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2-42 ナツとタマ

 下校のチャイムが鳴っても一向に終わらない喧騒。その空気の中、ぽつぽつ帰り始めた何人かに混じって俺も退室する。

 クラスを遠のくと喧騒が徐々に消え、元来好きな静かな世界へと空気が変わっていく。

 さっきの状況もそれはそれで良かった。

 楽しかったか? と聞かれれば楽しかったと二つ返事で答えるだろう。

 それでも、俺はこの静寂もまた好きだ。

 諌矢は笑うだろうけど、この空気感は俺が取り繕わない自然な自分でいられるから、たまらなく大事に思えてくるんだ。


 人気もまばらな昇降口で靴を履き替えるが、校門には向かわない。

 校舎を大回りして駐車場を越え、向かった先は校庭の野球が行われた試合場だ。


「お前……またここに来たのかよ」

 一人になりたくて何となく足を運んだのに、赤坂はいた。噂をすれば何とやらだ。

 先ほど土だらけになって熱戦を繰り広げた場所に、今度は制服姿で対峙する。


「何よ。アイスここで食ってたの。悪い?」

 ベンチに置かれた鞄の横には空になったカップアイスの容器。


「なるほど、ここなら落ち着けるしな」

 空になったバニラアイスと木製ヘラを指さす。


「それ皮肉のつもり?」

 いくら打ち解けたとはいえ、あの場で食事をする事を赤坂は嫌ったのだろう。

 こいつは皆の前で食事をしようとすると、途端に緊張でおかしくなってしまう体質なのだ。だから、いつも一人になれる場所じゃないとメシを食えない。


「違う。もう気にしなくても良いんじゃないかって。赤坂は十分、皆と仲良くやれてるよ」

「そういうあんたはキョロ充とぼっちの狭間を延々彷徨ってる感じね」

「うるさいなあ」

 図星を突かれて否定できない俺を見て、赤坂はくすりと笑う。気にしてたのに酷い事言うね。

 今日は部活が全休なので、校庭も体育館も遠くまで静寂に包まれていた。


「ていうか一之瀬。何でこんなとこに来たの? 皆祝勝会行くとか言ってたけど?」

 赤坂はグローブを持ったまま一人立っている。


「あの空気の中にいるのが苦手で逃げてきたんだよ」

 しかし、俺もまたグローブは持ったままだ。視線を落とした赤坂が、それに気づいてにやりと笑う。


「クールダウンって奴なんだけど、あんたもする?」

 そう言って何も持たない手でボールを投げる仕草をしてみせた。

 俺はそこそこに距離をとって、赤坂と対峙した。


「お疲れさんだな」

 赤坂に山なりにボールを投げかけながら、俺は言った。

 ここは郊外だ。彼方のバイパスを走るトラックの排気が風に乗ってこちらまで聞こえてくる。


「明日、肩きっついよ?」

 その音に掻き消されないような大声で、赤坂がボールを寄越してくる。


「腰はもう死んでる。もう少し高い位置で投げてくれ」

「そういえばさ。試合終わった後、一之瀬死んでたよね」

「うるせえ」

 嫌がらせにもっと低い球を投げると思いきや、赤坂は素晴らしいコントロールで俺の胸元高くにボールを放ってきた。全然衰えてない。


「でも……まさか、優勝するなんて思わなかったよ」

「あんたが本気出すからでしょ」

「一番本気出してた奴に言われたくねー」

「ブーメラン頭に刺さってるよ?」

 既に夕陽は傾き始め、グラウンドには赤い日差しが照り付け始めていた。

 軽口をたたき合いながら、俺達はキャッチボールを繰り返す。


「このメンバーなら、来年も優勝狙えるかもな」

 そんな期待ができる良いチームだと思う。

 しかし、俺からのボールを受け取った赤坂は、しばしの間立ち尽くす。


「それはないと思う」

「えっ」

「だって、私達って二年に上がる時にクラス替えするでしょ? だから、今のメンバーでやれるのは今年だけじゃん」

 ああ。そう言えば、そうだった。

 この冬青高校は一年の終わりの文理選択でクラス分けをする。二年生に進級以降のクラスはは卒業まで変わらない。


「そっか……そうだよな」

 いわば、一年次のクラスは二年以降の高校生活に備える意味合いを持っているのかもしれない。

 受験生活が常にくっついて回る二年生になれば、本格的に進路に沿ったカリキュラムが始まる。

 つまり、今のクラスの連中とは、この一年だけの付き合いで終わってしまう可能性がある。


「だから、来年は敵同士かもね!」

 赤坂からそこそこ速いボールが返ってきた。


「ま、優勝できたのは良かったかな。ありがとね、一之瀬」

 そう言って、投げきった手をぶらんとさせてから身体を起こす。

 あれだけクラスと距離を置いていた赤坂なのに、どことなく言い方が感傷的なのは気のせいだろうか。


「なあ、赤坂!」

 そんな彼女に声をかける。


「このクラスの奴らってさ。意外と、いい奴多いだろ?」

 赤坂はパシッと軽い音を弾ませキャッチしたまま、しばらく固まった。

 さっきまですんごい気さくだったから、その流れで俺は本音をそのまま言ったのだけど……もしかして、怒らせてしまったか。

 ハラハラしながら返事を待つ。


「まあ……意外と! ね!」

 そう言いながら寄越された速球を俺は何とかキャッチする。おっそろしい剛速球。

 疲れきった手のひらが悲鳴を上げている。


「そりゃよかったよ! この剛速球女!」

 お返しとばかりに俺も剛速球で返したつもりだったが、既に限界を超えた肩だ。ヘボい球しか放れない。


「ねえ。一之瀬」

 キャッチした赤坂が、ボールの収まったグローブごと胸元に寄せる。

 そして、じっと俺を上目で見た。


「あんたってさ」

 口元はグローブで隠れ、その表情は窺い知れない。でも、遠目にも分かる潤んだ瞳に思わず心臓がとくんと跳ねる。


「――本当。お人好しのバカ、だよね!」

 再び放たれたストレートを俺は身構えながら捕球する。

 牽制球みたいな投げ方やめてくれ。これじゃ実戦練習だよ。


「赤坂だって! 優勝して皆に囲まれてる時、すんごい嬉しそうだったし。素が出てた!」

「あんた本当、女子の本性甘く見過ぎ!」

 微妙に軌道が曲がるボールが寄越され、俺はそれをようやくの思いでキャッチする。変化球投げれんのかよ、こいつ。

 赤坂はそう言うが、あんなに本気に取り組んだ戦いなんだから勝って嬉しくない訳がない。

 あの場で俺が投げると言わなければ……例え、白鳥と喧嘩になっても赤坂は退かなかった。

 それこそ本当に、肩が壊れても投げ続けただろう。


「そういうとこ、素直じゃねー。治さねばまいね!」

「治せるならとっくに治してるっつーの!」

 言い返しながらボールを投げる。赤坂はムスっとしながらも口元は笑顔。

 夏の始まりを予感させる彼方まで焼けきった夕空に相応しい、晴れ晴れとした表情だった。

 白い歯が煌めき、赤坂の美しい髪がさらさらと靡いていて、


「でも、俺はさ。赤坂のそういうとこ、すごいいいと思うし、好きだよ」

 俺は思わずそんな事を口にしていた。


「え⁉」

 取りやすいようにゆっくり投げたつもりだった。

 しかし、赤坂はグローブも構えずに立ち尽くす。 転がったボールはコンと小さな音をさせ、バックフェンスにぶつかって止まる。


「――などと、意味不明な供述をする一之瀬であったッ!」

 芝居がかった口調で言い返す赤坂は、顔が真っ赤だ。

 何気なく言ったつもりなのに、Likeとは違う意味にとられたっぽい。


「そういう意味じゃないから!」

 俺も顔が真っ赤だ。なんだこれ。

 曖昧な事を口走った己を恥じながら、赤坂が捕り損ねたボールを代わりに拾いに行く。

 土を払ってボールを掴み取る。


「あのさ。俺は、赤坂みたいになりたいんだと思う」

「一之瀬?」

 振り返り言うと、赤坂は不思議そうな顔をしていた。

 いつも強くて、自分で決めた事を有言実行。相手に何を言われようが揺るがない。

 俺は何かやろうとしてもどこかで必ず無様に失敗する。野球の最後だって気が緩んでもう少しで長打を許すところだった。

 でも、赤坂はゲームを文字通りシメた。寸分の隙も無く、俺が見落とした甘さを残さず摘み取ってくれたのだ。


「赤坂みたいに、言葉も行動も伴った強い人間になりたいなって思ったんだよ」

 俺がボールを投げようとしても赤坂はグローブを構えない。じっと俯いたまま。


「じゃあ、もっともっと頑張らなきゃ無理だね」

 赤坂は顔を上げると、くいと小首を傾けて煽ってくる。


「まあ、引き続き協力はしてやるわよ。そうでないと、私が困るからね」

「相変わらずひでーな。心に突き刺さる言い方どうも」

 俺達は離れた距離ながらも、互いの顔を見て笑いあっていた。


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