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3-1 風晴諌矢の放課後


 俺は何だって出来る。今までだってずっとそうだった。

 でも、俺はいつも誰かを傷つけてきた。

 だから、俺は誰か一人の思いの答えるなんて、出来ない。

 誰かを選ぶって事は、誰かを好きになるって事は、誰かと仲良くなるって事は、他の誰かを傷つける事になるから。

 そんなの無理だって分かっていても、やっぱり俺はこの生き方を変える事なんて出来ない。


「あのさ!」

 落ちた夕陽が空に淡い紫を敷いていく。

 梅雨時の生ぬるい風に当てられながら、目の前の彼女を見下ろしていた。

 俺よりも頭一つ分低い場所にある西崎瑛璃奈のウェーブがかった金色の長髪。

 女子にしては背が高い方だが、俺の目線からだと全然低い。

 それに、彼女はいつもクラスでは皆を仕切る側なのに、今この場では異様に弱々しく見える。


「何?」

 出来るだけ、心を傷つけないような優しい声音で問いかける。

 いつも、こうすれば誰もが笑顔で応じてくれるから。

 俺という人間に臆し、劣等感を抱く相手は、優しくされたと思って心を開いてくれる。

 普段から俺を気に入らない、嫌っているような奴はここで波風を立てても無駄だと悟り、上辺だけでも平和に接してくる。

 そして、あいつは――高校で知り合った俺が一番気を許せる()()()は多分、そんなまどろっこしい事なんて考えないで本音をそのままぶつけてくるんだろうなあ。

 んで、言った後で後悔する。そんな奴だ。

 そして、今目の前にいる西崎は――


「あのさ。風晴。私は……」

 俺の被った人当たりのいい仮面などまるで見えていないかのように、本心を知ろうと必死に食らいつこうとする。

 長い睫毛の下、同世代の女子にしては大人びた瞳の奥がいつになく揺れていた。

 不安を抱きながらも俺の口から聞かずにはいられない、そんな顔。

 普段の我儘姫っぽい性格が鳴りを潜めたまっすぐで愚直な姿。入学してこの女子生徒と知り合った頃の高飛車な印象からは想像もつかない。


「この前の事……なんだけど」

 そうだな。その続きを言いたくて、俺をここに呼んだんだろう。

 一瞬よぎった考えを捨て去り、俺は目の前の現状に向き合おうとする。

 さっきまで行われていた球技大会。

 その練習が始まったのが、丁度二週間前だったか。


『彼女がいないなら、あたしと付き合ってみる……とか?』

 西崎は朝一番に俺を見つけ、そんな事を吹っ掛けてきた。

 返答に困っていたら、ノリで言ってみただけだと冗談めかしていだ。でも、もし俺が違う選択肢を取っていたら、多分冗談で終わっていなかったのは分かっている。


 迂闊だった。

 突然の告白めいた問いかけに、柄にもなく迷った。

 普段、人に見せていた自慢の仮面があの時だけは揺らいだ。

 恐らく西崎は俺が動揺を見せた事で、言いようのない不安を抱いたんだろう。

 だから今になってまた、あの時の事をしっかりと確かめに来ている。

 けどな。


「――んで、()()()って?」

「えっ」

 俺が尋ね返すと、西崎は急に視線を逸らす。

 球技大会の熱で浮かされていた心が急速に冷えていくのが分かる。


「えと……」

 ポンプ小屋の壁に片腕を預け、捻挫した側の足をしきりに気にしている。

 こんな怪我をしている癖に。

 ここまで俺を呼びつけて、出向いて。

 本当に彼女は俺に好意を寄せてくれているのだと、はっきりと感じ取れる。

 俺は人にどう思われているのか大体分かる。自慢じゃないが、この十六年足らずの人生でいろんな奴らと関わってきた。

 その経験測はいつも大体当たっていた。俺を嫌っていた奴、仲良くする影でこっそり俺を妬んでいた奴。それとは逆に本心から友達として好きでいてくれた奴も。そして、俺に好意を抱いてくれた女の子だって。

 だからこれも多分、ドンピシャだ。

 西崎は、あの時言おうとした続きを俺に伝えに来たのだ。

 今度こそはっきりと、自分の気持ちを言葉にするまで退いてくれない。

 イエスかノーか。俺が答えを口にしたら何が起きるか。俺や西崎達がこれから先どうなるか。 

 その結果すらも俺はとっくに予見出来ている。


「風晴はさ……」

 西崎がはっきり言葉にしようとした、その刹那。


「カラオケ」

「え? 何?」

 キョトンとした顔。俺は首を傾げて笑う。

 球技大会の打ち上げのカラオケ大会。クラスの多くが参加しているが、西崎はそれを蹴ってここに来ている。皆がカラオケに行って人払いさせた上で、俺を呼びつけたのだ。


「西崎はカラオケ、いかなかったのか?」

 そういう段取りも分かっているけど敢えて聞く。

 少しだけ眼瞼を緩め、それでももう一度まっすぐ視線を向ける西崎。

 しばしの沈黙。西崎は張り詰めていた肩をゆるりとしならせ、息を吐く。


「ああ、それね」

 その表情に、妥協が生まれた。


「怪我してるもんな」

 そう言うと、もどかしそうに唇をかむ。


「……足痛いんだし、行く訳ないでしょ」

 むくれたような顔の西崎は本心では安堵している筈だ。そして、同時にひどく落胆している。


「だよなあ。早く治せよ」

 そんな事など知らぬ顔で、俺は冗談めかして返す。


 ――じゃあなんでここに来たんだよ、なぁんて事は聞かない。

 前提に触れていない滑稽な会話。

 しかし、俺はこうする事でしか『自分』を守れない。


「う、うん。こんなのすぐ直るし……!」

 それ以上の言葉を繋ぐ手掛かりを失い、彼女の中で張り詰めていた風船がしぼんでいく。

 それでいい。爆発するよりかは、そのまま小さくしおれてしまった方がマシだ。


「そう言えばさ……!」

 西崎はもう一度話をぶり返そうと気勢を張るが、やっぱり辛そうな顔をする。

 萎んだと思っていた赤い風船は、もう皺だらけ。少し膨らむだけで破裂しそうな程痛々しい。


「ううん」

 西崎は言いかけた言葉を引っ込め、ゆっくりと頭を振る。


「ただ、一つだけ……いい?」

「なに?」

 これは多分、俺が恐れている言葉では無い。顔を上げた西崎からはさっきまでの切迫感は消えていた。


「何だよ。改まって」

 だから、せめて彼女の勇気だけでも報いたくて、俺はなるだけ優しい声音で問う。


「諌矢って呼んでもいい?」

「ああ、そんな事か」

 俺は西崎を安堵させたくて、少しでも報いたくて頷く。

 それじゃダメだと薄々分かっていても、そうするしかなかった。


「いいよ。そんなの、今更聞く事か?」

「だよね……あはは」

 西崎もほっとしたような顔を浮かべる。これでまた、元通り。

 西崎は時間が過ぎればまた熱に浮かされるかもしれないけど、その時もこんな風にのらりくらりとかわすさ。


「じゃあ、俺は瑛璃奈って呼ぶわ。うーん、瑛璃奈。瑛璃奈かあ。呼びづらい名前だなー」

 名前で呼ぶのなんてどうって事無い。何の特別な事も無い。

 友達なのだから当然だ。そんな顔で俺は提案する。


「うん。その言い方超ムカつく」

 決して、それ以上の関係になるとはお互いに思っていない。寧ろ、ならない事を確信している筈だ。それでも西崎は嬉しそうに笑った。


 ――本当の心は嬉しくもなんともないのに。

 これは妥協で安堵。その場しのぎの言葉ばかりでは、未来は何も良化していかない。

 それでも、俺にとってはこれで十分なんだ。 

 今も昔も。これからも、ずっと。


「戻るか」

「……うん」

 怪我した瑛璃奈の遅い歩みに合わせながら帰る。

 ふと、見上げた校舎の屋根。その先の紫色の遠くに星が瞬いていた。

 どこか物悲しげに鈍い光りを灯らせながら浮かぶ星。

 人が肉眼で観察できる星ならば、あの何光年離れたか分からない輝きにも名前だとか、由来になった神話や逸話の一つでもあるのかもしれない。


 でも、そんな事を知ったとして、今の俺は何も思わない。

 それでも十分だ。



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