第28話 過激な若手
デリスと悠那が出て行った後の地下の隠し部屋。ミッドナイトのボス、レキエムは変なものを見てしまったとばかりに、デスクの上に足を乗せながら思い耽っていた。その傍らでは腹心、タッドスが衣服に付いた埃を払うように、手で汚れを落としている。
「まさか、タッドスに一発当てるとは思っていなかったな。それ以上に、お前が小手調べの途中で戦いを止めたのにも驚いたけどよ」
「勝手な判断をしてしまい、申し訳ありません」
粗方を落とし終わったタッドスは、そのまま直立不動となってレキエムに詫びを入れた。悠那の合否を決定したのはレキエムなのだが、模擬戦を止めたのはタッドスだったからだ。
「謝るな。喧嘩事に関しちゃあ、俺なんかよりもタッドスの判断が正しいと思ってるんだ。それよりも、あのハルって子は灰縄の件に介入しても大丈夫なほどの力だったのか? 確かに動きは素人のそれじゃなかったが、腹にもろに食らっても平気だったんだろ?」
「………」
タッドスは黙り込んだまま、拳を入れられた腹部に手を当てた。
「どうした?」
「いえ…… 想像していた以上に重い攻撃だったもので、感心していたのです。あの小さな体から放たれたものとは思えないほど、素晴らしい打撃でした」
「へえ、タッドスが人を褒めるとは珍しい。明日は雪でも降るのか?」
そんな事が起きるとは、何年振りの大事件だろうか。と、大袈裟な仕草で天井を仰ぐレキエム。彼の腹心であるタッドスは、寡黙ながらも状況に合わせた機転の効く有能な部下だ。その尖った武力もさることながら、恰幅の良い体格とは裏腹に気配りができ、どんな事でも丁寧な仕事をする。だが、人材を育てる事に掛けては大変厳しい一面があり、滅多な事では褒め称える行為などしない。ボロ宿の前でタッドスがチワワ3人衆を睨み付けていたが、基本的に部下に対してはそのようなスタンスで、ミッドナイト内では鬼上司として恐れられているのだ。
「率直な意見を言ったまでですよ。いやはや、デリスさんも大した格闘娘を弟子にしたものです」
「そんなにか?」
「あくまで数手打ち合っただけの、私の所感ですがね。それよりも、彼女の切り替えの早さには舌を巻きました。彼女と直接向き合って初めて分かりましたが、頭のスイッチ1つで瞬時に戦闘態勢へ移行しています。直前までああも明るく振舞っていたのに、次の瞬間には人を殺せる目になっている――― あれはスキルどうこうで鍛えられるものではないです。まるで、熟練の暗殺者と向き合っていたようでした。どんな人生を歩めば、あの年齢でそれを可能にするのか……」
悠那の実力を見極める上で、タッドスはある程度の手加減をしようと考えていた。しかし悠那と対峙し、その変化を目の当たりにした時点で、手心を加えるという思惑は激しく揺さ振られていたのだ。いくら相手が小さな女の子であったとしても、瞳に殺意が宿ればそれは明確な敵だ。始まりの合図と共に勢い良く飛び込んだハルに対して、タッドスは匙加減を間違えて拳を振ってしまった。そして、こう思った。
(―――不味い、やってしまった……)
防衛本能が無意識に働き、拳を振り抜いてしまった結果、正面から迫る悠那はその拳を躱し、あろう事かカウンターまでぶつけてきた。これを不幸中の幸いと取ればいいのかは分からない。だが、これ以上模擬戦を続けるのであれば、自分は本気を出してしまいそうだった。いや、出していただろう。幾度となく修羅場を潜り抜けてきたタッドスだからこそ、体に染み付かせたものが動いてしまう。それほどまでに本気の戦闘、限りなく近い殺し合い。だから、止めた。
「本当に、末恐ろしい」
それでも、実力は十分に把握できた。恐らくは格闘家、もしくは暗殺者のレベル4相当。ならばデリスと共に灰縄に行こうと問題はない。タッドスはそのように判断した。
「ふう…… 灰縄の5人といい、デリスの弟子といい、過激な若手がよくもまあこんなに出てきたもんだ」
「うちの若手育成にも熱を入れなければなりませんね」
「まあな。そういやタッドス、立合いの後でデリスの野郎に何かされてなかったか?」
レキエムの承認が降りた事で、デリスと悠那は直ぐに部屋を出て行こうとしていた。が、デリスは扉に手を掛けようとするその直前で踵を回し、タッドスと何やら小声で話していたようだったのだ。レキエムはデリスにそれほど良い感情を抱いておらず、また何か面倒事かと警戒していた。
「デリスさんにですか? ああ、気を利かしてくれたのか、お嬢さんに攻撃された箇所を魔法で回復してくれたんですよ。あれだけの威力を持った打撃です。私も少し腹を痛めていたので、助かりましたよ」
「何だ、平気な面して我慢してたのかよ?」
「私にも一応は意地がありますからね。格好つけました」
「ははっ! タッドスを苦しませるたぁ、本当に大した子供だ!」
部屋の中が2人の笑い声で満たされる。デリスが幼い少女を弟子だというものだから危惧したが、今となっては馬鹿らしい。デリスが大真面目で師匠をやっている姿を思い浮かべ、より一層レキエムは噴き出しそうになってしまった。
―――だが、レキエムとタッドスは腹部の痛みが何によるものなのかを、正しく理解していなかった。
悠那が与えた打撃には、闇魔法の『アドヴァ』と『グラヴィ』が加えられていた。アドヴァは悠那が今最も得意とする毒素を含む泥を生み出す魔法、グラヴィは闇魔法スキルがレベル10になる事で覚える魔法で、触れたものの重量を増減させる事ができる。
まだまだ練習段階にある悠那のグラヴィでは、精々が10kgの変化、それも極短時間しか効果を及ばせる事ができない。そこで悠那はこの魔法の対象を自身の拳や足に施し、打撃の際にそれらが衝突する瞬間のみ、重みを増加させる手段を取る事にした。これにより小柄で身軽な悠那から放たれる武術は、見た目以上に重いものとなったのだ。それでもタッドスにダメージを与えるには威力が不足していたのだが、これからの成長を考えれば強力な武器となる可能性がある。
更に悠那は、アドヴァで拳の接する面に毒泥を発生させ、疑似的に毒手のような凶器を作り出していた。タッドスが感じた腹部の痛みはこれによるものだったのだが、重い拳による攻撃で誤解してしまったという訳だ。最後にデリスが回復を施したのは、証拠が残らぬよう毒と汚れを消しただけの事で、別に気を利かしたとかそういう理由では決してなかった。ちなみに、この毒は悠那の魔力によって生成されたものである為、悠那だけは害がないようだ。
このように悠那は持ち前の武術に闇魔法の恩恵を組み込み、新たな戦法を編み出し始めている。杖術だって例外ではないだろう。これからデリスと共に向かう灰縄のアジトは、これらの力を試す実験場。デリスはそのように定義し、悠那のクラスメイトの存在は脅威などと考えてはいない。それどころか自分の間近で愛弟子が育つ様を、これ以上ないほどに楽しみにしていた。