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第29話 脱走

 悠那のクラスの生徒がこの世界に転移した翌日、アーデルハイトの王城から5人の少年達が消えた。その生徒は不良グループに所属していた佐藤、鈴木、高橋、田中の4名と、普段から彼らのいじられ役だった伊藤だ。行き成りの失踪にヨーゼフなどは頭を悩ませていたものだが、他の生徒達は粗暴な彼らのグループに良い印象を抱いていなかった為、逆にホッとしている者が多いくらいだった。尤も、気弱な日陰者の伊藤が一緒に消えた事に、何かしらの思うところはあったようだが。


 城から抜け出す計画を立てたのは、クラス内で不良達のリーダーであった佐藤だ。彼は自己主張が強く、勇者として人気を博した塔江晃とうえあきらの存在が許せなかったのだろう。晃を何かと優遇するヨーゼフと、規律に縛られるこの生活に早々に見切りをつけ、佐藤は彼の取り巻きである3人、そしてパシリとして使っていた伊藤を招集して脱走を図った。元々佐藤と同じ気質だった3人は直ぐ様に賛同、伊藤は迷っていたようだが、無理矢理に言う事を聞かせ付いて来させた。


 魔法騎士団の主力が遠征中、そして今ほど警備が厳しくなかった事もあるが、城からの脱走は容易な事ではない。佐藤は剣士のレベル4、鈴木は戦士、高橋は魔法使い、田中は商人、伊藤は僧侶の各レベル3だ。佐藤は腕が立つものの、他の生徒達は能力が特出しているという訳でもない。だが彼らは誰にも発見される事なく、城を抜け出す事ができた。


 ―――転移した事で得た副産物、佐藤の固有スキルを使う事で。


 無事に城を抜け出したはいいが、彼らはまだこの世界についてよく理解していない。迂闊に街中をうろつけば兵士に見つかるだろうし、かといって城下町の外は完全なる未知の世界だ。この世界の貨幣を所持していなかったのも痛かった。佐藤らは城を抜け出す事に必死で、その後の事を考えていなかったのだ。唯一それを想定していた伊藤は自分から意見する立場になく、それからは場当たり的な行動を取るようになっていった。


 彼らが得意とするのは窃盗、恐喝、喧嘩だ。幸いな事に肉体としての能力は十分にそれらに対して恩恵を与え、身を隠しながら無難に実行する事ができた。活動場所は専らスラムと呼ばれる区画だ。パシリの伊藤を使って相手を油断させ、人気のない場所に誘って集団で襲うのだ。男であれば金品を巻き上げ、女であれば好き放題にする。


 この場所であれば厄介な騎士が来る事もなく、犯罪が起ころうとも隠し切れば大事にはならない。法治国家たる日本とは雲泥の差だ。佐藤ら不良グループはこの世界が自分達好みの世界だと、徐々に錯覚し始めていた。以前は社会のゴミだと揶揄された自分が、ここでは王となれると思ったのだ。


 満たされた欲望は更なる欲望を生み出し、それらを欲するようになる。暴力という名の娯楽は更に過激に、食欲は次第に上等な食事を求めるようになり、性欲の捌け口とする対象は別の区画の者へと移り出した。


 しかし、それらを実行するには力が足りない。自分達が単独で動くには限度があり、まだまだ地盤が固まっていないと佐藤は考えていた。


(何か、足掛かりになるようなものは―――)


 そんな時に、以前リンチしてこの辺りの情報を吐かせた男が話していた事を思い出した。


 このスラム街には大小幾つかの組織が存在している。最も大きく、実質的にこの街を牛耳っているのがレキエムが率いるミッドナイト。勢力としてはミッドナイトに劣るものの、新興勢力として破格の影響力を持つ灰縄。スラムで生きるのであれば、この2つの組織は注意すべきだ。そんな内容だ。


 特に灰縄は保守的なミッドナイトと比べ派手な活動が多く、佐藤らの方針に重なるものを感じさせたのだった。聞けば、近々灰縄はミッドナイトに戦争を仕掛ける準備をしているらしく、この辺も危なくなると男は血を流しながら喋っていた。


(これだ!)


 思考が安直であるが為か、決意を固めた後の佐藤の行動は早かった。灰縄の頭目、トロンが好みそうな少女をスラムの外から誘拐して、手土産代わりに灰縄のアジト連れて行ったのだ。ミッドナイトであればその場で処断されるこの行為を、頭目のトロンは逆に喜んだ。更には自分達は強く、役に立つ存在だと口車に長けた商人の田中が熱弁、佐藤がトロンの部下と立合い実力を示した。その甲斐もあってか、彼らは灰縄の一員に、それもトロンお抱えの戦闘員になる事ができたのだ。


 それからの彼らの生活は明らかにランクアップした。スラムとは思えぬ邸宅、トロンが自慢する高級な食事、自分に付き従う灰縄の下っ端、小奇麗な奴隷の女達――― どれもが日本では得る事ができなかったもので、どれもが佐藤達の理想を体現したものだ。そして彼らは確信した。ここが自分達の居場所であると。


 ―――しかし、夢とは良い所で覚めるもの。佐藤達は未だ夢見心地ではあるが、夢から叩き起こす者の足音は、確実に迫っていた。



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 灰縄がアジトとする屋敷の一角、トロンの私室に近いリラクゼーションスペースにて。佐藤らは高橋が日本から持って来ていたトランプで、賭けポーカーに興じていた。


「……なあ、何か変な音がしなかったか?」

「は? 何だよ、急に」


 不意に、鈴木がそんな言葉を漏らした。


「おいおい、負けが込んでるからって嘘はよくねぇーだろ。その手には乗らないって」

「いや、そんなつもりはねぇだけど。つか、こんなに金があんのに、そんな無駄な労力俺が割く訳ないっしょ!」

「ああ。何て言ったって、俺らはエリートだからな」

「ククク、違いねぇ」


 彼らは雇い主であるトロンから大金を受け、ここ最近では危険な仕事にも手を出すようになっていた。記念すべき初仕事を終え、トロンからの評価も上々。次に向けて英気を養い、来たるミッドナイトとの戦争に備える。それが彼らの今の目標だ。


「おら、ツーペア」

「ワンペア」

「ッチ、ブタだ……」

「残念だったな、ストレート」

「うわ、マジかよっ!」


 食う、抱く、殴る。それ以外の娯楽らしい娯楽のないこの世界において、この52枚の札の存在は大きな助けとなっている。いずれは量産し、ちょっと大富豪にでもなってやろうかな。などと妄想するのにもひと役買っているようだ。


「だぁー! 勝負には負けるは、さっきの音は気になるわで集中できねぇ! おい、伊藤! お前ひとっ走り原因を探って来い!」

「え、ええっと……」


 声を荒げる鈴木に対して、部屋の隅で本を読んでいた伊藤は、なかなか言葉を出せないでいた。自分に振られるとは思っていなかったようで、よく話を聞いていなかったのだ。


「は? お前、俺に口答えするの?」

「ち、違うよ…… その、話をよく聞いてなくて……」

「ギャハハ! マジでとろいのな、お前」

「ご、ごめん……」


 罵られながらも再度話を聞き、伊藤はそそくさと部屋を出る。すると、入れ違いになって奴隷の少女が佐藤らの給仕にやって来ていた。ああ、この子もまた酷い事をされるんだろうな。と、心の中で同情しつつも、伊藤はそれ以上の行動は起こさない。できる事といえば音と声が聞こえてくる前に、さっさとここから離れるだけだ。


「ハァ、このままで本当にいいのかな……」


 そう誰にも聞こえぬ呟きを残し、伊藤は音がしたであろう1階に下りようとする。


 ―――そこがどのような惨状になっているのか、理解するまであと僅かの時が必要だった。

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