されてしまった。襲撃からまだ時間はそれほど経っておらず、全体に連絡も行き届いていない。今屋敷のエントランスに集まった十数名で、果たしてあいつらを打倒できるのか?


 彼らは自分達よりも弱い相手を好んで仕事をしてきた為、ここまで圧倒的な存在に喧嘩を売った経験がなかった。手が震え、喉が渇く。恐怖に蝕まれた心では力は発揮できず、どうしても他力本願になってしまっていた。新しく入ったあいつらなら、早く来てくれ。早く来てくれ――― 今や、そう願うばかりなのだ。恐怖でそこまで頭が回らなかっただけだが、持ち場に残ったその気概だけは大したものだといえるかもしれない。


「お邪魔します!」

「いや、そこは挨拶しなくても―――」


 しかし、それよりも早く少女と男が扉跡の境界を跨いでしまった。ここまできたらやるしかない。男が言葉を言い終わるよりも速く、壁際の両脇に隠れていた組員2人が、鉄斧を先頭を歩く少女に振り落とす。


 ―――バキィン!


 叩き付けた筈の2つの鉄斧は、少女の打ち振るった黒杖に弾かれて組員の手から離れてしまう。吹き抜けの天井にまで至った鉄斧はそのまま2階の壁にぶつかって、1階には戻って来なかった。


「ほら、ちゃんと挨拶が返ってきたじゃないですか」

「む、確かに」


 指が折れ、悶え倒れている組員の横で、少女はドヤ顔でそう言った。

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