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2-20 廃校メシと彼女の悩み

 赤坂に言われるままに投球練習をしてみた。

 しかし、俺のスタミナはあっという間に底をつき、赤坂の提案で休憩することになった。


「昼飯もってきてんの?」

「朝にコンビニで買ってきた」

「はあ……そんなんで飯足りるの?」

 閉鎖された校舎は固く施錠され、中に入る事は出来ない。俺達は昇降口前の段差に並んで腰かける。

 俺はペットボトルのお茶(二本目)と、コンビニで買っておいたカツサンドに、菓子パン。

 トースト風の菓子パンは、一見食パンを二枚重ねただけの見た目だけど、中にはじゃりじゃりした甘い砂糖やミルク味のマーガリンがたっぷり入っていて、とにかく甘い。


「いただきます」

 一方の赤坂は自宅から持参してきた弁当が昼食だ。

 二段重ねの弁当箱にはご飯と、総菜がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。


「それ、自分で作ってきたの?」

「昨日の夕ご飯の残り。あとは殆ど冷食だし」

 赤坂は山菜やら鶏肉が乗っかった炊き込みご飯を美味しそうに食べる。


「でも、久々かも。こんな風に身体動かすの」

 そう言ってペットボトルクーラーに包まれたお茶を飲むと、清涼感溢れる汗が頬を伝って落ちていく。

 スポーツ飲料のCMに使えそうな絵面だな。


「今度、美祈さんにも料理の作り方教えてやってくれよ」

「気が向いたらね」

 そう言って赤坂は俺を見て笑った。

 何度か美祈さんの家で話しているので、赤坂はそれなりに懐いているようだ。これを機に、あの新婚FPS中毒者の料理スキルを何とかしてやってほしい。


「ここで遊んだのも久しぶりだし。結構面白かったかも」

「ストレス発散にはなった感じか?」

 俺の問いに赤坂は満面の笑みで頷く。


「昔は兄とか姉に連れ回されてよくここで遊んだから……その頃を思い出すっていうか」

 そう言って広い校庭を眺めている。

 グラウンドにはサッカーゴールらしき痕跡とかが残っていて何も無い。この敷地が何年このままの姿で残されているのか疑わしい。

 有効利用されなければ取り壊されてしまうかもしれない。そんな、決して残らないであろう景色をひっそりと記憶に刻んでいる。俺にはそんな風に見えた。


「赤坂って兄弟多いの?」

「一番上が兄で、その次が仙台行ってる大学生の姉。ああ、兄はもう東京で働いてる」

 そっけなく言いながら、赤坂は遠くを眺めたまま、


「なぁんでみんな青森出ちゃうかなあ」

 本心らしい言葉がぽつりと最後に漏れ出した。


「でも、都会ってろくなもんじゃないみたいだよ。美祈さんが向こうで働いてた時、しょっちゅう母親に愚痴ってたらしい」

「確かに。東京行っても人多すぎてうんざりして戻って来る人もいるよね」

 赤坂も俺と同じように苦笑いしながら、弁当箱を片付け始める。

 そして、俺に問いかけるべく、顔を向けた。


「もしかして、一之瀬は地元で進学とか?」

「いや、俺も出たいかな。雪が嫌過ぎるし」

 俺は頭を振ってそれに答える。じっと見ていた赤坂が、ふっと鼻で笑って顔を逸らす。


「それ、理由が軽すぎない?」

「割と本音で言ったつもりなんだけどな」

 冗談として受け取られているらしい。

 俺は赤坂の進路を聞いた訳じゃない。でも、自然とこんな会話をできているのが、何となく嬉しかった。

 一通り荷物を片付け、赤坂は大きく足を延ばした。


「私もやりたい事色々あるけどさ。ここの高校って進路調査しつこいし、どうしよっかなあ」

 赤坂と関わる様になって、まだ三ヶ月も経っていない。赤坂の家の事とか、進路や目標も殆ど知らない。それなのに、こんな話をしあっているのが何とも奇妙に思えた。

 赤みがかった赤坂の虹彩は澄んでいて、晴れやか。


「一之瀬さ。いつか言ったよね? 私があんまり他のクラスの人と関わりたがらないって」

「ああ。言ったな。あの時はごめんな」

 炊事遠足の時の話だ。謝ると赤坂は気にしなくてもいいと笑う。


「あれさ、結局私もガキだから意地になってんのかも。中学では皆とベタベタしすぎて結構嫌な思いもしたんだよね。その反動」

「リア充の自虐風自慢か? それ」

 途端に赤坂はムッとした顔になる。


「私だって高校で誰かと仲良くできるならいいわ。でも、やっぱ駄目なんだよね。どうしても他の人には気を許せないっていうか……」

 そう言って、指先をくの字に曲げて頬を掻く。


「前も聞いたけどさ。中学でそんなにひどい目に遭ったのか?」

 赤坂は単にクラスでの人間関係がこじれたと言っているけど、それを高校まで引きずるなんて相当だと思う。


「別に。私は平気だけど、他の人が酷い目に遭うのは見過ごせなかったの」

「他の人?」

「うちの中学って人少なくてさ、グループとか出来たら殆ど三年間ずっと同じなんだよね。で、私はそんな人の少ない中学のソフト部を東北大会まで連れてくくらい優秀な生徒な訳だじゃな?」


「自分で言うか? それ」

 赤坂はムッとしながら俺の脇腹を肘で小突いて続ける。ごめんなさい。


「まあ、簡単に言うと? クラスにほんの小さないじめ紛いな事があって、助けようとしたら、今度は私が標的になった的な?」

 赤坂は真昼の空を見上げて薄く笑みを作る。どこか自虐的な顔。


「だから、私は他の人を信じられない。仲が良くても、きっかけがあれば簡単に敵になるし」

 その言葉は固い意志に満ち溢れていて、まるで自分自身を戒めているようにも見えた。

 いじめのような事は俺の中学でもあった。見ている側はともかく、当事者の心境はもっと酷い物だろう。自分が被害者にならなければ、その苦しみは分からないのかもしれない。


「一之瀬、人の事なのに随分辛気臭い顔してるね」

 自然と神妙な顔になっていたのだろうか。赤坂が俺をじっと見ていることに気づいた。


「大変だったんだなって」

 赤坂は『別に』とだけ、いつもみたいにクールに聞き流す。


「ご飯食べる時に誰かいると落ち着かないってのは、そういう嫌な記憶が関係してるのかもね」

 あーあ、とぼやきながら身体を崩す。教室で窮屈そうに猫を被っている姿に比べると随分と開放的だ。

「結局、みんな自分が正しい側にいたいだけなんだよ。その為なら正義をかざして平気で他人を悪にしてまわるの。それが分かっちゃった私には、本当の友達なんてもうできないんだ」

 背中を逸らし気味に、自嘲する赤坂は強がっているようにも見えた。

 でも、赤坂が言っているのに共感できるのもまた、事実だ。


「赤坂の人を信じられないって気持ち。俺にも分かるよ」

「?」

「俺だって人を信じられない。特に、グループの中に踏み込む勇気なんてないし、怖いんだ」

 だからこそ。俺は常日頃から思ってきた悩みを赤坂に曝け出す。


「前にも言ったじゃないか。須山や諌矢は確かに良い奴らだ。でも、俺は自分がよそ者だって思っちゃうんだよ」

 そんな風に自覚する時は中学時代から多々あった。


「相手にどう思われただろう。さっきの話は失言じゃなかったか。話に合わせて笑ってる癖に、俺の心の中はいつも不安なんだよ」

 いくら優しくしてくれた相手でも、本当にそれが本心だったのかは分からない。だから、俺もまた上っ面だけ繕ってしまうのだ。

 そのせいで深くまで踏み込めない。迂闊に本音も言えない。


「――でも、そういう遠慮してる空気とか本心隠してるのって、相手には分かるんだよな」

 俺は長い長い溜息を吐いた。赤坂はそれを暫くの間じっと聞いていた。


「まあ、お互いにいちいち細かい所気にするって事ね」

 遠くのカッコウが鳴き始め、それに遅れて赤坂が口を開く。


「でも、私が見る限り、一之瀬って結構人に好かれてると思うけどな」

「え?」

 思いもしない一言が赤坂から飛び出した。思わず俺はその横顔をガン見してしまった。


「今はぎこちなくても大丈夫でしょ、打ち解けるって」

 赤坂は伸ばした足を抱え込みながら呟く。どこか遠い眼差し。


「私は他人を許せない前提から人と接する。でも、あんたって上から目線で相手の価値観を否定したりはしないじゃん。基本、人を怖がってるから信じれないだけのヘタレなのよ」

 そう言って、俺の方を見てニッと笑みを作る。丁度そこに日差しが当たる。


「酷い事言うね」

「だからさ――私が言いたいのは」

 言いかけた、俺の言葉を遮る様に赤坂は続ける。


「結局、一之瀬は皆を信じたいんだなって。それなのに信じられないから辛いんだ」

 そう言って、確信を得たような顔で俺を見る。


「あんたは基本的に人がいいから、人に嫌われるのを怖がってるんだよ。違う?」

「……そうなのかな」

 正直分からなかった。俺は自分の事が自分で分からないから自信を持てない。


「でも、赤坂がそう言うならそうなんだろうな」

「そ。もっと胸を張ればいいのよ」

 そう言うけれど、赤坂の胸は――俺は首を振る。何を考えているんだろ。


「でも、私はそういうの無理なんだ」

 口ごもる俺。赤坂は抱えていた足を伸ばし、大きく首を振る。


「嫌な相手はとことん嫌だし。そんな考え方だからかな。他の人達を見下して見ちゃうようになっちゃった」

「赤坂はそうする事で自分の心を強くしてきたのか?」

 それはまるで、自ら選んで歩んできたと言わんばかりの口ぶりだ。


「ね。性格悪いでしょ?」

 赤坂がここまで強気な姿勢を貫くのは、中学時代の黒歴史を経てこじれてしまった結果なのだろうか。


 ――でも、ちょっと待ってくれ。


「いや、それ酷くない? 俺も信じてないって事なるよね?」

 俺は思わずそんな事を口にしていた。本人を前にきつい事言い過ぎだろ、この女子。

 しかし、赤坂はどこ吹く風といった顔で、こちらから目を離さない。


「あんたはこの一か月の間に、本当に馬鹿でお人好しって事だけは分かったから。他の人を見下すとか裏を読むとかそれ以前だと思ってる」

「それってつまり……」

「まあ、その辺の虫とか犬とか猫とか鳥とかの感情をいちいち気にする? そういう概念の話」

「ひでえ……」

 つまり、俺は人間以下の存在として赤坂に扱われているらしい。それは果たして信頼と呼べるモノなのか、大変疑わしい。


「何しょぼくれてんの?」

 項垂れていたら、赤坂は俺の背中をドンと小突いてきた。

 この辺、本当に人間扱いされてない。赤坂の持論が納得出来るような行動だから困る。


「嘘をつけない正直者さん。顔にいっつも出てるよ?」

「止めて……むせる」

 あとは竹浪さんのソフトタッチとか参考にしてほしい。本当、容赦ないなこの子。


「とりあえず、あんたのそういうとこは長所だとは思ってるって事だからっ」

 身体を悶えさせる俺を余所に、楽しそうな顔。


「本当かよ?」

「普通、信じない相手に中学の黒歴史の話する?」

「ああ!」

 それを聞いて何となく合点がいった。

 赤坂はそれを見て馬鹿じゃないのと小さく漏らす。


「だから、私も――」

 そう言って置かれたままのグローブを手に取り、校庭に走り出していく。

 俺はその背中を呆然と眺めるだけだ。


「何? なんか言おうとした!?」

「いいから、練習するよ。一之瀬!」

 こちらを振り返りながら、赤坂が叫ぶ。突然の休憩終了の宣告だ。


「なんだよ。何言おうとしてたんだよっ!?」

 俺もボールとミットを手に取って続いた。


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