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3-6 二人の意外な接点

 それから数日経ったが、特に桜川さんの勉強会の誘いは無かった。

 女子はその場の会話を取り繕うのが上手いって言うし、先日のマンツーマンサポートの提案だってその一環だったのかもしれない。

 俺の方から頼む訳でもなければ、今後の勉強会はなさそうだ。今日もそのまま帰ろうと廊下に向かう。


「桜川さん。昨日はあんがとな!」

 ふと、ドア近くで須山が桜川さんを捕まえて何か言っていた。快活過ぎる須山に、桜川さんは少しだけ気後れしたような顔。


「これで俺も赤点取らなくてすむかな」

 他にも何人かの男女がそんな事を言い合っていた。

 どうやら、桜川さんは俺や赤坂だけでなくクラスの皆の勉強も見ているらしい。


「あ、一之瀬君」

 立ち止まっていた俺に桜川さんが気づく。そのまま軽やかなステップで一気に距離を詰められた。


「この前言ってた話なんだけど、今日の放課後空いてる?」

「英語の勉強見てくれるって話?」

「そうそう、覚えててくれたんだ。嬉しいっ」

 気乗りしない風に言ったつもりだったが、桜川さんは本当に楽しそうに頷き返した。


「昨日は他の人達と一緒に勉強してたから見られなかったんだ。でも、今日なら大丈夫だから。予備校もないしっ」

 そう言ってぎゅっと可愛らしく拳を握る。マジかよ本気か。本気で勉強好きなのか、この子は。


「まあ、英語は実際点数低い科目だし……教えてくれるなら助かるかもしんない」

 いよいよ断ることも出来なくなった俺は、そのまんま思いついた語句を並べ立てて話す。

 誰かこの状況を何とかしてくれ、そんな事を祈りながら。


「でしょ!? じゃあ図書室で……あ、でも」

 桜川さんはあることに気づいたのか時計を見た。


「図書室だと今日は五時までしか使えないわね……うーん」

 ちらりと見る。何だ、もしかしたらこのままナシになるパターンなのかな。それならそれで俺は助かるけど……


「そう言えば、一之瀬君って篠岡中だったよね? 私の学区と近いし」

「え、ああ……そうだっけ。」

 突然の出身校の話。さっぱり意図が読めず、そのまま答える。

 すると、桜川さんは手を合わせながら顔を近づける。何か目がきらきらしていた。


「私も駅前の方なんだ。結構近いよね」

 話しぶりからすると隣の学区だろうか。まあ、遠くは無い。


「それならって思って。駅前ビルって図書館あるじゃない?」

「ああ……確かにあの場所なら夜まで開いてるよね。家も近いし、いいかも」

 桜川さんが提案する駅前ビルには様々な店舗が出店しているが、市で管理運営している施設も多々ある。観光者向けの物産コーナーなどがほとんどだが、その中には図書館も併設されているのだ。


「じゃあ、いこ」

 桜川さんは落ち着いた雰囲気のする通学リュックを背負うのだが……


「教えてもらうのはありがたいんだけどさ、またこの前みたいに誰か誘ってもいいかな?」

「うん。いいよ。じゃあ、廊下で待ってるね」

 赤坂ならともかく、桜川さんとは殆ど話した事が無い。二人きりで勉強会するのはやっぱり苦手だ。

 同行者の許可を求めると、桜川さんは快く頷いてくれた。綺麗な黒髪が教室のドアを抜けていくのを確認。


「……よし、誰か探すか」

 その瞬間、俺は教室に残る数少ない知り合いを探し始めた。

 それこそ血眼で。





「――何だよ。それで俺?」


 帰る寸前だった諌矢は、あきれ顔で俺を見下していた。

 ダメ元で球技大会で一緒に野球をした白鳥を誘ってみたが断られた。

 他に誘えそうな奴もいない。手段を失いかけていた俺は諌矢に頼み込んだのだった。

 放課後に女子と二人で勉強するのが気まずいから一緒に来てくれと言えば、女好きの諌矢なら乗ってくると思ったのだ。


「で、誰なんだよ? お前に勉強教えるっていうもの好きな女子は。天使過ぎない? もしくは空想上の脳内クラスメートじゃねーの?」

 きょろきょろ残っている女子を物色する諌矢。本当に楽しそうな顔してる。


「桜川さんだよ」

「マジかよ……」

 相当驚いたんだろう。諌矢は呆然と呟く。


「俺、前の中間は英語受けられなかったんだ。小テストも散々だったし」

 俺はいかに英語の成績が危険域にあるかを説明する。委員長だからクラスの落ちこぼれは放置できなかったのだろうとか、諌矢に伝える。


「マジかぁ……」

 しかし、女子と勉強会出来るのを期待していた筈の諌矢はピリッとしない顔。


「つーか、赤点取ったのはお前がメシ抜けとか失策かますからだ。責任取れ」

 そんな諌矢に俺はつい、きつい言い方で迫る。テスト中の腹痛を悩んでいた俺に、諌矢は飯を抜いて臨めばいいとかアドバイスしてきた。

 それに従って前の晩から断食して臨んだ定期試験。俺は見事貧血で倒れ、二教科受ける事が出来なかった。その後の補習地獄は今でも夢に出るくらい俺の汚点となっている。


「二度と補習なんて受けたくないんだよ。いいだろ、女子と勉強とかお前大好きだろ?」

「いや……」

 俺から視線を外し、頬を掻くイケメン。


「女子と一緒に勉強するのは別にいいんだけどよ。()()なのかって思ってさ」

 意外な反応だった。


「何だよ。諌矢って桜川さん苦手なのか?」

 廊下を窺うと桜川さんが待ってくれている。このまま時間をかけたくない。


「そういうはっきりとした聞き方、相変わらず夏生だなあ。馬鹿正直というか……」

 諌矢は肯定も否定もしない。答えを曖昧に受け流す。

 まあ、こいつに本音を迫っても無駄だろう。入学して諌矢と関わるようになって数か月経つけれど、俺の本心を汲んでくれても諌矢は自身の本心をあまり曝け出さないのだ。


「分かったよ、嫌ならいいよ。悪かったな」

 これ以上、桜川さんを廊下に放置するわけにもいかず、俺は諌矢に別れを告げようとする。


「ああ、待てって。夏生」

 しかし、諌矢は俺を引き留める。


「じゃあ俺の家は? 清華が来るなら手っ取り早いし」

「へ? 諌矢の家? 何で?」

 今思い出したような唐突過ぎる言い方。

 意外過ぎる提案に思わず足を止めた。


「だからさ。俺と清華、同じ予備校行ってるし。家だって近いんだよ」

「初耳だ」

「そうかぁ? 同じ中学だぞ俺ら」

 そう言って諌矢は薄ら笑い。

 でも、俺は諌矢と桜川さんにそんな接点があっただなんて知らなかった。

 ていうか、予備校行ってたのかよこいつ。出し抜かれた気分だ。


「絶対テスト前に勉強しなかったといって高得点取るタイプ……」

 恨み言を一人呟く俺を余所に、諌矢はどこか涼しげ。


「なあ、どうすんの? わざわざ駅前に行くよりかは効率良いだろ?」

 鞄を肩に担ぎながら得意げな顔を向けてくる。

 逆に急かされる形となった俺は、諌矢の提案をそのまま桜川さんに伝えるしか無かった。


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