2-39 白鳥秋良は静かに燃える
お気に入り頂きましてありがとうございます。
今回は別視点のエピソードになります。
次回投稿は明日の同じくらいの時間を予定しています。
小三からずっと野球をしてきた。
野球も強豪中学で、ほぼ三年間キャッチャーマスクを被った。僕は野球に関してはセンスがある方だと思っている。
それに性格が悪い、こすっからい人間だという事も。
相手の嫌なコースも投手が考えている事も直感的に分かるようになっていた。
それなのに、何故彼をこんな状態にしてまで投げさせているのか。自分でも理解できない。
僕は僕の心が分からないまま、ボールを受け止める。
ばしん。
心地よい音と砂煙がミットから弾け、マスクの網目をすり抜けて乾いた土が香る。
懐かしい、野球の匂い。
一之瀬君の投げるへなちょこ球なのに。これが好きだったんだと、この試合でキャッチャーに替わってから何度も思い知らされていた。
正直、彼に上手く出来るとは思えない。
どう考えても打たれるから投げさせちゃダメだ。そう確信していた。
一之瀬君は空気みたいな男子生徒だ。目立たないし自分の意思もあまり言わない。これと言って友達っぽい人もいない。
たまに風晴君達にいじられているのを見るくらい、取るに足らない存在だと思っていた。
非情かもしれないけど、それが野球を通して様々な人間を見てきた僕の出した結論。
赤坂さんが全力で投げきれない現状、最終回の守りは風晴君か僕が代わって投げるのが最適解だったと思う。
それなのに、何で僕はあの場で赤坂さんと一之瀬君の間に割って入らなかったんだろう。
今もミットで感じるボールの勢いは消えかけてるし、コースだって危うい。
どうしてこんな状態で投げられているのか。立っているのすら不思議な状態に見えるのに。
「一之瀬君。コントロール戻ってきたよ!」
自分で言った掛け声は、どこか他人事で遠く聞こえる。
マウンド上の一之瀬君は今にも倒れそうなくらい汗が垂れていた。深い紺のジャージに汗が黒く染みこんでいる。
見ているだけで可哀そう。
それでも、僕の出したサインを一之瀬君は首を振って拒む。
「……」
右前方でスタンスを取るバッターの表情を盗み見る。
もう一度、一之瀬君の投げたくなるコースとバッターの狙いを照らし合わせながら、最適のコースを考えてサインを出すと、一之瀬君は頷いてくれた。
そうだ。このやり取りを淡々と続けるだけ。感情を殺し、勝つ為だけに心を最適化させる。
そうやって僕はずっと野球をやってきた。
でも、なんでかな。
一之瀬君の投げる姿、さっき赤坂さんといい合っていたやり取りを見てから心が熱くて落ち着かないんだ。
赤坂さんを助けるべく、ピッチャーに代わるのを買って出た一之瀬君。彼の言葉を聞いて柄にもなく心が引きつけられてしまったのかもしれない。
彼は自分自身の言葉で投げたいと言った。一緒に練習をしてきてからずっと一之瀬君を見て来たけど、こんな一面があるとは思ってもいなかった。
だから、そんなイレギュラーに心が引きつけられたんだろうか。
普段の僕なら、疲れたピッチャーを投げ続けさせるなんて真似はしなかった筈だ。
たまに、限界を超えた力を出すピッチャーがいる。一之瀬君は間違いなく今、その場所にいる。
「大丈夫! まだ勢い来てる!
そんな言葉を精一杯の笑顔に乗せて彼に飛ばす。
きっと彼は、僕の心の内で燻っていた炎を燃やしてくれる存在だ。
燃える物質、燃やす為に必要な酸素、発火点に達する温度。燃える条件には三つあるって中学校では習ったけど、まさに一之瀬君は僕に足りない物を持っている。
彼と組めば、燃え尽きるまで頑張れそうな気がしてくるんだ。
ぎゅん、と鈍った音をさせてファールボールが飛ぶ。
忌々しげに歯を噛み締めながら、相手の三年生がバットを握り直す。
それを見て余計に討ち取ってやりたいと思った。悔しげに滲むバッターの顔を見て優越感に浸りたい。そんな感情が芽生えている。
もう僕は、野球部でも何でもないのに。
これは球技大会の中の一つの種目に過ぎない。勝ったから甲子園に行ける訳でも、プロへの道に通じる何かがあるわけでもない。
それでも、僕はミットを構え続ける。一之瀬君のボールを待ち続ける。
僕がいつも心に押し込めて抱え込んでいた感情を、一之瀬君は何の躊躇いもなく表に出せるから。
それをもっと自分の目で見ていたいと思ったんだ。
一之瀬君はとても不器用で、何かしようとしても不格好だ。綺麗な形のままでしまい込んでおける僕とは真逆だし、一之瀬君みたいな生き方はすごく効率が悪い。
でも、そういう所が良いと思ったんだよね。
「ファール!」
ボールが明後日の方向に飛び、猿倉先生の叫び声がびりびりと鼓膜を打ち付ける。
「くそッ!!」
――!?
突然の叫び。思わず顔を上げると、マウンドの上で一之瀬君が感情を露わに咆哮していた。
フェンスに当たったファールボールが、ぽーんと、間の抜けた音をして背中越しに跳ねた。
「もう一度だ!」
そう言って、一之瀬君は空のグローブをばんと腰に打ち付ける。
「……っ」
僕は頬の端が吊り上がりかけているのに気づいて、必死で地面を見下した。
おかしいな。何でこんなに可笑しいんだろう。野球をして笑いたくなるんだろう。
キャッチャーがこんな顔してるの見られたら、きっと嫌がられる。
僕はバレないように表情を誤魔化して、もう一度しゃがみ込んだ。
「ファールボール!」
「ああッ!」
今度はバッターが大声を上げる。バットをおでこにコツンとさせながら、歯をむき出しにしている。
ミットに飛び込んでくるのは力の無いストレート。普段の一之瀬君そのものだ。
でも、宿った思いの丈なら赤坂さんに負けていない。だから、相手のバッターは未だに彼のストレートを打てない。
根性論だなんて僕が一番きらいな言葉だけど、いつ打たれてもおかしくないボールがファールで済んでいるのはそういう事なんだと思う。
一之瀬君がもう一度、投球の準備に入る。
僕は小さく息を吐いて、自分の心を落ち着けた。
そして、ミットを構えた。
声にならない気迫を乗せ、サイドスローからボールが放たれた瞬間――目の覚めるような、とびきり良いやつが来るのがはっきりと分かった。
「!!」
びしっと、ミットから手のひらに響いた衝撃が、身体の四肢へと浸透していく。
しっかり捕球したミットのその頭上、空振りしたバッターの巨体がぐるりと回っていた。
「ストライク、バッターアウッッッ!」
「ああ……」
そんな声が隠しきれずに漏れた。
何度も聞いて、どこか機械的にしか聞けなかった一言。それなのに、こんなにも胸を熱く沸かせるなんて。
「ナイスピッチング」
遠くの彼にかけるわけでもなく、小声で僕は呟く。
今までは空気みたいな男子の一人だと思っていた。
でも、一之瀬君は自分の思っている事をその身体で実践する事が出来る人だ。
だから、この球技大会で本気で野球をやって優勝しようなんて、そんな夢が僕にも生まれたんだ。
ありがとね、一之瀬君。