3-3 委員長と孤高の女王
赤坂と連絡先を交換して数日が経った。
昼休みに外に出るのが被らないようにメッセージをすると赤坂は言っていた。しかし、特にメッセージが送られてくる事も無いまま、俺は学校生活を送っている。
一方で、俺の方からメッセージを送る事も無かった。
そもそも、メッセージを飛ばす口実になるような話題が無い。
文字を打った途中で相手にどう思われるかいちいち考えてしまうのが俺だ。
今のメッセージで相手はどう思うか。変な事は言っていないだろうか。そんな風に考える度に、文字を消し、一向に送るメッセージが出来上がらない。
俺はとことん、こういうインターフェースに向いていないと思う。
以前、従姉の美祈さんから東京でのOL時代の話を聞いた事がある。
仕事などで一度しか顔を合わせなかった相手とも連絡先の交換はするらしいけど、大体はそれっきりだと彼女は言っていた。
同じ高校の同じクラス相手なのに、このままだとマジでそうなりそうな勢いだ。
そんな訳で、本日最後の時間割はLHR。
少し早いけど、二学期に行われるという文化祭の話だった。
俺達一年生にとっては初めての文化祭。例年の日程やらルールと、その為の準備期間に俺達のクラスは何をするのかなど。まだ殆ど決まっていないらしいけど担任の猿倉から説明がされる。
「まあ、文化祭に関しては二学期になってから本格的にやるとして」
それらをさらっと流した後で猿倉が新たな話題を切り出す。
「早速、来週から試験期間に入るわけだが――」
「うげー」
途端に教室のあちこちから悲鳴やら溜息が飛び交う。
入学直後の実力テストとかいう試験に、俺が貧血でぶっ倒れたのも記憶に新しい中間試験。
そして、この期末。どれも成績や将来に直結するので手は抜けない。
おまけに俺達は普段、授業内での課題や小テストもこなしている。
課題の量だって中学とは段違い。うんざりする気持ちも分かる。
「せっかく受験突破したのによお。きついぜ」
そんな事をぼやくクラスのお調子者、須山鉄明に何人かが同意するように頷いていた。
「ほいほい、ちゃんと聞く。範囲については一学期の内容全部なわけだがー」
ゴリラみたいにうほうほ言いながら、猿倉は期末テストの概要を説明し始めた。
何でも、期末は通常の教科に加え、家庭科や保健体育の筆記試験も行われるらしい。猿倉のは保健体育の教科担も兼ねているのでテスト範囲の説明もしたかったらしい。
「お前ら、席替えしたからなあ。テスト当日は名簿順の座席で受ける事になるから、そのつもりでいてくれ。あとは――」
テストは名簿順らしい。まあ、中学もそうだったし分かる。ふむふむ、成程。
そこまで頭の中で整理した所で、俺はついていた頬杖をあっさりと崩す。
「げ……!」
自然と顔を向けた先は教室の一番奥、廊下側の列の前から二番目。かつての俺の席。
そこにいるのは西崎瑛璃奈だ。西崎は俺の視線に気づき、露骨に嫌な顔をしてみせる。
そこまで態度を顔に出さなくてもいいってくらいの苦虫を噛んだ表情で睨みつけられた。
普通に傷つくレベル。
球技大会時、屋上でお悩み相談に乗ってあげたけど相変わらず敵対姿勢を崩さない。
俺の経験上、あまり関わりたくない相手ほど何かにつけて関わる事が多々ある。
赤坂然り、西崎然り。
「やっぱりこうなるのかよ……」
「どうしたんだ?」
うっかり声に出ていたらしい。前席の諌矢が不思議そうな顔をしていた。
帰りのHRも程なく終わった。
鞄に荷物を詰めていたら、珍しく赤坂が俺の席にやってくる。通学用の黒地にピンクのラインが入ったリュックを背負い、すっかり帰り支度を整えている。
前側の出入り口に程近い席の赤坂が、何でわざわざ窓際最後方の俺の席まで遠回りするんだろう。
「あ……」
そんな怪訝な眼差しに赤坂が気付く。一瞬目を合わせる俺達。しかし、赤坂は俺に話しかける事も無く通り過ぎていく。西崎みたいにめっちゃ睨まれた。
「詳しくは画面で」
「は?」
すれ違いざま、押し殺した吐息混じりにそんな声が聞こえた。
おもむろにスマホを起動すると、新着メッセージの通知アイコンが灯っている。
赤坂:今日、美祈さんの家行くよ!
それは赤坂からの初メッセージだった。
「すれ違い通信じゃないだから……普通に送ればいいのに」
ちなみに、赤坂の言っている美祈さんの家はこの冬青高校の近くにある。
美祈さんは歳の離れた俺の従姉だけど、赤坂と面識がある。しかし、そんな事を伝える為にメッセージを送るなんて効率が悪いと思う。今さっき席に来た時に一声かければ済む話だ。
「ちょ、赤坂……」
「ちっ、メッセージ見ろって言ったでしょ?」
机の上の鞄をふんだくりながら後を追うと、赤坂が顔をこちらに向けたまま早歩きで遠ざかろうとする。
丁度教室を出た所でピロン、と通知音が鳴る。
俺の手の中でつけっぱなしだったスマホ画面に赤坂からの新たなメッセージが来ていた。
「美祈さんに料理を教えてあげたいんだけど」
じっと視線を落とす先、赤坂の手に握られたスマホには、メッセージアプリを開いたままの画面が表示されている。
「この一瞬で打ち込んだのかよ。口頭で言えばよくない?」
「良くないわ」
赤坂は眉間を険しくさせ、小さく呟く。
どうやら、このやり取りすら他のクラスメートに見られるのを嫌っているらしい。
「赤坂さん! ちょっといい?」
と、ドアを出てすぐの廊下で立ち止まっていたら、一人の女子生徒が教室から出てきた。
肩を覆い腰元まで伸びる黒髪は、夕日を受けて先端部が薄桃色に透けている。
ワインレッドの少しだけお洒落なフレームグラスを掛け、殆どの女子が半袖の夏服のブラウスも彼女だけは長袖だ。それが猶更、色白で儚げな彼女を引き立てている。
「桜川さん?」
俺の相手をしていた赤坂が、近づいて来た女子生徒――桜川清華と向き合った。
彼女はこの一年三組の学級委員長にして、学年屈指の好成績を誇る才女でもある。名前の通り、その笑顔は満開の桜みたいに美しい。
「良かった。間に合って」
この距離を小走りで来ただけなのに息も絶え絶え。
ほっと安心したように胸元に手をやりながら、桜川さんはほろ甘い笑みを浮かべてみせた。
「どうしたの? 桜川さんにしては慌ててる感じだけど」
「そ、そうだった? もう少しで帰っちゃいそうだったから」
桜川さんはそれを見て、またも嬉しそうに頬を緩める。
そう言えば、この二人は最近は良く話をしているのを見る。
配慮が出来て穏やかな性格の桜川さん。温和な相手には同じようにすっごい優しく接する赤坂。俺が見ている限りだと、相性も良さそうだと思う。
「実はお願いがあって……あ、赤坂さん。今って大丈夫?」
「私は別に平気だけど。どうしたの?」
赤坂は俺を一瞥し、桜川さんも一瞬だけ俺の方を気にしたみたいだ。
でも、所詮クラスの空気ポジション。俺が演劇の木みたいに突っ立っているのを余所に、会話は再開される。
「夏休み明けに文化祭の準備が本格的に始まるのは知ってるよね?」
「ああ、さっきもゴリが話してたよね」
赤坂が答えると、桜川さんは小さく握った手で口元を隠して笑い声を漏らす。
猿倉の非公式ニックネーム『ゴリ』は、クラスの男子が主に裏で呼んでいる。
ていうか赤坂。ますます本性を隠さなくなっている気がするよ。前はクラスの女子相手にこんな風にはっきりとした物言いはあまりしなかった筈なのに。
「でね。その下準備的なのが一学期の内に始まるんだけど……うちのクラスの担当は結構大がかりなものになるから……」
しかし、桜川さんは赤坂のサバサバした言い方を微笑ましい物として受け取っている様子。口元を隠して可笑しそうにしながら、それを聞き流す。
「さっきHRでも言ってたけど一組はアーチ。二組が垂れ幕で三組と四組は壁画でしょ?」
うちの学校は一年生は飾り付けだけして、模擬店を出すのは部活同好会や二年生以上のクラスだ。
「それでね、赤坂さんが三、四組の壁画制作に協力してくれると嬉しいなあって」
「私が?」
きょとんとした顔の赤坂。割と素で驚いているっぽい。
桜川さんは半歩踏み出して続ける。
「四組と左右で分担して作って、最後に合わせるってとこまでは決まってるんだ。四組の委員長もそれでいいって。でも二枚で一つの壁画を作るのは結構連携とか打ち合わせが必要になってくるの」
壁画ってのは多分、外部からの客向けに大々的に校舎の見える所とかに飾るやつだろう。
アーチもだけど、デカくて目立つような絵ならば、文化祭の大きな呼び物になる。
「一応、絵の上手い人に題材は考えてもらうけど……指揮する人はリーダーシップがある人がいいなあって。ほら、私って生徒会の手伝いとかもあるから。あまり顔出せなくなると思うの」
そう言って、申し訳なさそうに俯く桜川さん。
「そっか。桜川さんだと、生徒会側も重宝するんじゃない? 忙しくなりそう」
「殆ど雑用だけどね」
そう言って、首を傾け自嘲気味に笑う。照れた顔も可愛い。陽に当てられ桃色の光沢を帯びた髪がさらさらと頬に垂れ込む。
「駄目……かな? 赤坂さん最近すごいし、頼れればなあとか思っちゃったんだ……」
そう言って桜川さんは赤坂の表情を上目で窺う。
「買いかぶりすぎだって。私、そんなに大した事できないし」
桜川さんは委員長だがクラス内では控えめな性格だ。その辺、赤坂も気を使っている言い方だった。
「謙遜しなくても大丈夫だよ、赤坂さん。野球に出てた子から聞いたんだ。球技大会は練習で皆を鍛えてくれたって」
恐らく、同じ女子のお墨付きをもらった上で赤坂を頼りにきたのだろう。
それにしたって、赤坂が練習に出ていたのは一回きりで、殆どは俺と白鳥が中心になって練習を引っ張っていた筈なんだけどな。
「それは白鳥君が皆を引っ張ってくれたから」
赤坂は野球で活躍した俺を除く男子達の名前を上げる。繰り返し言うけど、俺だって一応野球経験者だし最終回は投げきった。
「あ、あとは竹浪さんとか風晴君達も頑張ってたし」
それなのに敢えて言及されないでスルー。空気扱いだ。一応、赤坂とピッチャー交代劇したり、バッテリー組んで貢献したつもりだったのにな。
何かもう、赤坂の発言は政治的な意図を感じざるを得ない。
「そんな事無いって。赤坂さんは本当に皆の為に動いてくれたじゃない」
桜川さんは俺の目の前を横切るように、赤坂にまた一歩踏み出して続ける。
「ほら……ちょっと言いにくいけど、球技大会前にクラスの雰囲気がまずい時あったじゃない? 私じゃどうにもできなかったあの状況を良くしてくれたのは赤坂さんの活躍のおかげだと思うの」
HRで前に出て話す度に桜川さんの声は聴いている。
その度に思うのだが、彼女の語り口調は本当に嫋やかだ。聞く者の心を落ち着かせるような優しい声音で、解析したら1/fゆらぎの結果が出そうだ。
「だから、私は今度は赤坂さんと一緒に文化祭を成功させたいんだ。球技大会じゃ別の種目だったけど……」
照れ臭そうに頬を掻いて笑う。
「迷惑、かな?」
そう言ってもう一度赤坂の目を食い入るように見る桜川さん。
本当に赤坂の凄さを信じているんだろう。その眼に他意は見えない。
赤坂は元々有能だと思うけど、クラス内では目立たないように意図的にその素質を隠していた。球技大会で見せたのも片鱗に過ぎない。
しかし、桜川さんはその活躍をしっかりと見ていて、強く影響された一人なんだろう。
そのキラキラした瞳には赤坂に対する憧憬すら浮かんでいた。
しかし、対する赤坂は何とも気まずそうに視線を合わせようとしない。
「でも、私は……」
「あ! もしかして、何か出し物に出る予定合った? バンドとか……」
難色を示す赤坂に、桜川さんは不安そうな顔で覗き込む。
クラスごとの展示品や出店は決まっているが、バンドや一芸大会的な物は完全に生徒の自由意志だ。目立ちたい奴らは各自、体育館で行われるステージにエントリーしてその承認欲求を遺憾なく披露すると聞いた。
こういう事に関しては本当、ひねくれた感性持ってるな、俺。
「いや、それは流石にない。てか、私って楽器弾きそうに見える?」
「楽譜とベース渡したらすぐに弾けちゃいそう。あと、歌も上手そう……」
「桜川さん……」
俺を差し置いて二人の会話は勝手に進む。
ぽーっと浮いたような顔の桜川さんに、赤坂も頬を赤らめていた。
見つめ合う学年でも屈指の美少女二人。
その今にも百合が咲き乱れそうな光景を俺は立ち尽くしながら見ていた。
「つーか何? 一之瀬」
そこで初めて赤坂が俺に興味を戻す。自然と桜川さんの視線もこちらに向けられる。今までスルーしといていきなりの反応。
「一之瀬君?」
桜川さんは赤坂と話している時とは違い、若干遠慮したような表情。
まあ、目立たない存在かと思えばいきなり諌矢をどつくからな。変な奴って思われていてもしょうがないのは俺も重々承知だ。気まずいなあ。
「ごめん、続けてくれ」
「あっそ」
そう言って、赤坂は再度桜川さんに向き直る。
「ふう……」
そして、今生まれたほんの少しの間が、浮足立っていた赤坂をリラックスさせたようだった。
「桜川さん」
「あ、はいっ」
毅然とした声の赤坂。桜川さんは、改まったような返事をして向き直る。
「さっきの話の続きだけど……正直、私に出来るとは思えない」
赤坂は柔らかそうな唇をぎゅっと噛み締めて言いきった。
文化祭でクラスの為に目立つのは乗り気じゃないって事か。
「じゃあっ――赤坂さん!」
しかし、桜川さんは待ってほしいと言いたげに赤坂の手を取る。
「正式な実行委員じゃなくても私の手伝いって形でも難しいかな? 私が見れない時だけでいいから皆を指揮してほしいの。赤坂さんはいざとなればリーダーシップも人望も、私より全然あると思し、それに――」
そして、ここからが本音なのか。桜川さんは意を決したように目を見開き、ゆっくりと呼吸を落ち着かせ、
「それに、赤坂さんが頑張る姿を見たら……もっと皆、赤坂さんの事を好きになると思うから」
はっきりと言いきった。迷いも演技も到底感じない真っすぐな眼差しだった。
「ああ、そう言う事か……」
ここにきて俺はようやく理解する。
赤坂は、いざ話せば見た目やその言動とは裏腹の物を持っている。困っている人がいれば手を差し伸べる、いわば頼れる主人公タイプ。
普段、物事から逃げがち、周りに流されがちな俺にとって、赤坂の筋の通った行動力は正直カッコよく見える。
桜川さんは最近赤坂と接するようになった。関わっていく内に彼女もまた、赤坂の良さを知っていったんだろう。
それでも、教室内で赤坂に対して苦手意識やきついという印象を持った連中は未だ多く――だからこそ、何とかしたいのかもしれない。
「リーダー役が嫌なら無理にとは言わない。でも、是非赤坂さんにも参加してほしいんだ」
決して重荷を押し付けようという訳ではない。桜川さんは素直に赤坂の力量と秘めた力まで認め、一緒に文化祭に取り組む事を熱望している。
委員長として、この数か月クラスの人心を得てきた桜川さん。
そんな彼女の発言だからこそ俺は言える。これは多分、桜川さんなりの優しさと信頼の結果だ。
でも、それを必要な物かどうか決めるのは赤坂自身だ。
「期待してくれるのは本当に嬉しいわ。でも、私に出来るかな……?」
赤坂はそれでも困った顔を浮かべる。
完璧に断らない辺り、赤坂もまた文化祭の誘いを真っ向から拒絶したい訳でもないようだ。
普段から問題発言行動の目立つ西崎ならまだしも、頼み込んできているのは桜川さん。
皆に好かれた学級委員長だ。そんな彼女が自分の能力や人柄を買って、懇願しにきたのを無碍に断れるほど、赤坂が冷たい人間でないのは俺が良く知ってる。
俺だってこうも見ていたら、桜川さんを何とかしてあげたくなってくる。
いや――寧ろ、俺がやるべきなのか!?
そんな事を思っていたら、赤坂が何故か俺の方に目線をくれる。
それはいつか見た、本当にたまにだけ垣間見せる弱気な赤坂で。
「大丈夫だろ。赤坂なら」
「……っ!」
気づけば、そう言っていた。いつもの俺ならここで無責任に後押しして良いか迷うはずなのに。
途端、飲み込むように赤坂の喉が動く。
「なんなら、俺も協力しようか?」
「え……それはいいかな」
赤坂は若干表情を崩し、嫌そうな顔をする。なんでだよ、酷くないか。
俺の心にまた一つ、大きな傷跡が刻まれる。
「赤坂さん……本当にいいの?」
「うん。決めた」
再び桜川さんを見る赤い瞳は煌々と燃える太陽みたいで眩しい。
いや、実際夕陽が目に染みるのが今の時間帯なんだけどな。
「あんま力になれないかもしれないけど、分かった。桜川さん、手伝うわ」
「ありがとう、赤坂さん!」
そう言った赤坂の手をぎゅっと握る桜川さん。普段見せない積極的な動き。
さしもの孤高の女王、赤坂環季も内履きをきゅっと音をさせて退いた。
「そんなに喜ぶ事……? 別に私――」
頬を真っ赤にさせてデレデレの赤坂。
「赤坂さんと一緒に文化祭できて、私嬉しい!」
しかし、そんな赤坂の手を引き離すまいと握り締めながら、桜川さんが声を上げた。
それこそ満開の桜みたいな笑顔だ。
二人の間に触れちゃいけないフィールドが発生したみたいで、俺は微笑ましいのに、何とも微妙な面持ちでその光景を眺めるのだった。