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3-12 焼きそばパン(半額シール付き)の契り

 その日の放課後。


「一之瀬」

 帰り支度をしていたら、何故か工藤舞人がやってきた。

 いつもは須山達グループ仲間と帰っているのに珍しいケースだ。


「なあ。ちょっといいか?」

 工藤は周りを気にしたように視線を巡らせた後で、くいと顎を動かす。

 早く来いという事だろう。

 なんなんだろう。竹浪さんの事をやたら気にしていたようだし、シバかれるのかな。

 じっと見返すが、その表情はどこか固い。

 当の竹浪さんは西崎達と一緒に教室前側のドアから帰っていった後だ。他にも続々と帰り始めていた。

 教卓前の赤坂もその例にもれず、鞄を取って軽やかに立ち上がる。

 こちらを向いて俺と工藤という異色の組み合わせに驚いたような顔を見せるが、それも一瞬。足早に教室を出ていった。

 それでも、教室内にはまだ残っている生徒はいる。


「ここじゃなんだし、購買でもいい?」

「すまん、一之瀬。助かるよ」

 俺が提案すると、工藤は至極真面目な顔で頷いた。



 殆ど会話もしないまま、食堂の向かいにある購買の前までたどり着く。

 この購買は部活に出る生徒や授業後に備品を買う生徒向けなのかは知らないけれど、放課後も少しの間だけ開いている。

 店内は俺達の他に誰もいないようで、工藤は手早く何かを買うとすぐに店から出てきた。


「やるよ」

 そう言って、目の前に突き出されたのは焼きそばパン、値引きシール付き。


「いいのか」

「いいっていいって。俺の奢り」

 受け取ると、工藤は自分の分の焼きそばパンも持って手近なベンチに座った。


「あー、あちーなあ」

 そう言ってワイシャツをパタパタさせて涼み始める。

 すぐ終わる話でも無さそうだ。俺は工藤の隣に座り、一緒になって中庭を眺めた。

 二階三階の教室の窓辺を見ても残っている生徒は殆どいない。部活もまだ始まる前で、遠くから鳥の声が微かに聞こえるだけだ。

 俺は焼きそばパンの薄いビニールの包装を破って一口頬張る。

 冷めきった焼きそばの食感だけど、午後の授業を終えて空き始めた腹には効果てきめんだ。普通に上手い。ソースの酸味に舌の端をうずかせながら、一気に食べきった。


「お前、本当に愛理とは別に何も無いんだよな?」

 ゴミになったビニールの包装をたたんでいると、工藤は俺に問いかけてくる。

 俺の一挙手一投足をじっと観察していたようで、殆ど食べていない焼きそばパンを握り締めたまま。


「竹浪さんとは球技大会で何度か話しただけだって。ほら、野球の練習とかで」

 気さくでいつも明るい竹浪さんは教室内でも目立つし、男子に対する距離の詰め方が異様に近い。顔も可愛い部類だと思うし、俺みたいな男子がうっかり勘違いしちゃうこともあり得る。

 大方、工藤はそんな懸念をしているんだろう。


「本当に……大丈夫なんだな?」

 念を押すような言い方。丸っこい目がじっとこちらを見つめている。

 焼きそばパンは包装が剥かれていつでも食べれる状態だけど未だ手付かず。余程、俺が竹浪さんと何かないか気にしているようだ。


 ここで『実は俺竹浪さんの事……』なんて心にもない事を言うと、工藤の手の焼きそばパンは怒りでぎゅっと握りつぶされてしまうだろう。


「別に何も無いってば」

 なので、俺は諌矢相手に使うような冗談は言わず、本心のまま答えた。


「竹浪さんが俺に優しくするのは多分ただの慈悲だろ」

 俺を凝視していた工藤が、すっと身を引く。


「だよなあ~。一之瀬って空気だし人畜無害そうだもんなあ。何となくからかいたくなるんだろうな、愛理も!」

 そう言って安心納得したようで、ようやく焼きそばパンに一口つける。


「てめえ……」

 いつも諌矢にいじられている俺のポジション上、仕方がない事だけど、やっぱり腹が立つ。


「一之瀬には分からないかもしれないけどさ……一応言っておきたい事があるんだ」

 そんな風に睨んでいたら、工藤は改まったように俺に向き直る。


「何だよ?」

 ぐっと噛み締めるように工藤が俺から視線を外す。

 そして、何度か迷った末にもう一度俺を見る。真剣そのものの目だった。


「な、何……?」

 自然、ベンチにもたれ気味だった背筋が途端に垂直になる。

 両足の上に拳まで置いて、俺は面接でもしているんだろうか。


「俺さ。実は、愛理の事――好きなんだ」

 焼きそばパンをぷるぷる握り締めながら、工藤は一気に言いきった。

 クラスメートに相談するとしてもやはり緊張はするのだろう。

 普段軽薄な癖に、柄にもなく赤面している。



「うん。知ってた」「何ッ!?」



 即答の瞬間、きゅいっとビニールが擦れる音。爪でも立てたのか、破けたビニールから麺が飛び出して飛んだ。

 ああ、もう! どんな選択肢をとっても焼きそばパンが死ぬタイプの分岐だったらしい。


「何してんだよ。もったいないなあ」

 俺がアスファルトの地面に散った焼きそばの残骸を拾い集める。


「まさか、一之瀬に知られてたなんて……」

 工藤は潰れたパンを握り締めたまま、ベンチの上で放心状態だ。ずっと隠し続けていた悩みを打ち明けたつもりが、最初から知ってたなんて言うから相当ショックだったんだろうなあ。

 それにしては前置きの長い茶番だったな。

 本当に、茶番。


「なあ、工藤。今の話って、他の連中も知ってんの?」

 呆れながら尋ねると、工藤はしれっとした顔で答えて見せる


「一之瀬は言いふらしたりしなさそうだからな。打ち明けたのはお前が初だ」

「そうか」

 あーこれ。絶対周り皆知ってるやつ。


「へへっ」

 工藤は照れ臭そうに鼻を擦る。

 秘密は守る人物と思われていたようで、俺は正直嬉しかった。

 けれど多分、工藤が竹浪さんを好きな事は諌矢や須山達にとっては、周知の事実なんだろうな。

 でも、それを教えたら落ち込むかもしれないので言わないでおく。


「だからさ……俺と一緒にデートしてくれ」

「はあ?」

 そんな事を考えていたら予期しない一言が飛んできた。俺は思わず間の抜けた声を出してしまう。


「ちょっと待てよ、工藤。竹浪さんが好きなのに、何で俺とデートするんだよ」

 とうとう壊れてしまったのかな。


「女子っていつもグループで行動するだろ?」

 工藤は握り潰れた焼きそばパンの扱いに困りながら、ようやくそれを離して、その手で俺の手を取る。


「お、おう……」

 いきなり何の話をされているのだろうか。

 握った手を揺すりながら、工藤は語り掛けてくる。手についたソースが酷く匂う。


「愛理とデートしたいのに、西崎がついてきたら意味ないんだよ」

「じゃあ、竹浪さんだけ誘って二人で遊べば良いじゃないか」

 一番いい方法だと思う。しかし、工藤は首を振る。


「そんなの、恥ずかしいだろ! だから俺と愛理。一之瀬と赤坂さんの四人で遊ばないかってプランなんだよ、これは」

「はあ? 赤坂と?」

「そう。ダブルデート!」

 工藤が人差し指を掲げて得意げにそんな言葉を口にする。

 そういう事か。でも、ダブルデートとかリア充がするイベントじゃないか。お断りだ。


「それなら猶更諌矢誘え。彼女欲しいとかそう言う話ならあいつに全部お任せしろ」

「――だああッ、ダメなんだって!」

 短く切りそろえられた無造作ヘアーを余計にくしゃくしゃさせながら、工藤が悶絶する。


「風晴が来るってなったら、西崎も来るだろッ! そうなったら結局いつもと同じなんだよ」

「確かに」

 そこでようやく、工藤の意図が読めてきた。


「つまり、あんまり口出ししない俺なら背景みたいなもんだし。四人で遊ぶ名目で、工藤は竹浪さんと親密度を上げて何かしら関係を進展させたい。そういう事だな?」

「そう! そう言う事だよ、頭いいな一之瀬!」

 めんどくさくなった俺が適当に要約すると、工藤は感極まった顔で頷いた。


「一之瀬は()()()()でいい。とにかく数合わせで西崎も来ない状況を作り出したい。だから、頼むよ」

 そして、ぐっと身を乗り出して、根も葉もない酷い事を言う。


「数合わせって……しかも背景扱いなんて……」

「背景って言ったのは一之瀬だろ」

 工藤は冷めた顔でツッコミを入れる。成程、冷静な判断力は失われていないようだ。


「なあ、一之瀬。本当お願いだからさ。赤坂さんも呼んで四人で遊んでくれよ」

「本気なのか……」

「本気だよ!」

 工藤は立ち上がり、じっと俺を見下す。


「グループの奴らには負けたくねえ。愛理には誰よりも俺を構ってほしい。その分、俺だって愛理を誰よりも大切にしたい。もっとずっと一緒にいたいんだ」

 そんな、邦楽の歌詞みたいな熱い思いの丈を俺にぶつけてくる。

 どうやら、工藤は本気で俺を頼ってきているらしい。人にこれほどまでに頼られたりしなかったのが俺だ。正直悪い気はしない。

 だが、腑に落ちない点はまだある。


「何だ。何かあるのか?」

 工藤も俺が芳しくない顔をしているのに気づいたようだった。


「何で赤坂なんだよ? 何回も言ってるけど、俺は別に赤坂と付き合ってる訳じゃ――」

「赤坂さんが来ると分かって、西崎が行こうと思うか?」

 工藤に言いかけた言葉を止められる。そっちかよ。


「愛理は球技大会で結構赤坂さんと話してたみたいだけどさ。さっきの体育の時間だって西崎とは最悪な感じだったろ? だから、これは保険の保険なんだよ」

「確かに」

 すごく納得のいく理論だった。

 仮に、俺達が四人で出かけるのがバレたとして。赤坂も来ると知った西崎は間違いなく敬遠するだろう。


「とにかく、四人で遊ぶって言って愛理を何とか連れ出すからさ。一之瀬は赤坂さんを呼んで欲しいんだ」

 そう言って、思い出したかのように潰れていた焼きそばパンの残りを一気に食いきる。

 そうだね、食べ物は粗末にしちゃいけないからね。なかなか見どころのある男だ。


「期末テスト明けか。それなら、赤坂も応じるかもしれないなあ」

 変に隠すよりも、工藤や竹浪さんの状況を全部伝えた上で頼んでみるか。

 竹浪さんともそれなりに相性良さそうだし、世話好きの赤坂なら頼めば応じてくれるかもしれない。


「分かったよ。赤坂に聞いてみるよ。でも、期待はしないでよ?」

 赤坂が拒否したらこのプランは白紙に戻る。その時は諦めるという条件付きで工藤は頷いた。


「ありがと、一之瀬! 恩に着る。また何か奢ってやるからさ!」

 工藤は無邪気に笑うと一足先に帰っていく。


「はあ……」

 俺は一人取り残されながらベンチにもたれる。何か疲れたな。

 しかも、数合わせの西崎避けとは言え、ダブルデートだなんて。


「赤坂と連絡先交換しといてよかったのかな……」

 こんな形で教えてもらった連絡先を使う事になるとは思っていなかった。ポケットのスマホに手を伸ばそうとしたところでその動きを止める。


「手についたソース、洗わないとな」

 工藤には、何故か後始末と尻ぬぐいばかりさせられている気がした。

 それに、結構ガバガバな計画っぽい。


「そんなに上手くいくかな……」

 一人呟きながら、俺は手洗い場へと急いだ。



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