2-13 彼女の意外な一面
「えっ」
「えっ」
思いもしない一言。
こちらをじっと見つめる琥珀色の瞳の奥が弱々しく揺れる。
「まさか……本当にコクったのか?」
「……だから何」
マジかよ。ドアノブに掛けられていた右手が、意思とは関係無くだらりと落ちた。
西崎は俺から視線を一時も外さない。
「へえ、何。諌矢から聞いた?」
そう尋ねる声はどこか弱々しい。触れられたくない秘密に触れられて心すら溶けてしまったおとぎ話の登場人物みたいだ。
儚げな風に乗る西崎の声に、俺は必死で首を横に振る。
「聞いてないし、諌矢も何も言ってない」
そう答えると、西崎はきっと奥歯を噛み締めるようにして俺を睨む。
「なんもかんも、一之瀬のせいなんだけど」
震え声。何故か心の中が軋む。
「俺のせいって?」
「諌矢に彼女はいない。だから、告っても十中八九大丈夫。一之瀬がそう言ってたって愛理から聞いたから。だから……」
――そんな。まさか本当に聞いたのか。
しかし、西崎は言ったきり俯いたままだ。八の字になった白い足は小刻みに震えていた。
「……それで、諌矢にコクったら振られたのか?」
「はっきり振られたわけじゃない」
西崎は反射的に顔を上げ、もう一度俺にガンを飛ばす。今度は強い口調。振られた訳じゃないのをえらく強調してくる。
「つーか何その顔。マジ死ね」
「いや、西崎が俺の言う事を本気にするなんて思わなかったから」
竹浪さんから聞いた俺の冗談を、本気にするなんて。
「だって……あんたってうざいし落ちこぼれだけど、諌矢に一目置かれてるから」
冗談をそのまま伝えちゃう竹浪さんもだけど、嫌いな俺の言葉を鵜呑みにする西崎も相当だ。
「だから、あんたが言ってる情報なら確かかなとか思ったの……ん。要らない」
俺はもう一度手を差し伸べるが、西崎は袖口で涙を拭いて首を振る。
そして、手を借りずに一人立ち上がった。
「別に呼び出してコクったとか、そういう中学生のガキみたいな事してないし。諌矢だって、そんなノリで言われてOKする訳ないの分かる。けど……」
「まあ、そうだよな。あいつはそういう呼び出しとか嫌うだろうな」
「うっさい。本当死んで」
標準語のイントネーションだと二回りくらい心を抉ってくるきつい言い方に聞こえる。金髪を鬱陶しげに手で払う西崎。睨みつける目の色は充血して真っ赤だった。
「ちょっと冗談っぽく、付き合ってみる? とかそんなニュアンスで言ってみただけ。そしたら――」
言った瞬間、その時の感情があふれ出してきたのか、西崎は嗚咽混じりの声を漏らす。
「うっ……ひぐっ……」
「西崎……」
まさか、俺が何気なく言った冗談で、こんな事になってしまうなんて。
今もまだしゃくりを上げ続ける西崎を、俺は見ている事しか出来ない。
「――そしたらさ。『好きな人は別にいないけど、誰かと付き合うのはできない』だって。くっそ真面目な顔で言うし。なにそれ意味わかんないんだけど」
つっかえる喉を押さえつけるように、西崎は気丈に言い続ける。うっすらと涙で瞳が満たされているのがはっきりと分かる。
「何なの――マジで。本気にして答えられたら、そんなの振られたようなもんじゃん」
徐々に小さくなっていく声。俺は何も言わず、西崎の心が落ち着くのを待った。
西崎はしばらく必死に堪え続ける。そして、とうとう泣き出したいという感情すら飲み下してしまったのだろうか。
「……っ」
何度か荒い呼吸をした後に、もう一度こちらを見る表情に先程までの弱さは無かった。
「諌矢、本当困った顔してた」
諌矢、と下の名前で呼ぶ西崎。もう俺相手に回りくどく隠す必要はないという事なのだろう。
「そりゃあ、普段仲の良い女子からいきなり告白まがいの事言われたら困るだろ」
「つーか、あんなに取り乱してる諌矢、見た事ないんだけど」
じっとこちらを見る西崎に視線を釘付けにされる。
「すごい嫌そうだったし、マジでもう終わりなんだけど。どうしてくれんの」
状況を説明する間に、すっかりいつもの強気な女王に戻っていた。
しかし、俺はどう返せばいいのか分からない。
まさか、普段仲良さげにしている諌矢がそこまできっぱり西崎を拒絶するなんて、想像もしていなかった展開だった。
「何黙ってんの? 本当ムカつく」
西崎は刺すような視線を向けてくる。
どうやら、告白の失敗すらも完全に俺のせいになっているようだ。
「……いつコクったんだよ?」
かろうじて出てきた一言。西崎はそれに機敏に反応する。
「コクった訳じゃないし。今朝、人もいなかったから、諌矢に何となく聞いたの」
そう言って、浮かせた足で何も無い部分を蹴るように揺らす。内履きの白い部分は屋上の砂を被り、薄っすら汚れていた。
「つーか何。彼女も好きな人もいないのに、付き合えないって。意味わかんね」
西崎が今日一日おとなしかったのはこれのせいだったのか。
朝イチで付き合うか的な話を持ち掛け、諌矢に真剣に否定された光景がまざまざと目に浮かぶ。
「何で駄目なの。あたしには優しくしてくれんじゃん。それっておかしくない?」
行き場の無いイライラをひたすら愚痴る。その矛先は俺だった。
「今は駄目って事じゃないの? ほら、今は球技大会あるし。それが終わったら、すぐに期末テストじゃないか」
「は?」
その一言に、不満を露わにする西崎。
そもそも、このタイミングでの告白は時期が悪すぎるのは俺だって分かる。
もう少し、期末を終えた夏休み前とか、良さげなタイミングはいくらでもありそうなのに。
「今だって赤坂が練習に出ないとかでクラスの中が散々じゃないか。諌矢は副委員長だし、誰かと付き合うなんて状況じゃないんだろ」
俺は必死に説明する。殆ど脳ミソで即興で考えたのをダイレクトに発しているだけ。こんなの場繋ぎの言葉。俺お得意のその場を乗り切る為のごまかしみたいな物だ。
何も言わずこちらを睨みつける西崎は、赤坂以上に恐ろしい。俺は言葉を慎重に選び直す。
「西崎はクラスでもリーダー格の中心人物だろ? そんな女子と付き合うのがどんなに大変か分かる?」
「諌矢に負担があるって事?」
「そうだよ。だって、お前みたいな女子って結構人気ありそうじゃん。結構目立つ見た目だろうし……少なくともモテるんじゃないの」
「うわ、キモ」
そう言って西崎は露骨に嫌そうな顔。ごめんね、今の台詞を言ったのが諌矢じゃなく俺で。
「だから、少し落ち着けって。はっきり好きとか言った訳じゃないならまだ大丈夫でしょ」
「つーか、あたしって見た目だけなの?」
西崎は髪をいじりながら、気忙しい素振り。
うわあ、めんどくさい。フォローの言葉を選んだつもりだったけど、逆に失言だったらしい。
「知らない」
「は!?」
低い腹の底から震わせたような声で恫喝。怖い。
「でも、友達の間では西崎って結構可愛いとか、そういう話をしてる奴はいたよ」
気を取り直して、宥め続ける。勿論、これは俺の空想上の中での友達の話だ。
「そう」
だけど、それを信じているのか、西崎は満更でもなさそうな顔で目を背ける。頬が真っ赤だ。
多分、俺も真っ赤だ。そろそろ逃げたい。
「じゃあ聞くけど。一之瀬って赤坂さんとは付き合ってないんでしょ?」
「竹浪さんから聞いたのか?」
西崎はゆっくり頷くも、苦い顔をした後で、改めて首を横に振り乱した。
「ううん。あたしの判断。あんたらって何かあるけど、別に恋愛関係じゃないっしょって話」
「そう見えるのか?」
「前に一之瀬が赤坂さんを呼び出してたじゃん?」
西崎が言っているのは俺が赤坂を屋上に連れ出した時の事らしい。
確かに、事情を知らない奴から見たら、あれは告白の呼び出しだ。迂闊だった。
「あの後、振られたんでしょ?」
予想しない一言が不意打ちで俺の思考を殴りつける。
「え?」
「女子の間ではそういう事になってる。で、赤坂さんは諌矢の事が好きだって」
「だからかよ」
西崎が焦るのも、赤坂に対するヘイトも。すべて繋がった、そんな気がした。
俺の知らない所でこんな予期しない三角関係が出来上がっていたなんて。それにしても、俺の道化っぷりが酷いな。
でも、俺と赤坂がどんな悩みを共有してるかまでは分かってないようで、少し安心する。
「いいか、西崎。赤坂と諌矢は本当に何も無い。これだけは確かだ」
「でも、これからくっつく可能性もあるかもだし」
小さく呟く西崎は、まるで親に怒られた子供の言い訳みたいに弱々しい声音だった。
「いやいや、諌矢が赤坂なんかと付き合う訳ないし」
「何で一之瀬に言いきれるの? あんたモテないじゃん」
にべもなく言い放つ西崎。さっきよりかは元気が出ているけど、それにしても酷い物言いだ。
「だって、あいつ女に興味無いし」
「それってどういう?」
「だってそうじゃないか? クラスで一番可愛い西崎を振るなんて。女が好きじゃないから以外の理由、あり得ないだろ」
「……⁉」
もう一度顔真っ赤にする西崎。江崎さん達と違ってそっちの耐性はないらしい。
「ごめん、冗談だ」
「本当最悪。死ねば? 一之瀬」
高圧さを取り戻す西崎。
でも、タイミングが悪すぎると思うのは本当だ。
赤坂と対立してクラスをしっちゃかめっちゃかにしている現状、当事者の西崎に告白されてOKするだろうか?
しかし、それを怒りで燃えくすぶっている西崎に言った所でどうにもならない。
寧ろ、どんなバックドラフト現象が起きるか分からない。
「時期を考えようよ。さっきも言ったけど今は無理だって。俺も告白されて結局だめだった事あるけど、ああいうのって本当タイミングなんだよ」
俺は以前、校舎裏に告白紛いの呼び出しを喰らった経験がある。しかし、突然の腹痛にその場から逃げ出して、その告白は結局有耶無耶になってしまった。しかも、その呼び出しは俺の勝手な勘違いで告白ですらなかったのだ。
それを説明してもしょうがないので事実だけを西崎に伝えて、それっぽく説得する。
「なにそれ、あんたが告白ってマジ? てか、何で告白されて駄目なの? おかしくね」
西崎が別の部分に食いついてきやがった。メンタルが抉られる。
俺としたことが、西崎を励ます一心で余計な事を口走ってしまった。テンションに任せてうっかり考えずに発言してしまうのが俺の悪い癖だ。
「俺だって、おかしいと思うよ。でも、仕方なかったんだ」
黒歴史が押し寄せてくる。ああ、言わなきゃよかった!
「話を戻すぞ。とにかく、西崎は諌矢と仲良いんだから……落ち着いたら改めて気持ちを伝える。そういうので良くない?」
「でも……」
口ごもる西崎。
「だって西崎はさ。まだ、諌矢が好きなんだろ?」
「だから何? あんたに関係ないし」
単刀直入に聞く。しかし、西崎の答えはスッキリしない物だった。
「諌矢は気にしないと思うけどな。時期さえ間違えなければ二回目の告白だろうが、案外OKするかも」
「うざ……きも。マジで死ね」
超キョドりながら暴言を吐いてくる。赤坂と違って一貫性が無いキレ方だ。
さっきあんだけ言っといて今更恥ずかしがるのか、このギャルは。
「つーか。あんたのそういう、いきなり踏み込んでくるとこ。キモいんだけど」
割とストレートに俺を罵倒してくる。絡め手を用いて精神を疲弊させる赤坂とは違う意味できつい。一度に喰らう精神的ダメージ量がいちいちデカい。
何故、失恋してる女子から本人以上に心を傷め付けられなければならないのか。
「俺がキモイかどうかはどうでもいいんだよ」
尚もゴミを見るような目を向ける西崎に言い返す。
俺は、気持ちを落ち着けるべく大きく呼吸した後で再度問いかけた。
「西崎がどうしたいんのか聞いてるんだよ。諌矢をまだ好きなのか。どうなんだよ?」
何も言わない西崎。俺の視線から逃げるように目が泳ぐ。
「でも、だめだし。アタシの事なんか見向きもしないし……」
西崎は吐き捨てるように言った。でも、今のでこいつの気持ちは十分分かった。
「俺が協力する」
「は?」
「だから、俺が諌矢とお前を何とかしてやる」
西崎には少なくとも諌矢とも、赤坂とも仲直りしてもらわないと困る。あいつらと接点がある俺なら、その橋渡しになれるかもしれない。そう思った。
「あんたが? 何で?」
不思議そうな顔の西崎。今度は視線を離さない。俺の真意を確かめようとしている。
「だって、西崎って諌矢とテニス出るんだろ?」
「それは、そうだけど……」
テニスダブルスは西崎と諌矢だけのチームだ。他の誰かが助けてくれるなんて事は無い。
このまま二人の微妙な関係がずるずる行ったとして、試合にならないのは目に見えていた。
「どうなんだよ? 西崎」
最早、赤坂云々の問題から離れつつあるが、俺は西崎の返答を急かす。
「あたしは――」
西崎が答えようとしたその矢先、屋上に重苦しい音が鳴り響いた。
俺の腹の音ではない。
学ランのポケットから取り出したのはバイブレーション機能で着信を伝えるスマホだった。
暗い画面に受話器のマークと風晴諌矢の名前が灯っている。
「諌矢からだ」
「……!」
電話を寄越したのが諌矢である事を知った途端、西崎の顔が凍り付く。
俺は手振りで黙っていろと伝えながらアイコンに触れ、スマホを耳に当てた。
『夏生。もう帰ったのか? どこいるんだよ』
電話口の諌矢は何か急いでいる。後ろからは他の生徒の声も聞こえる。
「まだ学校要るけど。それに練習には出るつもり」
『悪いな。もう教室にいないから焦ったよ!』
諌矢はどこか嬉しそうな声音。
『何か今日は中央公園で練習することになったんだよね。来れるよな?』
「中央公園?」
学校のグラウンドではない場所。中央公園は冬青高校からチャリで十分ほどの距離にあるそこそこ大き目の公園だった。
『バスケのコートもあるからさ。野球とバスケ出る奴らは一度に練習できるじゃん? だから、行こうっってなったんだ。夏生は無理そう?』
諌矢は俺があまり関わらないクラスメートに苦手意識を持っているのを知っている。それを知って敢えて自由意志に委ねてくれているのだ。
「行くよ。何時から?」
『もう行ってる奴もいる。とりあえず見えやすいとこに集まってるからすぐ分かるハズ』
「分かった。すぐ行く」
そこで電話を切る。
隣の西崎を見ると、彼女も自身のスマホを操作していた。
「愛理達からも連絡来てた。中央公園っしょ?」
「西崎も行くの?」
画面をちらりと見せながら、西崎は頷く。
「じゃあ、自転車取ってくるわ。とりあえず、諌矢には探り入れてみる」
「一之瀬」
一足先に戻ろうとすると、背中越しに西崎が声を掛けてきた。
「あんたと一緒に行くのは嫌。ていうか、あたしのさっき言った話は言わないで」
酷い物言いだけど、俺は分かったよと答える。
西崎と再び出くわさないよう、急いで駐輪場を目指した。