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2-29 旧知の仲

 午後のどこか弛緩した空気を肌で感じつつ、俺は美祈さん宅のトイレから出た。

 背後で流れる水音を聞きながらマホガニー艶めく真新しいフローリングを歩く。


「トイレ、ありがとうございました」

 最早、恒例の挨拶をした所で、リビングにいる美祈さんの反応が薄いことに気づいた。


「……」

 顔をのぞかせた先、ソファーの上で美祈さんは膝を抱えたままこちらをじっと見ている。

 心なしか機嫌も悪そうだ。


「どうかしました?」

 このままお礼の挨拶の一言だけで出ていくのも気が引けた俺は、リビングに足を踏み入れた。

 つけっぱなしのテレビは昼の情報番組。甲高い笑い声で極上スイーツに舌鼓を打つタレントには見向きもせず、美祈さんは俺をじっと見ている。

 部屋の中の騒々しさとはマッチしない温度差に、知らず俺の身体も固まる。


「どうしたんです?」

「ナツ……何か言う事ないの?」

 何で拗ねているんだろう。俺はさっぱり意味が分からない。


「見てないみたいなんで消しますね」

 リモコンをテレビに向けると、女芸人の大笑い顔が一瞬でブラックアウトした。

 すっかり音の無くなった部屋。遠くから聞こえてくるのは子供の喧騒。まだ学校に入る前なんだろうか、しきりに声を散らしていてはっきりと聞こえてくる。

 ここは新しい住宅地だから、幼い子供を持つ家族連れが多く住んでいるのだろう。


「何で最近来てくれなかったの?」

 美祈さんが口を開く。結局のところ、そういう話らしい。


「ああ、いろいろあったんすよ」

 最近の西崎、赤坂絡みのクラスの険悪な空気やら俺自身に押し寄せる球技大会のプレッシャー。それら一連を説明した所で美祈さんが理解できるとは思えない。

 とりあえず、面倒くさいなあと思いながらも姉貴分の愚痴に耳を傾けようか。

 そう思って座ろうとすると、美祈さんは自分の腰かけたソファーの横らへんをぽんぽんと叩いた。


「はいはい……」

 どうやら隣に来いという事らしい。俺はソファーに座り直す。


「ああ~腰がいたいなあ!」

 キャッチャーでしゃがみっぱなしだったのに、無闇に座ったり立ち上がったりするからだ。

 俺がそんなわざとらしい愚痴を漏らすのを、美祈さんは横目で見ながら続ける。


「環季ちゃんと一緒に昼を食べに来てくれるの、愉しみに待ってたのに」

「そんなに暇なんですか」

 言い返すとムッとした顔で鼻をつまんでくる。


「……」

 しばらく耐えたら口許も抑え込んで来る。窒息しそうなので、たまらず覆った手を振り払う。


「死ぬわ。何するんすか!?」

「前みたいに昼休みもあんまり来なくなったし」

「体調改善してきたんだから、少しは前向きに考えてくれてもいいのにな……」

 思わずため口になる。

 ていうか、浮気を問い詰めるような目で俺を見てくるのやめてほしい。


「せっかく近くの高校に進学したのに、遊びにも来てくれないなんて寂しいじゃない。そうやって徐々に疎遠になっていくものなのよね、人間関係って」

「学生時代の話でもひきずっているんですか。素直に俺の進歩を喜んでくださいよ」

 どこか遠い目をしている美祈さんに言い返す。


「ナツ。もしかして、学校で楽しい事でもあった?」

「まあ、色々と入学した時よりは。赤坂以外にも話す人増えたし」

「へえ」

 俺の話をどう受け取ったのか、思わせぶりな笑みを浮かべる美祈さん。昼の陽ざしに照らされたゆるふわボブがきらきら黄金色に輝く。


「今日の球技大会だって結構頑張ってるんですよ。俺」

「何に出てるの?」

 興味深げに立てた膝に顎を乗せる。美祈さんの興味の対象を引けたようで、何よりだ。


「野球。経験者として駆り出されたんです」

「あー、確かにナツって野球やってたよねえ。うちの家系は運動神経あんまりよくないのに」

 余計なお世話だと言いたい。それに美祈さんの頭にもブーメランが突き刺さっている。


「美祈さんは高校で部活とか入ってたんですか?」

「私は写真部だよ」

 意外だ。カメラとか持ってたら壊しそうな程、機械音痴なイメージがある。

 驚いた顔の俺に、美祈さんはむっと口許を膨らませる。


「あー。今内心で馬鹿にしたでしょ? すぐ顔に出るんだから」

「カメラとか壊しそうだって思いました」

 そう言うと、美祈さんはもう一度テレビをつけ直すと、コントローラーを握り締める。

 起動したゲーム機が、自動で放送中の番組からゲームの出力画面に切り替わる。


「こう見えても賞とかも取ったんだから」

「マジですか。意外だ」

「私からしたら、ナツがまた野球やってるっていうのも意外」

 そう言ってこちらを横目で見る。


「まあ、クラスに俺みたいに昔野球やってた奴いて……それで意気投合したっていうか」

 それに赤坂も出ている。やる気を出したあいつには負けたくない。そういう意地もあるのかもしれない。

 そう言おうとした所で言葉を止めた。美祈さんに邪推されるのが何となく嫌だったからだ。

 何を邪推? 俺と赤坂の間に、思われてまずいような事でもあったっけか?

 一瞬、心の中でそんな問答を繰り返すのだが……


「ふーん」

 しかし、美祈さんは俺の内心など興味なく、コントローラを操作してFPSゲームのメニューを操作し続けている。丁度タイトルロードが終わった。


「そう言えば、二学期は文化祭あるわよね?」

 思い出すように美祈さんが呟く。

 彼女は俺と同じ冬青高校の卒業生でもある。一年を通じた行事の流れも大体は覚えているのだろう。


「見に行っていい?」

「でも、一年生は大した店とか出し物はしないみたいっすよ。うちは公立だし、そんなに賑やかなやつは多分やんないです」

 俺は膝をぱんと叩いて立ち上がる。そろそろ昼休みも終わる頃合いだ。


「知ってるわ」

 ぽつりと呟く歳にしては幼く感じる美祈さんの声。

 卒業生なので美祈さんはその辺も把握済みなんだろうか。


「野球、頑張ってね」

 去り際、背中から美祈さんの優しい声が掛けられる。すっかり機嫌が直ってしまったようだ。

 それは俺も同じ。変にいざこざになって終わらなくてよかった。これならば、メンタルも腹もリフレッシュして午後の野球に臨む事が出来る。


「じゃあ、いってきます」

 丁度FPSの対戦が始まった。昼下がりのリビングにかまびすしい銃声が轟き始める。

 俺はそれを背中に聞きながら玄関を出た。


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