居間に移動した一同。悠那は１度調理場に行き、ネルから渡されたケーキを小皿に移して紅茶を準備。それらを一緒にトレイに載せて、居間の２人が座るテーブル席に置くのであった。悠那とネルの前にはケーキと紅茶のセット、デリスには紅茶と以前に悠那が購入した菓子のセットである。紅茶単品で出さない辺り、悠那の優しさがデリスの心に染み渡る。

「ありがとう、ハルナ。デリスの弟子とは思えないほど気が利くのね。この紅茶も良い香り」

　カップを片手に香りを楽しむネル。気品のあるその姿は、とても絵になっている。買い出しの際に仕入れた安売りの紅茶を提供してしまい、失礼だったのではないかと悠那が不安になってしまうほどだ。

「この前、街の市場で見つけたものなんです。安物で申し訳ないのですが……」

「ううん、上出来よ。遠征とかに出たら、そもそも紅茶なんて飲めない事も多いから。嗜好品は程々が一番、誰もが慣れ親しんでいるものくらいが丁度良いの」

　気にしている様子は全くないようで、ネルは眩い笑顔を振り撒いたままだった。玄関先で死を覚悟した相手とは、本当に別人にしか見えない。

「あの、遠征といいますと？」

　お仕事なのかな？　などと思い浮かべた悠那が首を傾げながら質問する。

「あら？　デリス、私について教えてないの？　ハルナが着ているそのローブ、私の使い古しでしょ？　てっきり伝えているものだとばかり思っていたわ」

「あー……　そういやまだ、昔いた同居人としか言ってなかったかもしれないな。悪い悪い」

　栗饅頭に似た茶菓子に口を付けながら、デリスが言葉とは裏腹に微塵も反省していない様子で語る。しかし、その言葉だけでも悠那にとっては大きなヒントになったようだ。

「昔の同居人……？　同居、一緒に住んでいた……　あ、ああっ！？」

　師の言葉に閃きを得たのか、悠那はソファから大きく跳び上がる。

「ネルさんは、師匠の彼女さんなんですね！　師匠がいつもお世話になっております！」

「「違ぇよ！（ち、違うわよ！）」」

　デリスとネルがハモるほどに違っていた。力強く否定されてしまった。オカンとしての勘が発揮されず、悠那がシュンとしてしまう。

「そ、そうでしたか。失礼しました……」

　おずおずと席に戻る悠那。しかし揃って赤面している辺り、当たらずとも遠からずな気もしてならない悠那であった。

「い、いえ、しっかり紹介していなかったデリスが悪いの。そう、デリスが悪いのだから気にしないで」

「お前、ここぞとばかりに俺のせいにするのな……　おほん！　改めて紹介するが、こいつはネル・レミュール。俺の昔の冒険者仲間で、この国、魔法王国アーデルハイトが誇る最強の騎士、魔法騎士団の団長様だ。職業が剣士なのに魔法使い集団のトップに立つ、化け物みたいに強い奴だから気を付けろ」

「……ええっ！？」

　デリスの言葉に、悠那は瞳を輝かせて視線をネルに向けた。基本的に悠那は、強い人に興味津々なのである。

「レディに対して化け物は余計よ。ハルナがまた怖がる―――　って、何か輝いてる！？」

「ハルはハルで変わり者なんだよ」

「はいっ！　いつかお手合わせ願いたいです！」

　ビシッと姿勢を正して挙手する悠那。そんな普通とは違った反応を返す彼女に、ネルは仄かに喜ばしい気持ちなる。団長の立場にあるネルに対する反応は、畏怖し恐怖するのが普通だ。如何に彼女が絶世の美女だったとしても、正体が明らかになれば関係なくなる。それほどまでの強さ、それほどまでに一線を画す異質なのだ。

「ふーん、デリスにはもったいないわね」

「そんな事を言ったって、もうハルはやらんぞ。元々はお前がハルの弟子入りを断ったんだろうが」

「……そうだったかしら？」

　何の話なのか分からない。そんな様子で今度はネルが首を傾げた。

「おいおい、お前んとこのカノンがそう言ってたぞ。確か、４日前だったかな？」

「そうですね。カノンさんに連れられて色々回って、最後に来たのが師匠のところでしたので」

「カノンが？　ん、んんー……」

「マジで覚えていないのか。ヨーゼフのじじいが異世界から若人を大量拉致したんだろ？　ハルもその１人だったんだが、勇者としての素質なしと判定されて俺のところに回されたんだ。本当にもったいない真似をするよな」

「えへへー」

　デリスが悠那の頭を撫でてやると、悠那は満更でもないような表情を作った。

「あ、そういえばあったわね。遠征に出る直前で訳の分からない事を言われて、叩っ斬っちゃいそうになったんだったわ。直ぐに逃げたから、内容まで頭に残ってなかったのね」

「お前、カノンがかなり怖がってたぞ……」

「国に乞われて入った騎士団よ？　最低限の仕事はするけど、部下１人１人にそこまで面倒は見切れないわ。私だって今日遠征から帰って来て、さっきデリスが言ってた奴らの存在を知ったばかりだし」

　そう言うと、ネルは大きな溜息をこぼした。騎士団団長ともなれば忙しく、責任に伴う負担も生半可ではないのだろう。

「特にそいつら、私を見るなり如何わしい視線を向けてくるし、軟派な言葉を掛けてくるしで、剣を抜かないよう我慢するのが大変だったのよ！　何よあいつら、そういう違う反応はいらないってのよ！」

　……どうも騎士団が、というよりは悠那のクラスメイトが迷惑を掛けていたようだ。

「何と言うか、私の学友がすみません……」

「ハルナが謝る必要はないわ。男共はアレで粛清対象だけど、磨けば光りそうな娘もいたしね。名前は知らないけれど」

　磨けば光る。その言葉に悠那が思い浮かべるは、レベル５の格闘家に認定された水堀刀子。そして、幼馴染の親友である鹿砦千奈津だった。千奈津に関しては贔屓している感もなくはないが、悠那にとって千奈津は仲が良いと同時に尊敬する人でもある。そんな千奈津がネルに認められれば、当然嬉しいのだ。

「でも、やはりというか男共がやらかしているみたいなのよね」

「というと？」

「呼び出した張本人のヨーゼフが制御し切れていないの。自称勇者には子飼いの使用人を宛がわせたりしているようだけど、それもいつまで持つかしらね。中にはここ数日で王城を抜け出して、姿を消したのも何人かいるみたい」

「脱走、ですか……？」

　クラスメイトに対する城での待遇は良かっただけに、脱走という選択肢を取った者がいたのは悠那にとって意外だった。いや、変にテンションの高い者達が多かったあの場で、誰もがこの国の指図を素直に聞くと考える方が間違っているのか。だが、悠那のように運良く身を寄せる場所を得るなんて、簡単にできるものではない。だとすれば、脱走の後で彼らが何をするかを考えた時、悪行ばかりが浮かんでくるのは止むを得ない事だ。

「そう、仲の良い悪友グループらしいわ。力に溺れて、悪さをしていないのを願うばかりね。騎士団の部下達で対処し切れないと、結局私に仕事が回ってきちゃうし……　悪いけどハルナ、いざとなったら貴女の同郷、容赦なく始末するからね？」

「あ、はい。それは仕方ないと思います」

　悠那のドライな反応に、反対されると踏んでいたネルは逆に感心してしまった。あの生温い考えばかりが錯綜している者達に、ここまで冷徹に徹せる娘もいたのかと。おまけに気立てが良く、可愛らしい。聞けば、家事も完璧だという。いつもは半ばゴミ屋敷と化していたデリスの家が、今は清潔そのものなのだ。それだけではないのだろうが、デリスが弟子を取った理由を少し理解できた気がした。

（何だか、デリスのお嫁さんみたい……　私に弟子入りさせておけば良かったな……）

　ネルは心の底で誰にも聞こえないよう、そんな呟きを残した。