2-31 背景キャラの意地
竹浪さんに一足遅れで保健室に入る。
ベッドに腰かけた西崎は養護教諭に足を診てもらっていた。俺は一人立っていた諌矢に声を掛ける。
「大丈夫みたい?」
「捻挫だって。痛みが引いてきたみたいだし、そこまでではないとは思うけど」
何気なく返す諌矢。しかし、いつもの飄々とした様子は無い。試合していた時みたいに汗が額に浮いたままだ。
テニスコートからここに来て本当に何も手についていないんだろう。いつも器用にスマートにこなすのに、思っている以上ショッキングな出来事だったらしい。
そんな風に横目で見ながら、何とも言えない気持ちになる。
「もう少しだったのに!」
ばん、とベッドの脇を叩きつけて西崎が声を上げた。俺は思わず身体をビクつかせる。
準決勝をリードした所で終わってしまった試合。もし、あのまま勝っていれば決勝に行けたのに。夢が突然閉ざされた西崎の悔しさは相当の物だろう。
「怪我だもん。仕方ないって」
椅子を持ってきた竹浪さんが西崎と同じ目線に座って諭す。
しかし、西崎は不機嫌そうに俯いたまま、親友である彼女の言葉にも耳を貸さない。諌矢とも目を合わせようとしなかった。
安静にしていてね。
それだけ言って、養護教諭は保健室を去っていった。
白衣姿の背中を見送りつつ、一番出入り口に近い場所にいた俺は戸を閉めた。
「何なの、本当に! ムカつく!」
途端に金切り声が巻き起こり、反射的に耳を塞ぐ俺。
叫んだのは勿論西崎だ。しかし、いつも以上に迫力がある咆哮なのにこの保健室では弱々しく見えてしまうのは気のせいだろうか。
もしくは、屋上でのやり取りや竹浪さんから聞いた話などを経て、俺の中での西崎の印象が変わってきているのかもしれない。
最初こそ驚いたものの、叫び続ける西崎を見ている内、煩いとか怖いという感情は消えていた。
「あそこであたしがコケなかったら、勝ててたのにっ! あああっ!」
布団の上で何度も腕を振り下ろす。思い通りにならない自分の身体への苛立ち。
子供の駄々のようにも見えるが、そうする以外で苛立ちをぶつける方法は無いのかもしれない。
こうなってしまったらどうにもならない。機嫌を損ねてしまった女王への対処は、一歩間違えれば俺にも災難として降りかかってくる。
なるべく気を逆立てないよう、俺は諌矢に小声で話しかける。
「野球の試合は大丈夫。諌矢はここにいた方がいい」
振り返った諌矢は、ほとほと困り果てた表情を浮かべていた。
「夏生? でも……いいのか?」
「西崎のとこにいてやれよ」
俺は言うのだが諌矢は頷こうとしない。苦虫を噛んだように顔を背ける。
「そうは言うけどな夏生。次は決勝だろ? 俺はまだ体力残ってるんだけどな」
そして、ハッとそらぞらしい笑みを浮かべる。強がっているのがバレバレだ。
「あの剣幕だぞ。西崎をこのままほっとくのかよ」
諌矢に負けじと、俺はぐっと目に力を込めて見返す。
「それに、ここで癇癪起こされてもいい気がしないんだ。こういうの嫌なんだ」
「夏生……」
別に西崎を思いやったりとか、そういう感情じゃない。俺はただ単にこの状況が許せなかった。
「俺が言って西崎が気を落ち着けられるなら、とっくにサボってるし」
でも、諌矢の前でなら西崎も大人しくしてくれる。
諌矢がこの場にいて、西崎に少しでも温かい言葉をかけたらと思った。
何よりも、このモヤモヤを大会後も引き摺って教室に嫌な空気が流れるのが嫌なのだ。
「あはは。夏生は決勝サボりたいのか」
諌矢はそう言って笑うけど、もう見て居られないくらいに痛々しい。
「こういう時だし、イケメンリア充の諌矢は西崎の機嫌でもとってろよ」
諌矢は既にクラス内で多くの貢献をしている。バスケにテニスに大活躍だった。
今日の野球本番は一回戦くらいしか出ていないけど、それでも世話になっているのには変わりない。
「野球の方は大丈夫だ。試合の方は赤坂とか白鳥に任せとけ」
再度、釘を刺すように言う。すると、珍しく諌矢は弱気な顔を俺に向けた。
「……なんだよ?」
「いや」
そう言って口許だけ笑みを作って黙りこくる。
そこは『俺に任せとけじゃないのか』とか、『赤坂さんと白鳥がいて、夏生はいないのか』とかツッコミが欲しかった。
でも、今の諌矢はそんな軽口を言う余裕すらないんだ。
「私は別にいいし」
そこに、矢のように差し込まれる気丈な声。
諌矢と共に顔を向けた先には、表情を固くした西崎がいた。
「風晴は試合に出なきゃ駄目っしょ。私は大丈夫だし」
「瑛璃奈」
「愛理も。野球行って」
西崎は足を伸ばしてベッドの上に座り込んだまま、
「行ってってば!」
「ええ? 瑛璃奈?」
腕を一杯に伸ばして、竹浪さんを押しのけようとする。声はでかいけど怒っている風でもない。
こんな情けない状況になってしまったのがひたすらに恥ずかしい。この場にいて欲しくない、そんなところだろうか。こいつのプライドの高さは異常だからな。
でも、西崎はその気丈さで自分の心の弱さも隠している。赤坂は気の強さを鉄のメンタルで覆っているけど、西崎の場合はその逆。心の芯自体は思った以上にか弱い。
屋上でのやり取りや頑なに諌矢を思い続けている姿を見てきて、俺はそう確信していた。
「諌矢」
まだ迷っている諌矢の肩を掴み、俺はそのまま軽く押し出す。
「ちょ、夏生! 何すんだよ!?」
様々な競技でエース級の実力を示していた身体が簡単によろめく。諌矢は前のめりながら西崎のいるベッドの前へと歩を進めた。
「俺は大丈夫だから」
念を押すように、重ねて言った。
「こういう時くらい、俺は諌矢を頼らずにやらなきゃいけないから」
いつも、諌矢は空気を読んで俺を助けてくれる。
クラスの人気者の諌矢は実際有能だ。俺には無いカリスマと問題なく最後までやり通す実力も持ち合わせている。
気持ちだけ先行してしまう俺とは違う。
でも、今の諌矢は凄くカッコ悪く見えた。
「なに一之瀬。あたしは別にいいって言ってんだけど」
「西崎は大人しく安静にしてろ」
「はあ!?」
いつもの恨み節をぶつけてくる西崎に俺は言い返す。
その隣の諌矢はこの期に及んでも、何か言いたげな顔をしている。
「いいんじゃないの。別に」
竹浪さんがそれを見て立ち上がった。
「大体、風晴一回戦しかでてないじゃん。別にうちらだけでもいけるし」
くい、と小首を傾けて冗談めかしたトーン。俺への援護射撃のつもりらしい。
「そろそろだよね? 決勝」
「ああ。流石に二人もレギュラーがいないのはまずいよね」
竹浪さんと頷き合う。薬品臭かった保健室内に制汗剤の匂いが仄かに香る。
「白鳥も赤坂もいるんだ。別に戦力的には十分だし……そんな顔した諌矢が出てきたら勝負の運気が逆に下がっちゃうよ」
「はは。赤坂さん並みの毒舌かよ」
諌矢が観念したような顔で肩をすくめた。
今のは俺からしたら精一杯の強がり、虚勢だ。
次は決勝。プレッシャーだって半端ない。
でも……
「野球経験者だとか散々煽ったの諌矢じゃないか。こういう時くらい任せてくれよ」
それでも俺は、諌矢に嘘をつき通す。
「行くよっ、一之瀬。もう時間ないし」
「分かった」
そして、竹浪さんと共に保健室を出ようとしたその刹那、
「――夏生」
扉に手を掛けた所で、背後から呼び止められた。
「何だよ?」
振り返った先、椅子に座った諌矢は、純粋な子供みたいにきょとんとした顔。
「一応。言っとくんだけどさ」
俺をじっと見ながら、ぽつりと口を開く。
「本当、夏生って嘘つくの下手クソだよな!」
そう言って、辛気臭い顔が一転、人を小ばかにしたような笑みになる。
「うっさい」
そのまま保健室の戸を閉めた。
多くの生徒教職員が校庭や体育館といった試合会場に分散している。廊下はぞっとする程人気が失せていた。
「一之瀬。さっきの何」
廊下に散らされる二つの足音。竹浪さんは肩先に寄ってきて俺を覗き込んでくる。
今にも吹き出しそうなのを堪え、人をからかうような悪戯っぽい笑みに溢れている。
「いやさ、あいつらって振った振られたの関係じゃん?」
戸を締める間際に見えた西崎の呆け顔。俺はそれを思い出しながら答える。
「うんうん」
竹浪さんはおでこを叩きたくなるような近距離で、何度も首を縦に振る。
「だからさ、あいつらに滅茶苦茶気まずい時間を送らせてやりたくなったんだ」
「ええっ!?」
何を言っているんだと、竹浪さんが吹き出した。
「さっきのテニスコートのやり取りを見てたらさ。なぁんかイラっとしたんだよな」
一人は悲劇のヒロイン、もう一人は助けに入った王子様気取り。その癖、強がって諌矢を遠ざけようと気を張る西崎。見え見えの西崎の好意にも向き合おうとしない鈍感主人公気取りのイケメン諌矢。
本当に、面倒くさい二人だ。
おまけに、諌矢は球技大会の種目決めで俺をテニスに出そうとしてきたのだ。
あの時は皆にも見られて本当に恥ずかしかった。俺は一度受けた恨みを絶対に忘れない。
だから……
「要は、リア充は爆発してろって事!」
「なにそれ!」
けらけらと腹を抱えて笑いながら、竹浪さんは俺の横を歩き続けた。