3-2 変わり始めた二人
球技大会から一週間が過ぎた。
赤坂はあまり関わらなかったクラスの女子とも急速に打ち解けていった。
今では世話好きな性格と誰にでも平等に接する人柄もあってか、クラスの人気者ポジションになりつつある。
俺からしたらあんな風にいろんな相手に絡まれたら身が持たないけど、赤坂が逃げずに堂々と受け答えしているのは、やっぱり元来コミュ力があるからなのかもしれない。
「お願いだって! 本当っ!」
赤坂の机にもたれるように頼み込んでいる活発そうな女子生徒。
なんでもソフトボール部に入ってほしいらしい。
彼女は西崎や竹浪さんのグループ程ではないが、教室では華やかな集団に属している。西崎達との違いは優等生の集まりという事だろうか。
現にソフト部女子の横にいるのはこのクラスの委員長様だ。嫋やかで黒髪美少女で清楚の権化みたいな女子。
他にも清楚そうな優等生が多く赤坂を囲む。その姿はまるでミューズのようだ。ギリシャ神話に謳われる、美しい歌声の女神たち。嫉妬に狂った相手を怪物に変えるような性悪女神とは次元が違う存在。
勿論、俺は話したことも無い高嶺の花。
万が一、話す機会があるとすれば向こうから話しかけてきた時だし、伊〇園のボトル裏に載ってる俳句よりも短い文字数の会話で終わる自信がある。
と、机の上に置いていたお茶のボトルを見ながら思った。
「千葉。お前それ何回目だよ? 赤坂断ってんじゃねえか。もう諦めろって」
「うっさいわね。球技大会の投げっぷり見せつけられて勧誘しないなんてアホでしょ。 ねえ! お願いだよー、赤坂さん」
ソフト部の女子に注意をくれたのは球技大会で一緒に戦った男子生徒、齋藤だ。
こんな風に、休み時間になると赤坂の周りには他の女子や、それにちょっかいをかけにきた男子でいつも賑やかだった。
「ごめんね、千葉さん。中学までなら家から近いから良かったんだけど、今はすごい通うのも大変で……それに部活に入っても多分体力がついていかないから……ねっ?」
赤坂はか弱い口調で上手く断る。本当にか弱い演技上手いなあいつ。
「そっかぁ。でも、やりたくなったらいつでも言ってよ?」
ソフト部女子はやんわりした笑顔を浮かべながら引き下がる。決して赤坂の辞退を責めたり文句を言ったりはしない。
赤坂自身も拗らせていた時とは違い、相手を変に突っぱねたりしない。
千葉さんや委員長の属するグループはクラス内でも大らかで、嫌味の無いグループだ。そういうクラスメート達に赤坂が気に入られたのも良かったのかもしれない。
このまま、仲良くなってくれる事を切に願おう。
その時、長身が俺の視線を阻むように横ぎった。
「夏生? 何してんだ?」
前席の椅子に座りながら、風晴諌矢が話しかけてくる。
「なに、赤坂さん見てたの?」
「別に……」
からかうような笑みを浮かべた諌矢。その肩越しに見えていた赤坂の席周辺から目を逸らす。
「ただ、あいつも少し変わったなあって」
「なに、それは僻み?」
諌矢はいつもの俺をからかうような口調だ。
「どっちかというと、俺が僻んでる相手はお前だ、諌矢。このナンパ男が」
「あはは」
とびっきりの罵倒をぶつけてもへらへら笑われる。
でも、こいつの冗談には本心から俺をやり込もうとしてるような嫌味は無い。言い返しても怒らないのは分かりきっているので正直気楽だ。
そんな事を巡らせていたら、ふと思い出す。
「つーかさ、諌矢。お前こそ……」
俺が言いかけたのはこの前の球技大会。諌矢はクラスの女王ポジション、西崎瑛璃奈とひと悶着あった。
その事を聞こうとしたのだが、諌矢は見当もついていないような呆け顔。
「へ?」
小首を傾げると、窓からの陽にあてられた小麦の穂みたいな薄茶色の前髪が揺れる。
「かぜはれー」
そんな事を話していたら教室後方の廊下からお呼びがかかる。
「売店行くぞー! 行くよなー!?」
大柄の須山に、短髪に切りそろえた強面のバスケ部男子を筆頭とする男子数人。
諌矢は普段こいつらとツルんでいる。それでも入学当初から仲良くなった名残なのか、俺の事もぼっちにならないように気に掛けてくれている良いヤツなのだ。
「行けよ。別に俺はいいし、あいつらの中に入っても地蔵になって空気悪くするし」
俺を気遣ってここに残るとか言いかねないけど、そういうのが原因で向こうとの関係がこじれてもそれはそれでいい気持ちはしない。
だから俺は、しっしと諌矢を手で払う素振りをする。
「一緒に来ればいいじゃねえか。夏生は本当人見知りっつーか。引っ込み思案というか」
「良いんだよ、俺は」
薄ら笑いを浮かべていた諌矢の表情が陰る。
「行かないのかー?」
催促されながら、諌矢は『分かったよ』と、気だるげに返した。
「じゃあな、夏生」
そう言って、須山達の方へと向かっていった。
俺はその背中を見送りつつ、窓辺から吹き込む涼しい風にほっと胸を撫で下ろした。
俺と諌矢が属するグループには未だ隔たりはある。
徐々にクラスで打ち解けつつある赤坂とは対照的に、俺は相変わらずの外様扱いだ。
球技大会でバッテリーを組んだ白鳥秋良とはたまに話すけど、それだって毎日という訳じゃない。
白鳥もまた、運動部男子で構成されるグループに属しているのだ。
普段接点の無い人間が多くいるグループに飛び込み、突然話しかけるのはどうしても躊躇ってしまう。
球技大会や、炊事遠足といった普段とは違う行事ならノリで話しかけたりもする。
でも、ある程度物事の流れルーティン化され、グループで固まりがちな教室内ではこうも行かない。
コウモリみたいにあちこちのグループで仲良く振る舞う諌矢のコミュ力、赤坂みたいに相手から話しかけられる程の人気者の器。俺は生憎、どちらも足りていないのだ。
だから今も教室内では微妙なポジションのまま。赤坂が揶揄した『ぼっちとキョロ充の狭間』を体現する存在と化している。
「俺もそろそろ行くか……」
諌矢や須山達と鉢合わせにならないよう、俺は教室を出た。
「ちょっと!」
自販機のある渡り廊下を目指していた所で、赤坂に声を掛けられた。
「さっきまで皆と仲良さげだったのに。どうしたの?」
どうやら、教室から出て俺を追いかけてきたようだ。そんなに急ぐ用事があるというのだろうか。
「別に」
しかし、俺が尋ねると、途端に不機嫌になる。
「あれは千葉さんとか桜川さん達が話しかけてきただけじゃない」
「その割に嬉しそうな顔して応対してたけど……あ、何でもないです」
蹴りを入れられそうな勢いだったので、それ以上言うのは止めておく。
今は丁度、食堂に向かった連中が食べ始める頃合いだ。
弁当組も教室でランチタイム真っ最中で、昼休みでも廊下から人が少なくなる時間帯。
それにも関わらず赤坂は左右を見渡し、視線が向けられていないか注意を払っている。
「人通り殆ど無いよ?」
「別に教室で話しかけられても嬉しそうにしてないって言ってんの」
赤坂は余程俺と一緒にいる所を見られるのが嫌なんだろう。
だから、彼女を安心させるつもりで言ったのだけど、おかしいな。会話が噛み合わない。
「それに、あの人達を変に突っぱねると、一之瀬みたいにクラスで浮くでしょ」
「言い方ひでえ……」
「ああ……ごめんね。一之瀬の場合は何もしてなくても浮いてるんだったね」
もっと酷い事を言われている。陽に当たると赤い髪色も相まって、こいつは歩く唐辛子か?
「まあ、いいわ。ちょっと用事があったわけだし」
気を取り直すように赤坂は廊下の曲がり角、階段脇に足を進める。俺も追従する形となる。
「で、相変わらず腹は治らないんでしょう?」
「またそれか。ほじくり返すな」
防火扉に背中を預けながら、赤坂は腕を組む。この期に及んで説教らしい。
「球技大会が終わった後も一日休んでたでしょ?」
「そうだったな。でも、その日だけだよ? ちゃんと来てるし」
赤坂の言う通り、俺は実際に球技大会の後に学校を休んでいる。でも、一日安静にしていたら下っていた腹は治った。多分、疲れもあったのだろう。
しかし、赤坂は『違う、そうじゃない』と言いたげに表情を険しくさせる。
「普通の生徒は腹痛いくらいで一年に何日も休まないから。その悪い癖、ちゃんと直した方良いよ?」
相変わらず、赤坂は俺の根性改革に意欲的のようだ。
「大丈夫だって。徐々に良くはなってるんだし」
「それはともかく、成績だって最悪じゃない。授業休んでばっかだと、大変な事になるわよ?」
そう言って、この前の定期テストの話まで持ち出してくる始末。
実際、俺が受けた試験の殆どは平均点より下回っていた。
「でも、日本史なら余裕だし。一応教科別の順位なら一桁だったんだぜ?」
言い返すと赤坂はむっとする。
「私だって数学は順位一桁だったし。それに、一之瀬の場合は日本史がいい点数でも、他の教科が点数一桁じゃん。それじゃあ駄目なのよ」
「うっ……」
俺は思わず返す言葉を失った。赤坂がそれに乗じて気勢を上げる。
「数学一桁って聞いたけど?」
「何で知ってんだよ。諌矢にも話してないのに」
「美祈さんだっけ? あんたの従姉の人が嬉しそうに教えてくれたし」
そして、ドヤ顔で腕を組む。
何で俺の従姉と親密度深めてるんだ。しかし、美祈さんも美祈さんだ。安易に人の点数を教えないでほしいよ。赤坂が余計に調子づくじゃないか。
「まあ、暇なときには勉強くらいなら見てあげるけど?」
「ああ、そうかい。その時は頼むよ」
とりあえず合わせておくが、赤坂のスパルタ教育にはほとほと参ってしまいそうだ。
コイツの世話好きはレベルを超えていて、もうこの辺は性癖としか思えない。異世界転生したら戦士ギルドの教育係とかやってそう。
赤坂は小首を傾けたまま、俺をまだ見ている。一向に去る気配が無いし、じっと見つめられていると何とも気まずい。
「なに? まだ何かあんの?」
十分慣れたとは言え、赤坂だって女子だ。反応に困った俺はたまらず声を上げた。
すると、赤坂は何故かじっと合わせていた目線を外す。
そして、懐からスマホを取り出した。グロスみたいにテラテラに赤いカバーに入れられたスマホ。機能性に特化し過ぎていて女子特有のデコレーション的な物は一切無い。
「連絡先。何かと不便でしょ」
「えっ」
何言ってんだコイツ。
しかし、赤坂は驚く俺をスルーして赤いスマホをこちらに向ける。
「仲良くする人が増えた分、校外で一之瀬と出くわすのを余計に見られたくないのよ。だから、これからは昼休みに抜ける時は私に一言連絡する事。そうすれば、鉢合わせにもならないでしょ?」
「それにしても唐突過ぎるんじゃないか?」
「はあ?」
赤坂はスマホ片手に不快そうな顔。連絡先を教えてもらう相手に対する態度じゃない。
「つーか何で俺、赤坂に監視されてるんだ?」
「いいから。早くスマホ見せて。アプリ開け。アカウント寄越せ」
「ええ……」
その言い方だと垢乗っ取りみたいだ。それでも俺は求められるまま自分のスマホを取り出し、赤坂に手渡した。
赤坂は指先を軽やかにスライドさせ、慣れた手つきで友達追加の操作を進めていく。
「うわ、一之瀬。友達登録してるの家族と風晴君だけじゃん」
本気で引いた顔を向けられた。赤坂が向けた俺のスマホ画面には、余白だらけの友達一覧画面。つまり、殆ど登録されてないのだ。
親父に諌矢にあとは妹、他に公式アカウントが数個あるだけ。ちなみに母もいるけど、機械音痴で未だにガラケー。どうでもいい。
「じゃあ、登録しとくね」
そう言って返された画面を見ると、『赤坂さんが友達に登録されました』とある。
アイコンは何故かこの県の超マイナーなゆるキャラだった。
多分、全国区でも知ってる人は皆無。そんなキャラをアイコンに選ぶ辺り、どんだけこの県愛してるんだよとツッコミを入れたくなる。
「ていうか、赤坂。登録名『赤坂』って高一の女子にしてはあっさりし過ぎてない?」
せめて下の名前とかで登録すればいいのに。
「あんただって『一之瀬』だけじゃん。家族とのやりとり紛らわしくない? 皆一之瀬じゃん」
「まあ、そうだけどさあ」
赤坂は自分のスマホも出して確認しつつ、俺の指摘を軽く流す。
「私が言いたいのは、もう少し連絡先交換するような友達くらい作れば? ってこと」
「そういう言い方マジでやめろ」
赤坂のスマホを見せつけられた時思ったけど、こいつだって友達登録は少ない方だと思う。
ニックネームばかりではっきり判別出来ないが、登録されていたのはさっき話していたクラスメートばかりだった。
でも、それら事実を指摘すると機嫌を損ねかねない。
「千葉さんとか桜川さんのグループに入っちゃえば?」
だから、俺は言い方を変えた。先ほど赤坂の席に集まっていた女子の名前だけ出して、それとなく新たな人間関係に探りを入れてみる。
「別に」
赤坂は照れ隠しなのかな。唇をかみしめるようにして出しかけた笑顔を我慢していた。
「前よりかは話すようになったけど」
そう言って、にらめっこみたいに俺に対抗するように目を向けて逸らさない。
「そっか。良かったな」
これ多分、絶対嬉しいんだ。目を逸らしたら俺に見透かされるとか思って対抗しにきてる。
「いい人達だからね。仲良くしてくれたら、こっちもちゃんと対応しなきゃって思うし」
そう言って、赤坂は階段の方を気にする。
強がったような口ぶりだけど、何故か優しい横顔だった。
四月に入学して以来、話しかけてくる女子にも一定距離を置いて他人行儀だった赤坂。
そんな彼女が皆と歩み寄る姿勢を少しでも見せるようになった。その変化に俺も自然と落ち着きを覚える。
「良かったな。友達が出来て――あ」
「~~~~~っ!? 」
つい高揚して心の声が漏れる。案の定、赤坂は顔を真っ赤にして激昂していた。
「うっさい。じゃあ私、昼ごはん食べに外に出るから。一之瀬は来ないでよ?」
余程、俺に心を見透かされたのがショックだったのだろうか。赤坂は取り乱しながら階段を降りていく。赤いツーサイドテールがみょんみょん跳ねるように揺れていた。
「はあ……素直じゃないな。相変わらず」
俺も人の事は言えないけれど。
ストレスから来る腹痛が治ったわけでもない。相変わらず授業をちょくちょく休んでいて、成績だって最悪だ。
状況は劇的に好転した訳じゃない。
それなのに、不思議と俺達は今日も上手く過ごせているようだった。