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第13話 桂城悠那

 桂城悠那は物心がついた頃から努力を惜しまない少女だった。現代における競争社会、受験戦争、スポーツ――― そうすべきと思わせる要因は数あるだろう。しかし、悠那の根幹を成すのはそんな難しい事ではなく、大好きな母のどこにでもあるような、大して珍しくもない言葉だった。


『悠那の名前にはね、とっても素敵な意味があるんだよ。どこまでも、どこまでも、どんな事があっても決して諦めない。どんな時でも頑張れる。お母さん、悠那がそんな風になってくれると嬉しいな』


 幼き頃に誰しもが聞くであろう、自分に付けられた名前の由来。悠那はこの言葉を聞いた時、心が晴れ渡るような、途轍もない衝撃を受けた。悠那は人と比べて頭が良いというほどでもなかったので、母の言った言葉の意味を全て理解した訳ではない。しかし、彼女は馬鹿正直だったのだ。


『うん! 私、頑張る事を頑張るね!』


 クスクスと嬉しそうに笑う母の顔。その反応に俄然心に火を灯した悠那は、その日から諦める事を止めた。


 得意でない勉強は教師や友達に教えを乞い、トップとはいかなくとも中位をキープした。共働きで両親がどちらもいない日が多くなると、率先して家事を手伝ってメキメキと身に付けた。弟からゲームがクリアできないと泣き付かれれば、裏ステージ裏ボスまで攻略して弟を喜ばせた。


 何事にも死ぬ気であたる。それを信条とする悠那が最も才能を開花させたのは、運動競技だった。中学校の時に、幼馴染の千奈津に誘われて一緒に入部した剣道部。足の運び方、竹刀の持ち方など初心者には分からない点ばかりの悠那は、持ち前の異常な集中力で体に吸収させる事に努めた。元々運動神経が良かった悠那の上達は目覚ましく、小学校からの経験者である千奈津にひと月で勝つようになり、翌週にはレギュラーの上級生に勝利し、その翌週には主将をエースの座から陥落させた。


 この時、心の底で何とも言えぬ快感が生じ始めた事に悠那は気付く。自分の努力が、明確な形となって現れる。それが何と心地好い事なのか。単純に考えてしまえば、これらは勝者を決める競い合い。努力して、学んで、吸収して、負けて、そしたらもっと頑張って、蹴落とす――― この流れに快感を覚えてしまった悠那は、母の教えはやはり正しかったと確信した。そして更に妄信した。


 その後も悠那の快進撃は止まる事はなく、女子だけでなく男子を相手にしても学内に勝てる者がいなくなり、試合ともなれば全戦全勝が常、個人戦では全中優勝を果たすまでとなる。悠那と対戦した選手の1人が、とある雑誌のインタビューでこう答えたという。


『私とは目の色が違いますね。こう、鬼気迫る雰囲気なんですよ。試合じゃなくて、本当に日本刀同士で決闘しているみたいな空気で…… えっと、私何言ってるんだろ? 忘れてください、あはは』


 この話を聞いた記者は、彼女が気の利いた冗談を言ったんだなと受け取った。が、周囲にいたその他の対戦経験者達の面持ちは、冷や汗を流す深刻なものであった。ルールのある試合だから助かった。だけどもし、何の縛りもない戦いになったとすれば、純粋な殺し合いになったとすれば、彼女は何の戸惑いもなくやるのではないか? いつものように、全力で―――


 剣道を通して心身を死ぬ気で練磨した悠那は、ここで更なる精神力を得てしまったのだ。悠那は部活外の球技大会や一般参加可能なフルマラソンなどでも伝説を築き上げ、その名は広い範囲に拡散していく。


 その後中学を卒業し、千奈津と共に同じ高校へ進んだ悠那は、当然のように剣道部に入部しようとした。しかし、そんな悠那を他の運動部が放っておく筈もなく、我先にと勧誘活動が始まる。


『じゃあ、見学だけ』


 そんな台詞を言った時にはもう遅い。スポーツのスタートラインに立ってしまった悠那に、途中で止めるという選択肢はないのだ。あれもこれもと様々な部活に参加しているうちに、悠那は1つに絞る事ができなくなってしまう。それでも部の誰よりも結果を残してしまう為、誰もが悠那を手放したくない悪循環が生まれた。


『悠那は欲張りだもんね。この際、持ち回りで全部に参加しちゃう?』

『その手があったか! 流石は千奈津ちゃん、頭が良いね!』

『え、本気……? えっと、冗談―――』


 そういった経緯もあり、名前だけは全ての活動に所属して、順番に助っ人として参加する現在の形式に移り変わる。悠那争奪紛争を治めた発案者の千奈津は、部の主将達から感謝され酷く困惑したという。


 手広く死力を尽くすようになった悠那は、中学時代の剣道のように全国クラスで連覇こそする事はなくなった。しかし、その小さな身に培われる技術と経験の数々は、着実に人間離れした領域へと足を踏み入れていた。



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「尻尾を切り取って、と。よーし」


 絶命させたばかりの灰コボルトの尾を、バッグから取り出した狩猟ナイフで切り裂く悠那。まるで魚を下ろすような感覚でドバリと出た血を見ても、血抜きは必要かな? 程度にしか思わなかったようだ。もはや灰コボルトを素材としか見ていない。


「鉱山跡はもう少し先かな。日が落ちる前には戻りたいし、もう少し急ごうっと」


 再び駆け出した悠那はそれから少しして、採掘所の入り口の場所を発見する。同時に、見張り役らしき灰コボルト二匹を捕捉。身なりは先ほどの灰コボルトとほぼ同様で、二匹とも棍棒を持っていた。悠那の身を隠す木々はその周辺からなくなっており、戦うとすればどうしても姿を晒す事になる。


(お互いの死角をなくすように見張ってるなぁ。武器も持ってるし、その程度の知能はあるって考えた方がいいね。古典的だけど、これを使おうかな)


 悠那はここに来る途中で拾った石をバッグから取り出し、構えて狙いを定めた。


「シッ……!」


 投じられた石は灰コボルトの遥か上空、警戒されていない範囲を飛んで、鉱山入り口の裏側へと落ちて行く。


 ―――カラン。


「グオ?」


 その物音に反応した灰コボルトは、もう一匹に何か音がしなかったか? と、伝えているようなジェスチャーを取っている。


「グオグオ」

「グオオン」

「グオ」


 やがて一匹は音の発生源を探しに行くのか、その場を去ってしまった。残るはもう一匹の灰コボルトのみだ。そして、この時既に悠那は次弾を装填していた。


「ン……!?」


 見張りを続ける灰コボルトの喉元に、悠那が投擲した石が衝突する。喉が詰まり、声なき声を上げる灰コボルトは目の前から何者かが迫っているのを目にした。否、もう眼前だ。


 大きく跳躍して灰コボルトの頭部を鷲掴みにした悠那は、そのまま勢いを殺さず膝蹴りを食らわせる。この時点で灰コボルトの命はなかったのかもしれないが、掴んだ手は離さず、膝をめり込ませたまま地面に頭部を衝突させる。灰コボルトをクッション代わりに扱ったのだ。


 片割れがいなくなれば、もう苦戦する事はない。着地後瞬時に走り出した悠那の手には、また石がある。姿を消した灰コボルトの方へと向かった悠那は、それから程なくして採掘所の入り口へと戻ってきた。その手にあったのは、石ではなく灰コボルトの尻尾であった。


 これまでの努力が実を結び、格上を相手に発揮する。頑張る事は正義で、何よりも正しく何よりも楽しい。そんな事を悠那が考えているかは分からない。だが、何はともあれ悠那は着実に、死ぬ気でモンスターの倒し方を学び、笑顔でいた。

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