3-13 開戦の提案
期末テストもいよいよ週明けに迫っていた。
金曜日の午後。俺は桜川さんに誘われ、また図書館での勉強会に参加していた。
同じテーブルには赤坂も一緒だ。
「へー。桜川さんも風晴君も四月生まれなんだ」
「うん。私の誕生日が四月三日。諌矢君が十日だったかな」
互いに苦手科目をチェックし合っていた赤坂と桜川さん。
しかし、気が付けば、桜川さんの幼少期の話になっていた。
「へえ。じゃあさじゃあさ。二人とも名簿かなり早いんじゃない? 四月生まれだし」
「うん。いっつも一番だったなあ。私が数日早く生まれてたら一個上の学年だったんだよね」
食い気味に尋ねる赤坂に、桜川さんは好意的に答える。
一応図書館なので私語は控えた方がいいのだが、ここは端も端。俺達以外に勉強に来ている生徒はいない。そのせいか、こんな昔話が繰り広げられている。
「ああ、でも……中学からは名簿ってあいうえお順じゃない? そういう意味じゃ、諌矢君には勝てなくなっちゃったけどね」
風晴の『か』と桜川の『さ』の事を言っているのだろう。
確かに勝てないけれど、そんな所にまで対抗意識を持つなんて。
「桜川さんって諌矢にいつも張り合ってたって聞いたけど、本当にそうだったぽいね」
思わず会話に加わると赤坂は頬杖をついたまま、こちらに視線を向けてくる。
「何で一之瀬が知ってるの?」
「諌矢の家行った時に聞いたんだ」
「ふーん」
赤坂が納得いったように頬杖を解いて身を乗り出してくる。
「そう言えば風晴君と三人で勉強会したんだっけ? どうだった?」
元を辿れば、この勉強会をすることになったきっかけ赤坂のせいだ。
にやにや顔でペンを回し始める赤坂。明らかに俺をからかっている。
「殆ど自慢話聞かされた」
「あはは」
図書館内で迷惑にならない程度の小声で赤坂が笑う。
「一之瀬君。大分数学分かるようになったみたいだよ」
桜川さんから天使みたいなフォローが入る。
諌矢の家で見せた小悪魔的な一面は決して匂わす事は無い。
彼女もまた、諌矢や初期の赤坂並みに外面と内面の使い分けが上手い。こういうのってリア充の必須スキルか何かなのかな。
「でも、桜川さん。風晴君と張り合うなんて意外だね」
「そこで蒸し返しちゃう?」
赤坂の追及に桜川さんは苦笑い。しかし、そこまで嫌な顔はしていない。
「普段の雰囲気からは想像もつかなかったから。もしかして、桜川さんって小学校の頃は今と全然違う感じだったり?」
上手く交わそうとする桜川さんに赤坂は食らいつく。どことなく楽しそう。
「違う違う。習い事とかでだよ。後は学校の勉強かな?」
桜川さんは照れたように頬を掻くけれど、白い頬がうっすらと赤みを帯びていた。図星らしい。
彼女もまた、赤坂並みに闘争心の塊みたいな女子だったのかもしれない。
「諌矢の方からだけじゃなく、桜川さんの方も割とノリノリで勝負仕掛けてたって聞いたけど」
「一之瀬君?」
別に赤坂に加勢するつもりではなかった。
しかし、この前諌矢と三人で集まった時を思い出した俺は、会話に割り込んでしまう。
桜川さんの眼鏡の奥は可愛らしい丸い瞳がぱちぱち瞬いているけど、それ以上言うなという心の声が聞こえてきそうだ。
「うう……」
俺と赤坂。二人に視線を浴びせられた桜川さんは気まずそうに俯く。
「諌矢君の方からだもん……」
そして、まるで拗ねた子供みたいな言い方で呟いた。
「いっつも点数聞いてくるんだよ? 小学校って別に今みたいに順位出る訳じゃないのに」
そう言って不貞腐れた顔をする桜川さん。今のやり取りだけで小さな頃の彼女がどんな風だったのかが想像できた。
いつも諌矢に絡まれて困り果てながらも、仕方ないわねとか言って相手してやってたのかもしれない。
「小学生の悪ガキまんまだね。あんなスカした風晴君でも昔はフツーの男の子だったって事ね」
赤坂は茶化すような言い方で笑う。窓を見る目はどこか遠くて優しい。
「でも、赤坂は高一の今も西崎とめっちゃ張り合ってたよな?」
「……は?」
その、遠い目が俺の方に向けられる。はらりと揺れて頬に垂れ込む赤い髪。
「ほら、この前の体育でやりあってたじゃないか」
後続を引き離してぶっちぎりのマッチレースになっていた事を指摘する。
「あれは……西崎さんが吹っ掛けて来るから。めっちゃこっち睨んで並びかけて来たし」
「すごかったよね。皆注目してる感じだった」
桜川さんもどことなく楽しそうに体育の授業を振り返る。聞いている赤坂の方は心底嫌そうな顔だ。
「並ばれたら抜かれたくないのよ……分かんない? まあ、競争意識の無い一之瀬には分かんないか」
そう言って俺をとりあえずディスってくる。気まずいから話を無理やり終わらせたいのかもしれない。
「でも、赤坂さんとか西崎さんみたいなの。私は羨ましいな……」
「え?」
それまで話を聞いていた桜川さんがそんな事を呟き、思わず呆気に取られる俺達。
黒髪を指先でさらりと漉きながら、桜川さんは続ける。
「こうやってお話するようになって分かったんだけど、赤坂さんってすごい自分の芯っていうの? ちゃんとしたポリシーみたいなのを持ってる人だし。西崎さんだってそう。人に対してコロコロ態度を変えたりしないじゃない? 私はそういうの気にしちゃうから駄目なんだよね」
そう言って、小さく息を吐く。
「私だって昔はそうだった。諌矢君にずっと負けたくなくていろんな事で張り合ってきて……でも結局、今の私は追い抜いていった諌矢君の背中を追うだけになっちゃってるんだ」
自嘲するような笑みを俺に向ける桜川さん。
眩しい西日に当てられた儚げな横顔に、思わず心臓の鼓動が早まる。
「赤坂さんと西崎さんみたいに、何にでも真っ向から挑戦できるっていいなあって思うの。羨ましいよ」
机に頭を突っ伏しながら、赤坂は気だるげにそれを聞いている。
じゃあ、と小さく声を発し、赤坂がじっと見上げた。
「――桜川さんは今でも風晴君に負けたくない感じなの?」
「そりゃそうだよ」
繕ったような笑みを浮かべる桜川さん。
「ずっと小さな頃から親にも比べられて来たし。やっぱり負けたくないんだって意識はしてるよ?」
「でも、学校の成績なら桜川さんの独壇場じゃない?」
単純な学力でならどうなんだと赤坂は尋ねる。
「生徒会も手伝ってるし、それ以外でも本当にちゃんとしてて内申点とかすっごい高そうだし……」
そう言って俺の方をちらりと見る。何故か少しだけ恥ずかしそうに頬を赤らめていて謎だった。
「うちの学年で見てもトップクラスだと思う。大学の推薦とか真っ先に候補になりそう」
もしかしたら、人を褒めるのに慣れていなさすぎで一人で照れていたんだろうか。
赤坂は終始、顔を紅潮させながら言いきった。
一方の俺は心底おったまげた。
基本赤坂は人に対しては辛口が過ぎる。そんな彼女をもってしても、桜川清華は文句のつけようのない優等生だというのだ。
「そうなのかな。でも、諌矢君が本気出したら分からないよ」
しかし、桜川さんはゆっくり首を振って否定する。口ぶりからして謙遜ではないらしい。
「諌矢君はスポーツも出来るし、誰とでも仲良くできるでしょ? 私はそういうのどっちも苦手だから」
「じゃあ、また対決してみたら」
俺は不思議と、そんな事を口にしていた。
「ほら、前に諌矢の家で言ってたじゃん。昔みたいにテストで対決してみたいって。だったら今回の期末で勝負したら? それで勝ったら桜川さんも気持ちいいだろうし……」
じろりとこちらを見つめる美少女二人。
「それに、諌矢が悔しがる顔を見てみたい」
俺は口ごもりながらも、言いきった。最後の一言は冗談半分、本気半分だ。
昔と同じ風に本気の諌矢と勝負する。それで白黒つけたら桜川さんの今のモヤモヤした気持ちみたいなのもすっきりするんじゃないか。そう思ったのだ。
ついでに吠え面かいた諌矢も見れるし。
「ふふっ……面白い事言うね、一之瀬君」
桜川さんの表情が初めて明るい物となる。
「やっぱり桜川さん、風晴君に負けたくないんだね」
赤坂も俺の意見に珍しく乗ってくる。
桜川さんを見上げながら、さらさらと赤い髪が木目調のテーブルに波紋みたいに広がっていく。
「えっ」
「対決。したらいいじゃない」
桜川さんの好戦的な性格を見抜くような視線だった。
「でも、多分――そういうの諌矢君、やだし」
桜川さんはそっと顔を逸らし、諦めたようにぽつりと呟いた。
「やだし……?」
「私が言っても本気に受け取ってくれないんだ。きっと嫌がると思う。一之瀬君なら分かるよね?」
「ああ。この前桜川さんが持ち掛けても取り合ってくれなかったっけ」
俺は三人で勉強した時の話を赤坂にする。
あの時、桜川さんが持ち掛けた勝負を諌矢は笑ってやり過ごした。
確かに今の諌矢が本気を出すとは思えない。寧ろ、桜川さんに本気を出すのを子供っぽいとか思っていて茶化しそうだ。
「じゃあ、俺が諌矢に直接掛け合ってみようか?」
「一之瀬君が?」
不思議そうな顔の桜川さんに俺は続けた。
「桜川さんが言ったら子供っぽいんだろ? でも、俺が言ったら受けてくれそうな気がするんだよね。それが諌矢だ」
ほんの数か月の間だけでも、諌矢とはクラス内では割と打ち解けている。少なくとも俺にはそんな自負があった。
そして、この期間だけ付き合ってきて分かった事もある。
諌矢は決して肝心な部分を明かそうとはせず、はぐらかす時がある。飄々している、と言えばいいのだろうか。
そんな諌矢に桜川さんが真面目に勝負を持ち掛けてもで余計に上手く躱されてしまうだろう。
しかし、いつもふざけ合っている俺が勝負を持ち掛ければ応じてくれるかもしれないと思ったのだ。
「ええっ。別に一之瀬君がそこまでしなくても……」
それらを説明した後で、桜川さんが呆れたように笑う。
しかし、俺は引き下がらない。
「本気出した諌矢の点数を上回れるか、桜川さんはそれが気になっているんだよね?」
「うん。今も割と対抗心はあるんだ。諌矢君って本当いい点取るし」
話しぶりからすると、やっぱりそうだ。
本気で点数比べをしてみたい気持ちは彼女の中でずっと変わっていない。
「そーいえば。風晴君が一番得意な科目ってなんなんだろ?」
ふと、思い出したように赤坂が声を漏らした。
「英語かな」
「数学じゃなくて?」
「ううん。元々どれも得意なのが諌矢君だけど、英語は大好きで得意な教科だと思う」
桜川さんは迷うことなく即答。諌矢の得意教科を断言する。
「好きな科目だから得意って事か……」
俺は世界史が好きだ。元々読んだ星座の本でギリシャ神話が気になってそこからの延長線上だけど、やっぱり好きな分野を率先して打ち込んで得意になれた教科は別格だ。
諌矢も同じように英語には絶対的自信があるんだと思う。
「へえ。風晴君って英語得意なんだ。習い事とかやってる家なら英会話教室とかも行ってたりして」
「そうなんだよね。今でも簡単な英会話ならできるらしいよ」
冗談を交えながら赤坂が言うと、桜川さんは苦笑い。
「何なの……あの男。数学だけかと思ってたのに。そろそろ潰そうかしら」
これには赤坂も難色を示す。
顎に手をやりながら本気の口調。西崎や桜川さんはともかく、こいつの競争意識も相当だ。
まさかの赤坂も参戦か? でも、問題はそこじゃない。
「で、どうする? 俺は別に良いけど」
「――じゃあ、お願いできるかな」
俺の言い方に半ば折れたように、桜川さんはゆっくり頷いた。