5. 本人にしか分からない設定で無理矢理切り抜けようとする。
予鈴と同時に戻れたのは我ながらギリギリだった。
席に着いた俺は、拳を絡ませ、赤坂に問い詰められたらどう答えようかと思案する。
――さっきまでいたのは、『俺の実家』だ。よし、その設定で行こう。
俺は自宅が近い所にあって、昼休みには抜け出している。そんな、進学校にしては少しだけちょいワルな男子なのだ。
さっきだって、外をうろついていたら偶然赤坂に出くわしただけ。
よし、これならいける。何の違和感も無いな、うん。
「環季ちゃん。昼はまたパン買いに行ってたの?」
「あそこのドーナツ、マジで美味しいからね。三個も食べちゃったし、カロリーやばいかも」
隣の女子に話しかけられ赤坂は大袈裟気味に返している。
しかし、買ってきたというパンは手元には無い。既にどこかで食べてきた後らしい。
「いいなあ。私も行ってみようかなあ」
俺の隣の席に座る女子は赤坂を見てうっとりしたように頬杖をついた。
女子が好きそうな菓子パンとか多かったし、気持ちはわかる。
でも、昼休みに出歩くのは自重してくれ。赤坂ならまだしも、これ以上、あの界隈に知り合いが出て来られたら俺が困る。
「あー、でも」
二人の会話に注意していたら、赤坂が一瞬だけこちらを見たような気がした。
「学校から抜け出すのは良くないって。北見さん優等生だし、見られたらまずくない?」
悪戯っぽく褒めちぎる赤坂に、その女子生徒はあたふたと小さな手を振って謙遜する。
「私、優等生じゃないよ。環季ちゃんの方がすごいって。小テストも満点だったでしょう?」
「数学は元々得意だったからね。それに、この前の試験は中学までの範囲だったし。ないない」
女子特有の空気の読み合いみたいな会話だ。ていうか、赤坂の数学の点数が強すぎる。
満点って――いや、俺の点数が低すぎるだけなのか。
受験と同じ範囲なのに百点満点の三十点は無いよな。
「一之瀬。元気?」
と、一人脳内で問答していたら、風晴諌矢が現れた。
「何、そんなに俺が気になるの?」
俺もこれまた味気の無い挨拶を交わす。すると、後ろの別の女子グループ、江崎さん達が色めき立つ。
何なの、この会話のどこがおかしいの?
「あれ一之瀬。もしかして、外行ってた?」
「そうだけど……」
「あー。なるほどね」
否定する意味がないので正直に答えると、諌矢が意地悪くにやける。
というか、この話題はあまり大きな声で言わないで欲しい。前の席は赤坂環季な訳だし、ここで美祈さんの『み』の字でも話し出されたらと思うと、気が気じゃない。
「――俺が外に行った話。これ以上するな」
「え、なに?」
諌矢は聞き返すが、前席の赤坂は隣の女子生徒との会話に夢中だ。怪しまれてはいない。
例え、外の家でサボってた話をしたとしても、そこが俺の実家だと思わせときゃいい。
「そうだ。お前ん家、新型のゲームあったよな?」
すると、諌矢は思い出したように開いた掌を右手で叩く。
大きく開いたアホっぽい口の中で、芸能人並みに白い歯がきらりと輝く。
「前に言ってたじゃん。入学祝いに最新機種買ったとかってさ。俺やってみたいんだよね!」
俺は相槌を打ちかけて口ごもる。リア充独特の会話のテンポに、どこで返せばいいか完全にタイミングを失っていたのだ。こうなると、もう向こうの為すがままだ。
「あー、でも」
不意に、諌矢が眉根を寄せ考え込む。
何か、すごく嫌な予感がした。
「一之瀬って、確かチャリ通だったよな?」
「は?」
ちなみに、チャリ通――自転車通学を認められているのは、遠距離に自宅がある生徒のみ。
当然、美祈さんの家から自転車で通う事など不可能である。徒歩五分もしないし。
狼狽する俺を余所に、諌矢は気の抜けた笑いを上げた。
「遠いよなあ。歩いていけない距離だし。徒歩40分くらい? ……やっぱ今日はいいや」
「いや、それ今ここで言う!? しかも、徒歩時間まで補足しなくていいから! グーグ〇マップの経路検索かよ!」
思わず口に出てしまった。勢いあまって立ち上がりかけたので思いきり椅子の音が鳴る。
周囲のおとなしめの生徒達はビビりまくった様子で俺達を見ていた。本当ごめんね。
「え、どうしたんだ? 俺、何か悪い事言ったか?」
一方の諌矢は飄々としている。悪気なんて無い顔。
完璧イケメンの癖に、肝心過ぎる時にKYなのが風晴諌矢なのだ。
「なんだよ。相変わらず変な奴だなあ。言う訳ないだろー」
鐘が鳴り、諌矢は不満げな顔で最後尾の席へ向かう。
それを見送った後ろの江崎さん達が会話を始める。
「さっき耳打ちしてた!」
「やっぱりあの二人って……!」
そろそろ言わせてくれ。江崎さん達、やっぱりちょっとおかしいよ。
教材を机に出しながら、注意深く観察すると、赤坂はまだ隣の女子と会話をしていた。
他人の会話の盗み聞きが俺みたいに友達少ない奴の特技だけど、赤坂は今だって仲の良い女子と雑談している。
「へえ。北見さんって英語の課題。もうそこまで訳してるんだ。さっすが!」
それなら、諌矢と交わしていた話なんて半分も聞いていない筈だ。
まあ、大丈夫だろう。
キャッキャと笑う赤坂の横顔を見ながら、俺は自分の心にそう言い聞かせた。