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第23話 誘拐事件

「それじゃ、私はこれでおいとまするわ。仕事もまだ残っているしね」


 ケーキを食べ終わったネルが、そう言いながら立ち上がる。


「何だ、もう行くのか? 今度はもっとゆっくりしていけよ。お前とハルを立ち合わせたい」

「是非に!」

「……貴方達、やっぱり相当変わっているわね。まあ、考えておくわよ。気が向いたらね」

「あと、次来る時はケーキ3つな」

「はいはい」

「師匠、そういう催促はしちゃ駄目ですよ。とっても美味しかったですけど、露骨にしては駄目です」


 そう注意を促す悠那も、チラチラとケーキの空き皿を見ている。そのあまりの小動物感に微笑ましい気持ちで一杯になり、ネルは次も手土産を持って来る事を念頭に置くのであった。


「ああ、そうだ。ひと月後にアーデルハイト魔法学院で開催する卒業祭、ハルも参加させるから、良かったら見に来てくれ」

「卒業祭に?」

「?」


 ちなみに卒業祭に参加するていになっている事を、ハルはまだ知らされていない。何の話だか分からず、笑顔のまま疑問符を頭上に浮かべている。


「まあ私は団長の立場があるから、詰まらない訓示を垂れには行くけど…… 無理矢理参加させる気?」

「伝手があるからな。優勝できたら、お前からもハルの実力を認めてやってくれ。いずれ魔王を倒すのはヨーゼフの勇者集団なんかじゃなく、村娘同様だったハルだってな」

「……村娘のくだりはよく分からないのだけれど、私はくだらない出自や下馬評で判断を下したりはしないわ。信じるのは自分の目で見た事実だけよ」

「なら安心だな」


 アーデルハイト魔法学院は魔法に特化した、国家総ぐるみで立ち上げられた育成機関だ。幾ら学生の身分といえど、首席に立つ者の力は侮れないものがある。その上で悠那の優勝が大前提、デリスの頭の中にはそれしかない。それほどまでに信頼を寄せる悠那の力に、ネルはほんの少し、というかかなり興味を引いていた。


「さ、ネルのお眼鏡に適うよう、午後も1つ頑張らないとな、ハル!」

「何の事だか分かりませんけど、頑張りましょうね、師匠!」


 何よりも、あの年中やる気のないデリスの活力に満ちている姿を見るのは久しい。それが嬉しいような、少し寂しいような、自分の中に整理し切れない気持ちがある。


(……あ)


 そんな煮え切らない想いを払拭する為にも、ネルはある事を思い付いた。悠那の実力を試せて、尚且つデリスとの繋がりを強める良い方法、なのかは不明であるが、ネルにとってはこれ以上ないアイディアだったようだ。


「そうね。卒業祭、楽しみにしているわ」


 腰に差した剣の柄を柔らかく触れながら、ネルが言う。帰り道を向いた彼女が、幼い子供が飛び切りの悪戯を成功させたような、そんな笑みを浮かべていた事を2人は知らない。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 城下町ディアーナ。その街の中からであれば、どこからでも眺める事のできる厳かな建造物がある。この国を治める王が住まう、魔法王国アーデルハイトの王城だ。天を突くが如くそびえる城は国民にとっての誇りであり、観光の面からの評価も高い。とは言っても内部に入る事ができるのは、王族を除けば在中する政務官、魔法騎士団や兵、城に従事する働き手、そして謁見の許可を得た限られた者達しかいない。千奈津などのクラスメイトは例外中の例外で、その存在すら未だ公開されていない特別な待遇なのだ。


 彼ら、彼女らは城内から許可なく出る事を許されていない。これは特異な存在である千奈津らを無暗に口外しない為の処置であると同時に、ネルが話していた悪友男子グループのように、行方が分からなくなる事を未然に防ぐ為だ。行方不明となった男子は5名、書置きや他の生徒に話を持ち掛けた形跡はなく、突然の事だった。彼らがいなくなった後、残された生徒達には見張りが立てられる処置が下され、常に監視下に置かれる体制となってしまっている。


 それだけであれば、当然生徒達からは不満が出る事だろう。だから、ヨーゼフは別の鎖を用意した。生徒達の願い、欲望を可能な限り用意する事にしたのだ。異世界からの召喚を断行したのがヨーゼフであった事もあり、これについて国からの援助はない。全てヨーゼフの私財を投げ打っての投資、またの名を浪費とも呼べる投入だ。極上の食事、財宝、異性――― 止めておけそうなものは、何でも用意した。現代では一般的な高校生であった彼らが、この待遇に溺れるのは仕方のない事だ。特に、レベル5の力を持つ勇者、塔江晃とうえあきらと格闘家、水堀刀子みずほりとうこは非常に稀有な戦力。来たる日に備え、これ以上の戦力の損失は何としても抑えたかった。


「おい、千奈津。また呆けてんかよ?」

「……刀子」


 与えられた居住区の一角のベンチ。そこで千奈津が空を眺めていると、刀子が不服そうな態度で声を掛けた。


「てめぇの事だ。悠那を心配してんだろ?」

「……っ!」


 千奈津は刀子を鋭く睨み付ける。この世界に召喚され、訳も分からないまま開示してしまった自らのステータス。今思えば、こちらの手札である情報を言われるがまま見せてしまったのは悪手だった。自分が迂闊だったのも確かにある。だが、そもそもそんな風にそそのかしたのは周りの男子や、面白半分に急かした刀子が原因なのだ。学内学外問わず有名な悠那の力に期待したのもあるんだろう。だというのに、悠那のステータスが脆弱だと知った途端に罵声嘲笑を浴びせた。刀子もそれに加担し、怒声を捲し立てた1人だった。結果、悠那はただ1人連れ去られ、どこかに行ってしまった。千奈津はそうさせたクラスメイトが、勝手にこんな世界に呼び寄せたヨーゼフが許せなかったのだ。


「ハァ、そんなに睨むなよ。確かに、あの時は私も感情的になっちまった。ライバルだと思っていた悠那が、嘘みたいに貧弱な力しかなかったんだ。何つうか、その、失望しちまって―――」

「―――刀子、それ以上言ったら、本気で怒るから」


 千奈津の片手には剣の鞘が握られている。いや、正確には刀の、というべきか。職業が僧侶でありながら、千奈津は職業には全く関係のない『剣術』のスキルを自ら会得していたのだ。それは悠那と過ごした時間を大切に思っての事か、周りの意向に反発するという意思の表れか。兎も角、今にも鞘から刀を抜きそうな剣幕となっていた。職業レベルは刀子が上だとしても、千奈津の剣は侮れない。更に千奈津の持つ刀は、ヨーゼフに要請して準備させた業物だ。剣道三倍段と比喩されるように、自らの拳を武器とする刀子にとって一筋縄ではいかない戦いになってしまうだろう。


「だから、私が悪かったって! 私だって、あんな事を言うつもりはなかったんだよ……」

「……もう、その話は止して」

「分かったよ。だけど、元気出せよ? いつも俺の予想を覆す悠那の事だ。きっと元気に、どこかでよろしくやってるだろうぜ」

「ふん、どうだか」


 険悪な雰囲気がこの場に漂う。しかし、それ以上に険悪な者達も意外と近くにいるもので、あろう事かその者らは2人の前を横切るのであった。


「ネル団長、勝手をされては困ります! 彼らは我が国のお客人でして!」

「その客人を、独断でデリスに送り込んだのはどこのどいつよ? ああ、ここまで思い出し掛けているのだけれど、出てこないわね。思い出したら国王に言い付けてやるのに」

「う、ぐぐぐ……!」


 それは騎士の正装に着替えたネルと、事の発端であるヨーゼフだった。何やらただならぬ様子だ。


「そうねぇ…… あら? うーん、うんうん。そこの貴女、良い目をしているわね。お名前は?」

「え? あ、鹿砦、千奈津です……」


 不意に瞳が合い、名前を問われた千奈津は固まってしまった。蛇に睨まれた蛙とは正にこの事だろう。先ほどまで怒りに満ちていた千奈津の頭が、今は恐怖で一杯になっている。それほどまでに、眼前の女性には有無を言わさぬ何かがあった。


「そう、名前も良いじゃない。チナツ、私に弟子入りしなさい」

「………?」


 予想外にもほどがあるネルの言葉に、千奈津の情報処理速度が追い付いていない。しかし、固まる千奈津など御構い無しにネルの口上は続く。


「そう、唐突にこんな事を話されても不安よね。でも安心しなさい。もうヨーゼフの許可は得ているから。そうよね、ヨーゼフ魔導宰相殿? 彼女は私に任せておけば万事オーケー、問題は皆無よね?」

「ぐっ…… え、ええ、まあ……」

「まあ、何と素晴らしき事かしら、ヨーゼフ魔導宰相殿のお墨付きを頂いたわ! おめでとうチナツ、これで貴女は私の弟子よ。他の有象無象よりも強い勇者にしてあげる。まず目指すは卒業祭ね、さあ行きましょう!」

「え、ええ? ちょっ、あの―――」


 返答を待つ事もなくネルに攫われた彼女は、こうして初めて王城を出たのであった。残された刀子とヨーゼフは、暫く言葉を発する事ができなかったという。

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