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3-8 黒髪美少女は試験対決を所望する

 それからしばらくの間、俺は二人に勉強を見て貰った。

 二人が通う予備校の練習問題は元から難関大を見据えている為か、まったくワケワカメ。

 俺一人じゃ全く手に負えないレベルだった。

 自然と勉強時間の殆どが俺への指導で占められていく。


「あー。夏生ってほんっと数学苦手なんだな」

 一段落した所で諌矢が声を上げた。長い足を大の字に伸ばして疲れたアピールをしている。

 当初は英語だけやる筈だったが、数学を始めてからは殆どつきっきりだった。

 数学が得意な諌矢が教えてくれているのに、俺の場合は基礎知識すら欠けている。

 途中からは桜川さんも加わっていて、俺一人の為の勉強会みたいになってしまった。ごめんなさい。


「でも、最初よりは全然飲み込み良くなってきたと思うよ」

 桜川さんがペンを握った手で俺を見て微笑む。飴と鞭かな?


「わりぃ、ちょっとウン〇行ってくる!」

 ようやくここから抜け出すタイミングを見つけたと言わんばかりに諌矢が立ち上がる。

 それにしても言い方だよな。俺は足早に出ていこうとする背中に声を掛けた。


「おい、諌矢。桜川さんがいるだろ!」

「夏生のせいで、笑い過ぎたんだよ」

 諌矢は俺の忠告など聞く素振りも無い。そのままスタスタと部屋を後にする。


「一之瀬君? 私の事なら気にしなくていいよ? 諌矢君って昔からあんなだし」

 気遣おうとしたら逆に気遣われた。


「それならいいけど……でも、無いよな」

 教室では女子に対して気配りが出来る諌矢。

  しかし、今この場では分かってて桜川さんに意地悪を言ってるんじゃないかと思えてくる。酷いセクハラ野郎だ。

 廊下側を睨み黙っていたら、桜川さんがペン先で手をつついてくる。


「ちっちゃい頃もあんな風に言って来たから、もう慣れっこだし」

 桜川さんは小さく頷く。余裕がある表情。

 それはきっと、昔から続く二人の信頼の証って奴なのかもしれない。


「本当に幼馴染なんだね」

「え」

 俺が言うと、桜川さんは少しだけ不思議そうな顔。

 俺には幼馴染なんて存在はいない。それこそ、アニメかラノベの世界での話だと思っていた。

 だからだろうか。二人のように小さな頃から互いを知り尽くしている関係は素直に羨ましかったのだ。


「でも、あんまりいいことも無いんだよね」

 しかし、桜川さんは首を振って答える。

 そのまま参考書のページに目を通しながら続ける。


「私達って親同士が仲良くって。それで競い合わされる感じだったんだ。小学生の頃は同じ習い事とかさせられたなぁ」

 そして、まるで遠い昔に想いを馳せるように。ぼんやりとした顔で天井を見上げた。


「スイミングにピアノでしょ? それに、さっき話したバイオリンも――」

「二人とも教育熱心な家なんだなあ」

 俺の親はそういう習い事には無関心だったので、軽いカルチャーショックを受ける。


「最初は大体ね、私がやるの。でも、後から始めた諌矢君にあっという間に抜かれちゃうんだ。いっつもそう」

 暗くなった窓の外を見る桜川さん。照明の下、艶めく黒髪に隠れた横顔は少しだけ寂しそう。


「でも……今だったらテストやっても桜川さんの全勝でしょ?」

 思わずそんな言葉が出た。実際に桜川さんはクラス内どころか、学年でも五本の指に入る程の成績を維持しているのだ。張り出される上位成績者の名前欄で彼女の名前を見ない科目は無い。


「そんな事ないよ。諌矢君の場合は本気出してないだけだし」

「え?」

「ほら、さっきも言ったでしょ? 試験とか絶対手抜いてるよ、あの人」

 あの人。そういう風に諌矢の事を言いながらそっと微笑む桜川さん。


「昔から見てきたから、そういうの分かるんだよね」

「でも、諌矢って結構点数いいよな。あれでも出し惜しみしてると……?」

 はっきりとした順位まで聞いていないが、諌矢は間違いなくクラス内では上から数えた方が早い方にいる。どの教科でも平均点以上はキープしていたと思う。


「ううん」

 しかし、桜川さんは違うんだと言って首を振る。


「諌矢君って元々、他の人よりも突出しちゃう人なんだ。ふつうにやるだけで」

「えっ?」

「他の人にとっては頑張って頑張ってようやく出来る事が諌矢君にとっては普通な事だったりするの。皆はハイペースで走ってるつもりでも諌矢君にとってはそれがマイペースなんだ」

 桜川さんはトイレからまだ戻ってこないのを見ながら、続ける。


「でも、そんな風にトップに君臨し続けたらどうやっても目立つでしょ? それが分かってるから、あまり本気出さないの。多分今は上手く調整してるんだと思うよ」

「調整?」

「手を抜いたら、それはそれであからさまでしょ? だから、バレない程度に上手くやってるって事」

 そう言って声を小さくさせる。諌矢本人にはあまり聞かれたくないんだろう。


「ああ、そう言う事か」

 ようやく分かった俺は、そっと頷き返した。


「諌矢らしいな」

「一之瀬君も見てて分かる?」

「まあ、あいつはあの性格だし。そういう風に取り繕うのは上手そうだなって」

 学校で何をやっても人より目立つ、何でも出来る完璧超人みたいな存在。

 そういう特異個体みたいのは少なからず、どの学校にもいるものだ。諌矢も漏れなくそういうタイプなんだろう。


「俺の知ってる範囲だと赤坂も同じタイプだな」

「やっぱり。赤坂さんも絶対目立たないようにセーブしてるよね?」

 ふふふ、と桜川さんは笑う。

 赤坂の能力の高さを看破しているらしかった。俺の主張に文句なしに納得してくれる。


「けど、諌矢は赤坂よりも上手くやってると思うよ、本当に」

「そうなの?」

 興味深そうにテーブルの上にぐっと立てていた肘を俺の方にずらしてくる。

 覗き込んでくる黒い瞳から目を逸らした。小さなテーブル越しだと距離感が近い。


「赤坂は徹底的にやり過ぎるんだ。目立たないようにして逆に不自然になるっていうか」

 実際、赤坂はそのせいで一部のクラスメートから敵意の眼差しを集める結果となっていた。

 今でこそ打ち解けつつあるけど、入学当初はかなり滅茶苦茶やっていた。

 諌矢はその点、柔軟にやっている。

 イケメンという理由だけで敵視する奴もいるけど、直接諌矢に難癖を吹っ掛けてくる奴はいない。

 それはきっと、諌矢が上手に立ち回って皆の感情をコントロールしてるって事なんだと思う。


「本当に曲者だよ、諌矢のやつ」

 常にクラスメートの感情に影響され、振り回される俺とは真逆の存在だ。

 正直、諌矢のスキルが羨ましくもあった。


「そう言えば、一之瀬君って赤坂さんの事詳しいんだね」


 ――は?


 気づけばこちらをじっと見つめる桜川さんがいた。

 直接赤坂と何かあるのかと聞いてくる訳でも無いのが逆に緊張感を催す。

 背中から変な汗が噴き出てきそうな気分だった。


「私が知らない赤坂さんの事、もっと知ってたりするのかな?」

「それは……」

 トイレの悩みとか、そういうのを桜川さんにバラす訳にはいかない。絶対に。

 俺は反射的に話を逸らそうとし、


「さ、ささ……」

「ん?」

 首を傾げると美しい黒髪がサラサラと流れ込む。


「さ、桜川さん的には、今の諌矢が全力出したら勝てると思う?」

 しどろもどろにそんな場当たり的な発言を仕掛ける俺。

 桜川さんは少しだけ理解するのに時間を要した顔をするが、


「勝つよ」

 即断即決。柔和な笑みを崩す事無く、俺を正面から見据えて言いきった。


「そこははっきり言うんだ?」

「諌矢君にだけは負けられないよ」

 不敵に笑う我がクラスの学級委員長。そう言えば諌矢は副委員長なんだよな。

 そんな心の声が伝わったのだろうか。


「私達二人が教えてるんだから、一之瀬君の期末は大躍進だね?」

 そう言って、きゅっと片目を瞑る桜川さん。長い睫毛が美しく伏せられる。


「そうなるように頑張るよ」

 思わずドキッとしながらも必死に頷き返した。

 しかし――


「ま。諌矢君との対決なんてさ。もう実現しないんだけどね。子供じゃないんだし……」

 俺に聞こえるか聞こえないかのトーンで、桜川さんがそんな事をぼやく。


「あいつの言ってた事なんて、気にしなくても」

 言いかけた俺を見て、桜川さんは優しげに頬を緩めた。 


「でも……そういう実現しない『もしも』って、逆にワクワクしない?」

「関ヶ原で西軍が勝ってたらとか、そんなやつ?」

「そうそう!」 

 悪い事を思い付いた子供のような表情だ。


「実現しないから夢があるっていうか……とにかく、そんなやつ」

 けど、彼女の瞳はどこか沈んでいて、俺にはそれが諦観にも見えた。



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