第2話 クラス召喚
彼ら、彼女らは何が起こったのか、まるで理解する事ができなかった。いつものように朝に目覚め、いつものように登校して、いつものように授業を受ける。それが終われば束の間の自由を謳歌するのが通例で、文武に歩む者は部活動に励むし、特に目的がなくとも友人と過ごす事ができた。変わらぬ毎日、お決まりの日常風景。そう、いつものように過ごしていた筈なのに、そこには普段の生活とはかけ離れた光景が広がっていた。
―――時が、止まっていたのだ。ある者は一緒に帰宅しようとしていた他クラスの友人が、またある者は球技の練習中に宙で停止してしまったボールを見て、自分以外の、いや、自分のクラスメイト以外のもの全てが止まっている事に気付いた。動揺する暇もなく、次いで足下に現れたのが謎の魔法陣だった。神々しく輝く様は酷く美しいものであったが、うら若き彼らにとって、異常事態の中でのそれは恐怖でしかなかった。やがて恐怖に飲まれてしまったかのように、意識は薄れていった。
次に目覚めたのは光の差さない闇の中。しかし、床に描かれた不可思議な魔法陣がぼんやりと辺りを照らし、僅かではあるが視界の確保に役立っている。冷たい石床の感触で目覚めた者が最初だったろうか。次いで彼らは周囲に倒れたクラスメイトを発見し、起こし始める。
「
「ん、んん…… あれ?
スポーツウェア姿で倒れていた
「えっと…… 千奈津ちゃん、ここはどこ? 私、ランニングの最中だったような気が…… あれ、でも途中で変な夢を見た、かな?」
「悠那も見たのね。それって、床にあるこの魔法陣が出てきた?」
「あっ! そうそう、これだよ!」
悠那は寸分違わずに描かれた魔法陣に驚き、思わず大きな声を上げてしまった。この時に周りのクラスメイトは既に殆ど目を覚ましていたようで、悠那は軽く周囲から注目を集めてしまう。
「……あはは。この様子だと、うちのクラス全員がいるのかな?」
「うん、そうみたい。私もついさっき気が付いたばかりだから、ここがどこか分からないの。直前まで先生のお手伝いをしていたんだけど、急に先生と景色が止まっちゃって…… それからは悠那と一緒かな」
千奈津はこのクラスの学級委員長を務めており、品行方正で学年での成績もトップである事から、放課後も何かと教師陣から頼られる機会が多かったのだ。加えて、その容姿は群を抜いて端麗なものだった。白い肌と瑞々しい濡羽色の黒髪は正に清楚そのもので、男子からの人気も高い。
「悠那はまたどこかの部活の助っ人に呼ばれてたの? 凄い汗じゃない。えっと、はい。私のハンカチ使って」
「わ、ありがと。さっきまでサッカー部のグラウンドにいてさ、試合前の軽い運動を少々」
千奈津から桃色の可愛らしいハンカチを受け取ったのは、これまた可愛らしいポニーテールを揺らす悠那だ。しっとりと髪を濡らしているのは、その軽い運動の為だろう。彼女と千奈津は小学校からの幼馴染であり、ずっと仲良くしてきた大親友同士である。
千奈津が学問で学年のトップをいくのなら、悠那は部活動、武道といった運動で他校からまで注目されているスポーツ少女だ。これといった特定のクラブ活動に所属しているつもりはないが、名前だけは全ての部活に置かれている。小柄ながら、その圧倒的な運動能力とセンスを持つ事から勧誘の声が絶えず、こうしてよく助っ人として様々な競技に参加している為である。1度やると決めてからの集中力は特にずば抜けており、短期間の練習で1から10まで会得してしまう。剣道や空手といった武道には特に秀でていて、時には全国にまで勝ち進んだ事があるほどだった。
「もう、悠那は本当にそればっかりなんだから。でも、いつもの悠那を見てちょっと安心したかも。ここ、明かりがこの光しかなくって、奥がどうなってるか見えないの。だから、皆ちょっと不安でね……」
「本当だ。真っ暗だね。あ、でもあそこ、扉になってるみたい」
「……何で見えるのよ?」
「えへへ、私、昔から夜目が効くから」
「猫じゃないんだから……」
そういえば悠那は昔から目が良かったな、と半分呆れ気味に千奈津が考えていると、悠那が指摘した奥の扉からゴゴゴと重い音がした。
「な、何?」
「落ち着けよ、だ、大丈夫だって」
闇の奥に何があるのか知らない生徒達は、突然の物音に酷く怯えていた。悠那と千奈津も、予め知っておかなければ同様の反応をしていただろう。開いた扉からは眩い光が入り、何人かの人影らしきものが見える。そして、その1人が声を発した。
「ほっほっほ、落ち着きくだされ。私達は敵ではありませぬ」
声の主は老人だった。白いフード付きの衣服はローブだろうか。老人は好々爺とした雰囲気を持っているが、あまりに現代とかけ離れた服装に生徒達の警戒心は逆に強まる。どこかの宗教? 誘拐された? そんな考えばかりが頭に渦巻いてしまう。それを察してか、老人はしまったとばかりに苦笑いを浮かべて弁解し始めた。
「これは失礼。まずはこの状況を説明するべきでしたね。申し遅れましたが、私はヨーゼフという者です。この国、魔法王国アーデルハイトにて栄位を賜る者でして、この度、異世界人である貴方達を勇者として迎える大任を任されております」
生徒達が唖然とする中、ヨーゼフという老人は説明を続ける。
この世界は自分達がいた世界とは異なる世界であり、アーデルハイトを救う英雄として招いた事。この世界にはモンスターという怪物がいて、それらを統括する人間の敵、魔王が存在する事。魔王は1人ではなく、幾つかの派閥に別れた組織のトップに座る者が名乗るモンスターの階級のようなもので、その1人が国のある大陸に根城を作ってしまった事。
―――などと詳細を省略して、かなり大雑把に。そのヨーゼフの態度に、千奈津は何か引っ掛かる感覚を覚えた。しかし話しが進むに連れ、千奈津の意に反して他の生徒達はなぜか、軽率ではと思うくらいに盛り上がっていた。
「おい、これって俺ら勇者なんじゃね? 英雄じゃね!?」
「転移、転移だ! やったぁー!」
主に男子が。いや、女子の中にも喜びを隠し切れない者もいる。
「ちょっと、何でそんなに喜んでいるの!? さっきまで妖しい宗教だとか疑っていたじゃない!」
学級委員長として、千奈津は興奮しているグループを抑えようと声を張った。
「あ、そうか。鹿砦さんはゲームとか、こういうのには疎いかぁ」
「まあまあ、委員長も怒らない怒らない。大体はさ、こういう説明の後にお決まりがあるものさ」
しかし、彼らは聞く耳を持たない。ゲーム云々の関係なしに、こんなのは違法な拘束、立派な誘拐に変わりないというのに。まるで、この後に何が起こるのか分かっているようだった。
「千奈津ちゃん、ここは我慢しようよ。変にあの人達から注目されちゃうと、何か不味い気がする……」
説得を試みようとしていた千奈津の袖先を引っ張りながら、悠那が心配そうに声を掛ける。そんな親友の表情に、高まっていた正義感は抑え込まれる。一先ず、千奈津は悠那の隣に大人しく座った。
「ほっほっほ、皆様の寛大なお心に感謝致します。それでは手始めに、皆様のステータスについてご説明したいと思います」
ヨーゼフの部下らしき白ローブの者達が、薄い石板のようなものを運んで来た。