3-7 完璧イケメンと天才少女
「はいはい、じゃあ上がってー」
演技がかった声で諌矢が扉を開き、俺は玄関へと足を踏み入れた。
まず感じたのは、心安らぐ木の香り。芳香剤か何かだろうか。
「おじゃましまーす」
家族は多分いない。それでも俺は、薄暗い廊下の先に見えるリビングの扉に挨拶だけ飛ばしておく。
「あー、大丈夫大丈夫」
諌矢は何か思いついたように暗い天井を見上げ、
「とりあえず、今日両親いないから♪」
「そういう言い回しだと、何か別の目的で来たみたいだからマジでやめろ」
「へいへい」
言いながら、諌矢は玄関のスイッチを小突く。薄暗かった廊下がオレンジ色に照らし出される。
家の中は美祈さんの所ほどではないものの新しい。
あとやたら廊下が広くて部屋の扉があちこちに見える。金持ちなんだろうなあ。
「『両親いないから』は、俺が言いたいセリフベスト3に入るんだよなあ」
そんな事を言いながら階段を上がっていく諌矢、俺と桜川さんもそれに続く。
「じゃあ、他は?」
尋ねると、諌矢は嬉しそうな顔で振り返る。
「そうだな……『なぁに、天井のシミを見ている間に終わるよ』だろー? あとは」
「もういいよ、聞いた俺がアホだった」
後ろには桜川さんもいるのに、なんて事を言うんだろうか。
吹き抜けになった階段を上ってすぐの所に、諌矢の部屋はあった。
「まあ、そこらへん座っててよ。清華は飲み物は何がいい?」
「とりあえず、コーヒーをお願い」
「夏生も同じので――あっ」
何かに感づいたように、諌矢がにやりと笑う。
「コーヒーだと腹壊すんだっけか?」
「そうだな。とりあえず俺はお茶でいいよ、え?」
くすくすと笑う桜川さん。何なの、何がそんなにおかしいの?
ああそうか。コーヒー飲めないなんてお子様だって言いたいんだよな、多分。
一気に面白くなくなる。
「一之瀬君。とりあえず座らない?」
ムスっとした俺を余所に、桜川さんはローテーブル前で行儀よく膝を崩す。
俺の部屋よりも一回り広い諌矢の部屋。ベッドがあっても全く手狭に感じなかった。
窓際に配置されたのはレトロな風合いのコンポと、アコースティックギター。ドラマや漫画のイケメンの部屋には大抵音楽に関するアイテムがあるけど、まさにそれ。
更に、子供の部屋に置くにしては少々大きめのテレビにはゲーム機が繋がれていた。俺の持っている物よりも一世代前のハード。
この点では俺の方が勝ってるけど、単に諌矢がゲームから卒業しているだけなのかも。
俺の家の部屋も本棚を買い足したり勉強机の上棚を取っ払ったりで、使っている小物も随分と変わった。
でも、諌矢の部屋はそれ以上だ。単に十六年間成長を積み重ねてきただけではない。日々、大人へと感性を成熟しているのだという事を思い知らされる。
これもリア充イケメンと冴えない空気ポジとの差だろうか。
「一之瀬君。どうしたの?」
そこまで巡らせてようやく我に返る。
桜川さんが俺を不思議そうに見ていた。あまりに落ち着きなく部屋を物色するものだから声をかけずにいられなかったのかもしれない。
「いや、別に……ん?」
ふと、クローゼットの横にまだ家具が置かれているのに気づく。見るからに高そうな木製のキャビネットにはトロフィーやら額縁に入った賞状がこれみよがしに飾られていた。
やたらと目に入る『久寿川中学校バスケットボール部』という文字。諌矢のバスケ部時代の物だろうか。
横に立てられた写真立てにはユニフォーム姿で笑い合う野郎五人の姿。その中でも諌矢が抜群に輝いていた。
俺は自撮りですら抵抗を覚えるのに、こいつは自身の写真を四六時中見える場所に飾っているのだ。
「どんだけ自分大好きなの……」
「諌矢君。バスケだと特にすごかったよ。いつも後輩の人達に囲まれてた」
そう言って、黒い髪を撫でて笑う桜川さん。ああ、今日湿気多いもんな。
「球技大会でも大活躍だったしな」
俺も腰を下ろす。勿論、学年随一の才女の隣に座るなんて恐れ多いので対面側だ。
桜川さんはテーブルに広げた参考書に目を落としていた。
「バスケなら強い高校、他にもあるのにね。諌矢君の実力ならインターハイも行けそうじゃない?」
俺自身バスケの経験は殆どない。けど、素人目にも天性のセンスというやつは感じられた。球技大会の諌矢は、バスケをしている動きにもそういうオーラがしっかりと出ていた。
「中学の部活でしごかれて嫌になっちゃったとか言ってたよ。それにほら、諌矢ってあの性格だし」
「そうなんだ。それは初めて聞いたかも――」
「あ、何だって?」
そこにちょうど諌矢がやってくる。両手で支えたトレーの上には湯気を伸ばす三つのコーヒーカップ。
俺のカップに入ってるのは緑茶だった。湯飲みをいちいち用意するのが面倒なのか、西洋かぶれのこの家にはそういう類いの器が置いていないだけかは知らない。
「どこかの嫌味なナンパ野郎の悪口を言ってたんだよ」
「放課後の仲間内での悪口大会は盛り上がるよな! 誰だよ、それ」
緑茶を受け取りながら答えると、諌矢は面白そうに聞いてくる。
「お前の事だよ、諌矢」
話に乗ってきた諌矢がショボーンの顔文字みたいになる。
それを見て、桜川さんがまたもくすりと笑い声を零す。待ち構えていたようなタイミング。
俯いているが笑いをこらえるのに必死な顔だった。いいぞ、もっと笑ってやれ。
「なんだよ。清華まで笑うなよなー」
俺の横にどっかり座る諌矢。つまらなそうに両手を後ろについて長い足を伸ばす。
「そういや、諌矢ってギターもするのか?」
「ああ、それね」
俺はすぐ近く、壁に傾けたままのアコースティックギターを指さす。
「なんだよ、夏生。ギター気になる?」
言いながら、諌矢は顎を引いて小さく頷く。
その仕草がギターを鳴らしてもいいのだと解釈した俺は指先を伸ばし、弦を弾いてみた。
ぽろーん。そんな哀愁を帯びたギターの音色が、夕暮れ時の部屋に響く。
「まあ、最近は放置してるからな。弾き方なんて忘れちまったよ」
そう言いながらカップに一口付ける。
「一時期はハマったけど、飽きちゃったつーか」
「もったいない事するなあ」
「ま、こういうの部屋にあると、とりあえずはかっこいいじゃん? 女の子呼んだ時とか」
白い歯をニカっとさせながら、諌矢は小首を傾ける。
「ムカつく野郎だ……」
「諌矢君はバイオリンもやってたもんね」
と、これまた絶妙なタイミングで桜川さんが指摘する。ギターの事には全く触れていないので、モテたい目的で始めたとかいう諌矢の目論見は見事外れているという事になる。
それはともかく、
「マジか。バイオリン弾くのか……」
バイオリンを肩に乗せて演奏する少年諌矢もといショタ矢。
なぁんか嫌だなあ、絶対クソガキだよ。
「清華。そういう事バラすのやめろって」
諌矢はどこか困ったような顔で笑いながら、カップをテーブルに置く。
「イメージ通りじゃない? 一之瀬君?」
「まあ……うん」
桜川さんに押される形で同意すると俺が頷くと、諌矢が大笑いする。
「お前らは俺にどんなイメージを抱いているんだ」
そして、気を取り直したようにあぐらをかいた。
「まあ、昔はいろいろ習わされたんだよ。そういうの子供にやらせるの大好きな家なの。うちは」
不貞腐れたように言って見せるけど、きっとこいつの事だから器用にこなせたんだろうな。想像は難くない。
「バイオリンとかギター弾いたり、バスケで無双したり、格ゲー極めたり、高校では女口説いたり、お前のキャラは固定されないな」
冗談半分、本気半分でいじると、諌矢は脱力気味に肩をくたっとさせる。
「いろいろ試してるだけだよ」
「でも、諌矢なら全部できちゃうんだろ? それが腹立たしい」
「……」
諌矢は何故か俺を見て困ったような笑みを浮かべる。
「どうかしたか?」
「さ、勉強勉強」
俺の言葉をスルーして諌矢は長身を起こす。
そして、机の引き出しから予備校の問題を取り出した。
「んで、清華は自分の分持ってきてる?」
「うん」
桜川さんも鞄から同じ問題を出す。可愛らしいキャラクターのクリアファイルに皺ひとつなく挟まれた複数枚綴りのプリント。
「ちっ。コピーの必要も無いのかよ。お前も本当、昔からそつなくこなすよな」
面白く無さそうに桜川さんをいじる諌矢はどことなく、いつもと違って見えた。
教室の諌矢はいつもチャラチャラしていて、女子相手には軽薄の中にも労りみたいなのがある。
でも、今の諌矢にはそれが無い。女子の桜川さんに対しても、俺や須山を相手にしている時みたいなスタンスだ。
「ふふふ」
そして、桜川さんもまた、ぞんざいな扱いをされているのに平気な顔をしている。教室で見る優等生の落ち着いた表情ではあるものの、ここではそれが逆に小悪魔的な様相を醸し出している。
「なあ……」
そんな二人を見て、俺は恐る恐る口を開く。
「諌矢と桜川さんってさ……知り合いなの?」
「今更かよ。知り合いも何も――」
言いかけた諌矢に、
「そうね」
桜川さんが頷きながら続く。
「私達はなんていうか……腐れ縁ってヤツ? ね、諌矢君?」
そう言って勝ち誇ったように笑みを作り、諌矢に顎先を向ける。
「ばーか。こういう時は幼馴染って言えよな。言い方さあ」
それを合図に二人は肩を震わせながら押し殺した笑いを漏らした。ほぼ同時のリアクション。
本当仲良いな、この人達。
「やっぱりそうなんだな。二人とも教室で見る時と全然違うし」
「そう? 一之瀬君にはそう見えるんだ?」
「なんというか、気心知れた感じというか……」
そう返すと、桜川さんは少し嬉しそうに笑みを作る。
「そうかぁ?」
一方の、諌矢は何とも言えない渋い顔。
視線を逸らした先にはシャッターカーテンの上げられた窓。小さな道路を挟んで、ここと同じような新しめの住宅が並んでいる。
「そもそも清華の家、あすこだし」
訛り混じりで諌矢が小首を向けた先――そこには、夕陽を真正面から浴び、聳えるように立つ大きな家が建っていた。
一階部分は車庫になっているようだった。白塗りの外観は貴族が住むファンタジーの屋敷みたいで、ここって金持ちの住宅地なのかなあとか、そういう下衆の勘繰りをしてしまう。
「俺らって小学校も中学校もずっと同じだったからな。慣れてんだよ」
「まさか、高校まで諌矢君と同じだとは思わなかったけどね」
そっけなく諌矢は言うが桜川さんははっちゃけたような口調。ふざけるように俺を見て笑う。
「な? 清華っていっつも俺に張り合って来るんだよ。勉強でも何でも」
諌矢も満更ではなさそうな言い方。
「なんなら諌矢君」
不意に、桜川さんが何か思いついたようにテーブルに身を乗り出す。ほんのり舞う花束の薫風。
「昔みたいに『勝負』してみない? どっちが上か。今度の期末試験の順位――」
「清華。子供じゃないんだから」
「え」
諌矢は気取った風に鼻で笑う。それまで満開になった花みたいに感情を表出していた桜川さんが押し黙る。
「昔とは違うんだって」
立てた膝に顎を乗せ、足をだらりと延ばしながら小さくため息。
「まあ……それはそうだけど」
それを聞いた桜川さんはしょぼんとしながら座り直した。ペンを持つ手が過剰にぎゅっと握られているのを俺は見逃さない。
「……」
そんな桜川さんの表情の変化に気づいたのか、
「第一、今の清華と俺じゃ勝負にならないだろ?」
諌矢はほろっと甘い笑みを浮かべて小首を傾げる。
「随分と自信満々なんだな、諌矢」
「夏生は何か勘違いしてないか? 俺が言ってんのはそういうんじゃなくって」
コーヒーカップに口を付ける諌矢。開かれたままの参考書を手のひらで押し、ページをめくる。
「どう見ても清華の方が頭良いからな? 今の俺の頭じゃ敵わないって事」
どこか中性さを思わせる諌矢の長い睫毛は、そっと伏せられたままだ。
「謙遜するな。俺の順位からすれば二人とも雲の上の存在だ」
「試験で二教科トバして未だ実力未知数の夏生に言われたくねーな」
諌矢の言い方だと俺が実は強キャラ感あるような言い方だ。でも、単に無得点扱いで赤点二教科だっただけだからね、俺。
試験中に貧血になって、現代文とその次の科目を受けずに終えた俺は、今度の期末こそは良い点を取らなくてはならないのだ。
「はあ……そうなんだよな。気が重いよ」
ちらりと隣の桜川さんを窺うと、それに気づいた彼女はそっと華やぐように微笑む。
「大丈夫だよ、一之瀬君。次がんばろ?」
「え、ああ……うん」
優しいな。この人。どこかの辛口でやたら隙が無い女子とは真逆の存在だ。
安堵する俺を見た桜川さんはこほんと小さく咳払い。諌矢に目配せしながら口を開く。
「小学校の頃はシノギを削っていたけれど……そうね。中学からは多分、私の方が成績いいんじゃないかな?」
「シノギって……」
「ねっ、良い性格してるでしょ? この人」
そう言って諌矢は、肩をすくめてみせた。
次回投稿は19日くらいを予定しております。
宜しくお願いします。