2-26 試合前の語らい
「一之瀬ってさ、また何か見る予定の映画とかあんの?」
「へ?」
ふと、赤坂が口にした言葉。一瞬何の事を言っているか分からなくなる。
「前に言ってたじゃん。映画とか良く見に行くんでしょ?」
気づけば、ふくれっ面の赤坂が目の前にいた。どうやら、諌矢と三人で遊びに行った時の話をしているらしい。
それをこのタイミングで持ち出すなんて……本当に予想の斜め上を行く奴だ。
「なに、また映画談義?」
「何その嫌そうな顔。映画とか好きじゃなかったの?」
「まあ、好きだけど……」
「じゃあ見たい映画とかあんでしょ?」
顔をぐっと近づけ、食い気味に俺を見る。何か無邪気そうな表情。
頬を撫でる風で、赤い髪が絹糸みたいに揺れている。
「まさか、一緒に映画館に行こうとかそういうやつ?」
「いや、単に借りたりネットで見たりする的な話。別に一緒に行くとか言ってない」
「ああ、そうかよ」
俺は適当なトーンではぐらかす。
何かもう慣れてきたよ、このパターン。俺も耐性がついてきたぞ。
「もしかして、一之瀬ってバトル映画ばっか見る系?」
いつの間にか映画トークだ。結局、赤坂だって他クラスの野球の試合は退屈なんじゃないか。
でも、そんな野暮な事は言わない。
「そう見える?」
「うん。そういう顔してる」
赤坂は笑いをこらえるように言った。
雲が広がって薄暗くなったせいか、真上を直視しても全然眩しくなかった。
「悪いかよ。俺はバトルとかSF好きなの」
足を広げ、開き直って言い返す。
すると、赤坂は今度こそぷっと噴き出した。
「やっぱ、男子って感じ」
「その言い方! 高校生にもなって男子とか言う赤坂こそどうなんだよ……」
小学校のクラス委員長の女子じゃないんだから、そう言おうとした所で首を振る。
「いや……」
いつもこんな流れになりがちだけど、俺は別に赤坂と議論や口論みたいなのをやり合いたい訳じゃないんだ。訝しがる赤坂を横目に、俺は出掛かった言葉を押しとどめる。
「じゃあ、赤坂のおすすめの映画を教えてくれよ」
「ふーん」
赤坂は俺の瞳をじっと見ながら、
「思うに、一之瀬は名画ってやつに触れるべきだと思うの。バトルだけが映画じゃないんだよ?」
そう言って顎に手をやる。真面目に考え始めたぞ。
「名画?」
「そ! すごい昔ので有名な作品いっぱいあるじゃん。まあ、『いい映画』ってやつね」
赤坂は俺を言い聞かす口調で言うけど、そこまで古い映画はあんまり見ないんだよなあ。
「いろんな面で俺よりも高次元にいる奴はやっぱ違うな。で、赤坂のおすすめの『いい映画』は何なんだよ?」
ふふん、と赤坂は鼻高々に顔を上げる。
「そうね――」
そして、轟々と風が吹きすさぶ中、タイトルを口にした。どこかで聞いたような、でもやっぱり内容までは分からない作品名だった。
「へえ、それって有名なのか?」
「イタリアの昔の映画なんだけどさ。映写技師のおっさんと映画好きの男の子が触れ合うヒューマンドラマ系? っていうの? そういうやつ」
そこから赤坂が語り始めたあらすじで段々情景が浮かび上がってくる。
「映画館が舞台の映画だからさ、昔の名画がそのまま出て来るの。あと、主人公の男の子は大人になって映画監督になって成功して故郷に帰ってきて――てか、一之瀬内容聞いても分かんないよね、ごめん」
滔々と言いながら、赤坂はしまったという顔をする。でも、そのシーンを聞いていたら何となく記憶の中に合致するシーンはあった。
「ああ。ラストでおっさんとの思い出のフィルム見て終わるやつでしょ?」
「へえ、わかるんだ?」
ぐっと赤坂が顔を寄せてくるので、思わず顔を退いた。
逸らした視線の先では、ファーストがオーライオーライ言いながらフライをキャッチした所。それにしても野球そっちのけの会話だな。
じっと見ている赤坂を見て、俺は咳払いを一つ。
「小さい頃、爺ちゃんの横で見たかもしれない。テレビかDVDかは忘れたけど」
俺の祖父は休みの日になるとよくテレビで映画を見ていたものだ。
ホラーとか、サメが暴れるやつとか、脇役の筈の港湾組合員が主演の俳優に負けないくらい活躍するアクション映画とか、とにかくいろんなジャンルを一緒に見せられたのでそれなりに記憶はある。
しかし、日常を描いたドラマ調の映画だけは面白さが分からなかった。子供だったからなのかもしれない。
「小さな頃に見た時は退屈だった記憶しかないなあ」
それは多分、今でも同じだ。
ラストで泣けるからと勧められて見ても、実際に泣いたりする事はあまりない。
「バトル物と違って、すっきりしない終わり方の映画はどうにも合わない気がする」
俺が赤坂よりもガキなだけかもしれない。
戦って勝って終わるバトル物は分かりやすくて面白い――我ながら酷い脳筋思考だな。
「なに、一之瀬やっぱバトルじゃないと駄目なの?」
「そうだよ」
赤坂が俺の思考を秒で読んできたので開き直ると、くすりと鼻で笑われた。
「もう高校生なんだし、改めて見直してみなよ? また違う感想になるから」
「うん。まあ考えとく」
小さく頷きながら持参したスポーツドリンクを開栓する。一口含むと、塩辛さが混じった甘さが喉を下っていった。
横目で見た先の赤坂はドヤ顔。
まるで姉が弟の相手でもしてる時みたいな言い方だ。精神面で赤坂は完全に俺の上を行っているのを思い知らされる。
「ラストのシーンは、感動するとかで有名だしな。もっかい見てみるよ。ネット配信とかで」
そんな事を言って赤坂に合わせつつ、立ち上がろうとした。場所を移そうかと思ったのだ。
「まいねな。(だめだな)一之瀬」
しかし、赤坂は動こうとしない。俺が腰を上げようとするのを言葉で止める。
「何だよ、もっと感動物見ろって事?」
「違うわよ」
赤坂はじっと見返す。
「大人になった主人公がラストでフィルムを見るシーンは有名だけど、私的にはその前の主人公が故郷を出るシーンの方が好き」
「へえ」
どうやら、まだ語り足りないらしい。赤坂がこうも自分の意思を主張してくるのは珍しいので、俺はそのままもう一度座り直す。
「故郷を出ようとする主人公にオッサンが声を掛ける時の台詞がいいのよ。『帰って来るんじゃないぞ』ってやつ」
「ああ」
内容は良く分からないけど適当に相槌を打つ。
「私もさ。どこか遠くの大学に行く時はここを出るわけじゃない? そういう時は、トトみたいに見送られるのかなあって」
トトって誰だ……多分、登場人物の名前なのかもしれない。
本当にその映画が好きなんだろう。
どこか熱っぽい口調の赤坂に、苦笑いしながら俺は相槌を打つ。
俺は登場人物の名前も知らない。しかも、彼女が言っている映画は本当に一度、家族の横でぼんやりと見ていただけ。赤坂が言っているシーンだって殆ど記憶にないのだ。
まだ幼かった当時は、その映画が世間でどれだけの評価とか感銘を受けているかなんてわかってもいなかった。
「電車が動き出して見送ってくれる人が小さくなっていくの。そうしてるとね、神父が遅れてやってくるのよ。そのシーンが特に好きなの」
おぼろげな記憶の中の情景と、赤坂の言っている内容を合致させながら聞く。
「その神父ってね。ずっとトト達にはきつく当たってた悪役っぽい人なんだよね」
途中で口を挟んで確認したい事はいろいろある。それでも俺は楽しそうに語る赤坂に口出ししようとは思わない。
それは決して、赤坂の邪魔して機嫌を損ねるのが嫌だからという訳で無く、彼女の今の表情を少しでも長く見ていたいという感情が勝っていたからなのだとも思った。
「その神父って悪役っぽいんだよ? でも、いざトトが田舎出るときは見送りに来てくれるの。それ見た時に私はああ……この人もトトの事見送ってくれる、良い人なんだなあって温かい気持ちになるんだ」
赤坂は組んだ腕の上に顎を乗せると遠くを見た。一方の俺はそんな彼女の、心底楽しそうな横顔を見ている。
「――だから、好き。すごい何でもないシーンなんだけど私は好き。私もああいう風に見送られたらやっぱ嬉しいなあって思っちゃいそう」
以前、赤坂は故郷を出たくないとか言っていた。でも、本心ではやっぱり都会にも興味あるんだろうな。
その一方で、俺はこの田舎が嫌だ。赤坂と違って迷いなんて無いし、とにかく都会に行きたい。
少なくとも今はそう思っている。
赤坂と俺は似ているけれど少し違う。
だから、こんな風に映画の中の主人公に被らせる事もできるんだろう。
故郷を出るという決断をした、この映画の主人公に自分を被らせるくらい感情移入してしまっているのだろう。
「だから、一之瀬も今度はちゃんと借りて見て見なよ」
念を押すように俺を横目で見る赤坂。
口角をきゅっと上げて目を輝かせたその顔は今まで見た中でもとびきりに清々しい。
「ああ、そうだな。赤坂がその映画に関しては俺よりオタクだって言う事は十分分かったよ」
「なっ……!」
頬を赤らめて赤坂が狼狽する。そう言えば、彼女がこうも取り乱すのを見るのは初めてかもしれない。
一見、合理主義者で非の打ちどころがない程の効率重視でストイックに生きている。俺は赤坂をそんな印象で見ていた。
でも、そんな事はない。赤坂だって俺と同じように細かい事で悩んで自分なりに考えて生きているんだ。だから、こういう映画にものめり込んで熱く語れちゃうんだ。
そんな人間臭さみたいなもの? を俺なりに感じられたのが嬉しかった。
「分かったよ。夏休みになったら見てみるよ。赤坂が言ってたシーンもちゃんとね」
「ついでに感想文も書いとけばいいんじゃない? ほら、うちの高校って夏休みの課題多そうだし。一石二鳥になるでしょ」
そう言って、得意げな顔で笑う赤坂。
言葉では、俺はそっけなく赤坂に答えていたかもしれない。
でも、これだけ赤坂が熱く語る映画なのだから今度はちゃんと見よう。
赤坂が好きなシーンを見て俺がどう感じるか、とても興味が湧いた。