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3-10 女王の命令

 その場から逃げたい一心で教室を出た俺。しかし、残念なことに昼休みはまだ始まったばかりだ。


「よし、久しぶりに行ってみるか」

 時間を潰す為、俺は旧校舎の屋上へと向かう事にする。

 赤坂は今日は外で食べてくると言っていたし、鉢合わせになる事も無いだろう。

 事前に行動予定が分かっていれば生息域も被らない。


「赤坂め。本当回りくどい事考えやがって」

 野生動物は互いのテリトリーを持っていて、同じ地域で出くわさないように生活しているという。

 それと同じことを俺は校内でしているようだった。

 俺は奥羽山脈のクマかカモシカか?

 そんな事を心の中で愚痴りながら古びた階段を上る。

 タイルの端は所々欠けていて下地のモルタルが丸見えだ。一段上がる度にいかにも身体に悪そうなパサパサした粉が舞う。

 七月に入って暑さも一段と増してきたけど、ここは日の当たらない立地のせいかひんやりしていた。

 最後の踊り場を過ぎ、屋上へと続く鉄扉が見えた所で俺は足を止めた。


「……」

 そこで初めて後ろから続いていた奇妙な感覚も止まり、野生動物的な勘でそれが足音だったのだと気づく。

 振り返った先、折り返しになった階段の踊り場から西崎瑛璃奈が顔を覗かせていた。


「何で、西崎がついてくるんだよ?」

「……」

 口許を真一文字にした神妙な面持ち。落ち着きなくカールがかったブロンドを指でいじり始める。バレずに後をついて来たというよりも、話しかけるタイミングを計れないでいたという所だろうか。


「ついてきてないし。あんたがご飯食べてさっさと行っちゃうのが悪いんだけど」

「いや、まさかクラスの女王の西崎が俺なんかの後を歩いてきてるとは思わなかった」

 へり下った風に言ったけれど、向こうからすれば嫌味として受け取るかもしれない。


「あっそ」

 特に俺の言葉には興味も示さず、西崎は踊り場へとその姿を完全に現す。

 相変わらずスカートが短くて下半身殆ど足だ。いや、下半身は足だけど、露出してる割合が他の女子の比じゃない。


「どこに行くかと思えば、こんな陰気なとこ? きも」

 凝視するのもはばかれるのでキョドっていたら、西崎が弱みを見つけたと言わんばかりに責め立てる。


「ていうか、何でそんなに歩くの速いの?」

 言い方もキツいけど、人の心をいたぶるのを全く厭わない表情で言うのが何よりもキツイ。

 冗談交じりに嫌味を混ぜてくる赤坂と違って言葉の重みがまず違う。

 声のトーンに威圧感があって、目も本気だ。掛け値なしの悪意やら敵意が槍のように突き刺さってくる。

 とどのつまり、やっぱり俺はこの女子が苦手だ。


 ――けどな。


 俺は赤坂の心の強さを見習おうと思ったのだ。

 あいつみたいにちゃんと物を言って、自分の意思で行動出来なきゃ、腹が痛くなる悩みだっていつまで経っても直らない。

 俺の大いなる目標をかなえる為、西崎相手にいつまでも臆している訳にはいかなかった。


「で……その西崎さんが、俺に何の用だよ?」

 なるべく目を合わせながら、ありったけの角度から西崎を見下す。実際、階段の上方に俺は立っているので地の利がある。スター・ウォー〇なら完全に勝ち確定パターン。

 あれ? ぶら下がってる方が勝つんだっけ? 

 そんな雑念を吹き飛ばす勢いで俺は西崎に向き直る。


「また、諌矢の件か?」

「……ッ!?」

 今さっきまで髪をいじっていた手をびくっと跳ねさせて、西崎が俺を凝視する。

 その表情にはあからさまな焦燥が見えた。

 相変わらず、諌矢の話になるとリアクション芸人並みにいい反応をする。


「やっぱり。俺に用があるって言うのはそう言う事なんだな」

 西崎は目を伏せた後に、もう一度俺を見上げてありったけの眼光で睨みつける。


「本当うざいんだけど。ああもう……!」

 そう言って足早に階段を踏みしめながらこちらに上ってきた。

 タンタンと上履きの音がタイルを叩く。

 歩きぶりからすると、球技大会のテニスで傷めていた足はもう治ったみたいだ。

 嗚呼。罵倒を浴びるこの状況下でも西崎の身体を気遣っている俺。我ながら良い奴だなあとか思ってしまう。


「一之瀬ムカつく……本当うざい!」

 階段を上りきった西崎はこちらを睨みながら前に進む。たまらず後ずさると背中が扉に当たって声が漏れた。

 しまった、退路を塞がれた!


「本当何なの。ほんとムカつくっ!」

 ドン! ドン!

 そんな音がして思わず上目で見たら、西崎が鉄扉に思いきり手のひらをついていた。

 とどのつまり、俺は西崎に壁ドンされている。


「つーか、あたしさ。諌矢と一対一で話してきたんだけど!?」

 疑問形で恫喝された。

 マスカラで盛られた睫毛、ギャルメイク無しでもいけるんじゃないかというくらいの整った顔立ちと色白の肌。

 西崎は学年レベルでも相当に美少女の部類に入ると思うけど、やっぱり怖い。


「なに、何なの……?」

「あんた前に言ってたじゃん。告白するならちゃんとすればいいって!」

「ああ。言ったっけ……諌矢にだよな?」

 以前、西崎は諌矢に彼女がいないか探りを入れたらしく、諌矢からの返答が芳しくないのか本気で落ち込んでいた。

 偶然それを知った俺は、西崎にまだ諦めるのは早い的なアドバイスをした記憶がある。

 時期を見てから、ちゃんと話をすればいいじゃないとか言ったっけ。


「あんたの言う通りにしてみたのに。本当最悪」 

 苛立ち気味の西崎。

 何故か、俺が仕向けたような物言いをしてくる。彼女の足の状態を少しでも心配した自分を呪った。


「それに諌矢も……ほんっと有り得ない! 何なの、あの態度っ!」

「何の話だよ……!?」

 呆気に取られるまま、西崎の話が進んでいく。

 彼女が語る状況事情、5WH1……その辺がさっぱり掴めない。


「うっさい。ちゃんと聞け」

 しかし、西崎は指先で扉をカツカツ叩きながら、続ける。


「あんたの言う通り、諌矢呼び出してサシで話してきたんだけど!?」

 そこからは西崎の怒涛の自分語りが始まった。

 要約すると、こうだ。

 西崎はあの球技大会の後に諌矢を校舎裏に呼び出した。そして、面と向かっての告白を試みたらしい。

 しかし、諌矢は難聴系主人公とかギャルゲの朴念仁野郎みたいなムーブを発動し、西崎の言いかけた告白自体を言う前に阻止したという。

 そのミサイル迎撃戦略みたいな言葉のやり取りが、高度なリア充同士の恋愛駆け引きなのかは俺は知らない。


「諌矢! はっきりとあたしの言いたい事分かってた癖に」

「普通あの場に呼び出して話す事っつったら決まってんじゃん! ムカつく」

 壁ドンしたままの手を何度も叩く西崎。


「でもさ、諌矢の反応は? 告白自体してないなら振られた訳じゃないんだよな?」

 少し間が生まれたタイミングを見計らい、俺は恐る恐る尋ねる。


「は? 振られたとか言ってないんだけど? 人の話聞いてた?」

「ご、ごめん……」

 予想外に振られたという発言に食いつく西崎。ぎろりと睨まれ、俺はそれ以上聞き返すのを止めた。

 こいつに振った振られた系の単語はNGだ。受験生に滑る転ぶ言うのと同じくらい細心の注意を払わなければならない。そう肝に銘じる。


「つかさ、あれだけ真剣に言おうとしたら察しつくでしょフツー。それ言わせないとかマジ有り得ない」

 かび臭さ溢れるこの階段では、彼女の香水の匂いが一際効いていた。フローラルな香りが暴力的に攻め立ててきて、俺の思考はぐちゃぐちゃだ。

 ついでに言葉のパンチも的確に俺の心を抉りにかかる。そろそろ帰りたくなってきたよ。誰か助けて。


「本当、男らしくない。諌矢のやつ」

 そう言って西崎は俺を壁ドンから解放する。


「普段チャライ癖に。なんなん?」

「いや……なんなんって言われても……」

 さっき仲良しグループ四人で会食していたノリは何処へ行ったのか。

 今の西崎は、さながら嫉妬と憤怒に取り付かれたギリシャ神話の女神ヘラのように怒り狂っている。八つ当たりで動物か怪物に変えられるのかな、俺。


『女の愚痴はひたすら聞いておけ、無駄な事は言うんじゃないぞ』

 以前、諌矢はそんなノウハウ的な事を俺に教えて来たっけ。

 諌矢みたいな聞き上手なら西崎の愚痴も上手く聞いてやって、不満を取り除くことも出来るのかもしれない。

 ところがどっこい、西崎が愚痴る根本的な原因は諌矢の朴念仁ぷりなのだからどうしようもない。


「でも……」

 こちらの視線に気づく西崎。小ぶりな唇を開け、先程とは打って変わって没我の表情。


「名前で呼ぶのは良いんだって」

「は?」

 あまりにか弱いトーンで発せられた言葉に、俺は思わず聞き返す。


「ねえ、それってどういう意味だと思う?」

 呆然自失とはこの事か。西崎は尚も畳みかけるように言葉を重ねる。


「これからは私の事『瑛璃奈』って呼ぶんだって。で、私は『諌矢』って呼んでも良いって。あいつ、そんな事言ってた」

「お、おう。そうなんだ」

「ねえ、どう思う?」

 西崎は柄にもない慎ましい顔で尋ねてくる。さっきまで冬の津軽海峡並みに大荒れだったのが嘘のようだ。


「俺に聞かれてもなあ」 

 まあ、入学してからもう四か月目だ。違う中学出身でも仲の良い友達同士あだ名で呼びあう奴らもいるのかもしれない。

 クラス内も今の環境に大分慣れて来ていて、そういう時期なのも分かる。


「まあ、良かったんじゃないの。これもう付き合ってるようなもんでしょ? じゃあ俺はこの辺で」

「は!? ちょ、待て――待てよ!」

 そう言って階段を降りようとした所で、一際低い声の西崎が威圧した。

 だから怖いって。完全に男の口調じゃないか。俺より男らしくてビビったぞ。


「つーか何勝手に妄想してんの? 名前呼びくらいで付き合うとかありえないし」

「ええ……」

 おかしいな。フォローして温かい言葉を掛けたたつもりが馬鹿にされてる。

 どうやら、俺の思っている以上に恋愛という高みは果てしなく遠いところにあるようだ。


「でも本当、名前呼びとか今更過ぎて……ああ本当駄目だ、あたし」

 先ほどまでの気勢を取り戻す西崎だけど、何故か頬はほんのり赤い。照れ隠しか? 


「諌矢がいない時は余裕なのに、やっぱはずい」

 そう言って一人でふるふると金髪を振り乱して悶えている。

 愚痴の次はノロケかよ。誰か本当に助けてくれ。


「名前呼び……ね」

 どこか浮いた顔の西崎を眺めつつ、俺は考える。

 俺からしたら女子の事を名前で呼ぶのなんてまず無理だ。大抵は名字に『さん付け』

 名前で呼び合う仲になるなんて、俺からしたら『もう二人とも付き合ってるんじゃないの?』状態だ。

 末永く爆発すればいいのに。

 しかし、それでも西崎は不満らしい。こいつがどうすれば満足するのかいくら考えても分からなかった。


「それで、西崎はどうしたいんだよ? 名前で呼ぶの?」

 苦心した末にまずは西崎の考えを聞こうとする。

 しかし、顔を上げた西崎からは思いもよらない一言が返ってきた。


「だから、あんたも名前で呼ばせて」

「はあ? 何でそうなるんだよ」

 全く意味が分からない。危うく階段から落ちそうになる。


「つーか、それを言いたかったから追いかけてきたのに。本当あんたって足速いだもん。しね」

 俺に用があったのはともかく、何で死ななきゃならないんだよ。

 俺の命の価値は西崎の中では虫よりも低そうだ。


「諌矢だけ名前で呼ぶの不自然じゃない? だからあんたの事も名前で呼ぶ。カモフラージュだけどいいっしょ?」

「いや……だから、何で俺?」

「だって諌矢はあんたのこと『夏生』って呼び捨てだし」

 意外に見ている上に、変な所に細かいなーこの人。

 俺は辟易しつつも、気を取り直して西崎に向き合う。


「いや、でもさ。須山とか同じグループの男子いっぱいいるじゃん。そいつらを名前で呼ぶんじゃ駄目なの?」

 何でこんな事で議論してるんだろうな。心の中で首を傾げながらも問いかけずにはいられなかった。

 いきなり、敵対していた相手に名前で呼ばせろとか言われて完全に動転していたのかもしれない。


「須山とか甲野を名前呼びして変に意識されたら超めんどい」

 そう言って俺から目線を外す西崎。口をとがらせながら言ってのける。

 何なんだろうね、このギャル。

 さっきまで名前呼びくらいで何言ってんだこいつ的な事を言っていた癖に、矛盾してるよね。


「だ、だから……」

 赤らめた頬をこちらに向けつつ、西崎はもう一度指を向ける。


「あ、あんたなら、その辺の事情分かってるし。ある意味、安心っ」

 西崎にしては珍しく、どもりながら言葉を発している。

 いつも罵声か怒気をはらんだ言葉しか言わない西崎だけど、これは新しい。


「分かったよ。大体は」

 成り行きではあるけれど、俺は西崎がずっと悩んでいる諌矢への複雑な感情をある程度把握している。

 だから、他の男子を唐突に名前呼びするよりかは安全って話だろう。


「まあ、俺ならそういう勘違いもしないしな。いいよ別に」

 西崎は俺を見て、少しだけ驚いたように表情を変化させた。


「そーそー。あんたなら事情知ってる分、勝手に意識してこないしいいっしょ?」

 そして、これまでとは一転して軽い口調で素っ気なく言いきる。

 踊り場の窓から差し込んだ日光で、金髪がけぶっていて、西崎の表情は見えない。


「え……ああ。まあ、そうなるな。ん?」

 一方の俺は首肯するも、今一度考えた。



 ――つまり、それって、俺は西崎に男として一ミリも意識されてないって事だよな。

 相当見下されて馬鹿にされてるって事なんだよな、多分。



「うわあ、なんか腹立つなあ……やっぱ嫌になってきた」

「はあ!?」

 どこまでもディスられている事実に気づき難色を示すと、西崎は恫喝気味に迫る。


「だって、元はあんたが余計な事吹き込んだせいでこうなったし。その辺分かってんの?」

「それを真に受けて、下準備無しでいきなり告白する西崎も西崎だろ……」

 順序や段階を踏まえずに行動を起こして嫌われる男はいるらしい。

 どんだけ肉食系なんだろう、この女王は。


「つーか、西崎。わざと諌矢の他にも俺を名前呼びして嫉妬買うとかそういう戦略?」

「なにそれ、いきなり何?」

「いや、知り合いの女の人が言ってたんだ。好きでもない男子と仲良くすることで意識を引くやり方があるとかなんとか」

 美祈さんがそんな事を言っていたのを思い出し、俺は咄嗟にそれを口に出していた。

 西崎は暫く考えた風に項垂れると、俺を見て眉根を険しくさせる。露骨にドン引いた顔だ。


「きも。もしかして、あんたってそういうのネットで見てる系?」

 少しだけ穏やかに、静かに俺をディスっている。


「ぐぬぬ……」

 俺は何も言い返せない。奥歯をぐっと噛み締めながら、


「あ、そうだ。西崎」

 ふと、ある事に気づいた。


「そういえば、俺の事、名前で呼ぶんじゃなかったの?」

「……!」

 途端に赤面する金髪女王。


「マジ、ムカつく。あんた……じゃなかった。夏生って呼べばいいのかこれからは。うーん」

 押し殺したような声で西崎は呟く。取ってつけたような最後の一言が違和感強めでこっちまで恥ずかしくなってくる。


「あーもう。とにかく、そう言う事だから! いい感じに合わせといて」

 そう言って、悔しそうに踵を返していく。

 昼の星みたいに瞬く金髪を見送りながら俺は一人ほくそ笑む。


「やばい。案外面白いかもしれない」

 制御できないライオンを手なずけた感がある。

 でも、油断は禁物だ。調子に乗った俺を西崎は容赦なく噛み砕くだろう。


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