2-9 水面下のいざこざ
翌日の朝。俺は授業前の人も少ない廊下で、諌矢に捕まった。
「なあ、夏生。助けてくれよ」
「どうしたの、いきなり」
横目で見た先では、丁度西崎グループの女子が教室に入っていく所だった。
「あいつらと赤坂さんの関係性が怖すぎるんだよ」
どうやら、西崎絡みの話らしい。
「あいつら、隙あらば俺に赤坂さんの愚痴を俺に言ってくるんだぜ? 胃に穴が開きそうだよ」
そう言って、諌矢は自分の腹をスリスリして胃痛アピールをする。いつも自分の腹に悩まされている俺としては、煽られている気分になるので同情は出来ない。
「諌矢の言う事なら西崎だって従うだろ。イケメンなんだし、お前が何とかしろ」
「ちょ、待て。俺がイケメンであるのとどう関係あるんだよっ」
突き放すと諌矢は冗談混じりにツッコミを入れてくる。自分がイケメンである事を否定はしないので、余計に困らせてやりたくなる。
「西崎は赤坂の陰口を言いたいだけなんだよ。練習に出ないとかも口実じゃないの?」
結局、西崎は大義名分を掲げて赤坂叩きをしたいだけなのだ。
「そうなんだけどさあ……あー困ったな。困った困った」
わざとらしく困ったアピールする諌矢。このままシカトするのが申し訳なくなる。
「まあ、赤坂も言われるような事はしてるとは思うけど……面倒くさいな」
諌矢の心情に配慮しつつ、野郎二人で廊下の窓を眺める。上天をトンビが一羽飛んでいく。
今日は風が強いから、いつもよりも増して悠々と空を周回している。
勢いよく、諌矢が俺の方を向いた。
「なあ、夏生。お前赤坂さんと仲良いから何とか言ってくれよ」
尚も食い下がる所を見ると、割と本気で悩んでいるらしい。
「練習に出るようになれば、赤坂へのヘイトも減るとは思うけど……でも、あいつが人の言う事聞くと思う?」
「いんや」
諌矢は項垂れながら首を振る。
こいつも赤坂に相当やり込められている。赤坂が人の言う事を簡単に聞かないのは容易に想像できる筈だ。
「それなら分かるだろ? 赤坂のあの性格だ。俺が頼んで『はいそうですか』って聞いてくれるとは思えない」
俺はそのまま教室に入ろうとしたのだが、諌矢に引き留められた。
「頼むよ夏生。清華にも言われてるんだ。何とかしてくれって」
「清華?」
こいつはまた攻略ヒロインを増やしたのだろうか。聞き慣れない名前に俺は首を傾げる。
それに気づいた諌矢は小さく苦笑いを浮かべ、
「桜川さんだよ。委員長の」
そう言って諌矢は教室内のある一点を顎で示す。
そこにいたのは西崎達とはまた別の女子のグループ。活発そうなタイプの女子から大人しい優等生まで、実に進学校らしいメンツが揃っている。
「ああ。いいんちょか」
下の名前で呼ぶから一瞬誰かと思ったじゃないか。可愛い女子は他クラスまで把握してるっていうけれど、それにしても諌矢は交友関係が広すぎる。
「赤坂さんに練習出られないか聞いたらしいんだけど、断られたって」
見かねた委員長が頼んでも、バスが間に合わないとかいう理由で練習を断っているらしい。
それにかこつけて西崎と取り巻きの黒髪ショートカットが陰口を言いふらす。悪循環だ。
「赤坂さんも西崎もあの性格だろ? おとなしい清華の性格だとまとめられないんだよ。つか、今クラス内が結構やばいの知ってるか?」
「あんまり」
「SNSでさ。西崎と赤坂の対立に便乗して陰口言い合ってんだよ」
諌矢がスマホをそっと起動して俺に向ける。そこにはグループトークの画面が並んでいた。
内容自体は愚痴みたいなやり取りだけど、結構きつい口調で繰り広げられている。
「何これ、見てるだけで胃がキリキリしてくる……女子の人間関係怖すぎるよ」
俺はクラス内で浮き気味なのだ。グループトークなんて『何それ美味いの?』状態だ。
そんな第三者の俺でも、結構精神的にキツい内容の文面が画面の中で交わされていた。
「誰々が悪口言ってたとか、赤坂さんの肩持ってたとか、そんな密告が出る度に新しいトークルームが立ち上がってんの」
もう一度開いたメニューにはいくつものトークルームが並んでいた。
どうやら、悪口を言った相手、西崎に都合の悪い事を言った女子を互いに抜かした部屋が乱立しているらしい。俺はSNSアプリなんてしないからシステムは詳しくは分からない。
まこと、女子の人間関係は複雑怪奇なり。
「俺みたいな奴ってこういう時楽なんだな。トーク招待されなくて良かった……」
そうこうしている内に登校してきたクラスメート達がどんどん教室に入っていく。
その中には野球に出場する顔ぶれもあった。
一見、練習は順調に進んでいる。けれど、投手を務める赤坂と動きを合わせられないのは相当にまずいのは俺でも分かる。
本番では一つミスが起きると二つ三つと重なる。そんな、フォローできない環境が続くとチーム自体がギスギスしてくる。
俺は意を決して諌矢に向き直った。
「……分かったよ。赤坂に何とか言ってみる」
「ありがと。恩に着る夏生! よし、今度カフェオレ奢るわ」
それを聞いて晴れやかな顔になる諌矢。冗談混じりに肩まで組んでくる。
「乳飲料だと腹壊すから駄目だ。ハンバーガーで頼む」
「はは、何だそれ。まあ、いいや。とにかく何だって奢ってやるよ!」
諌矢は快諾してくれる。それほど困っていたって事なんだろう。
「まあ、夏生が聞いてくれて正直助かったよ」
「赤坂は基本、クラスの皆には仮面被ってるからな」
その辺の事情も把握している俺が直談判すれば、まだ望みはあるかもしれない。
しかし、問題は赤坂だけではないのだ。
「でも、西崎はどうすんの」
「まあ、その辺は俺が上手く言っとくよ」
即答する諌矢。
俺が言わんとしている事を先読みしてくれると洞察力には感服する。
赤坂に西崎。唯我独尊を絵に描いたような女子二人の対立はクラスの人間関係を大きく壊しかねない。諌矢もそれは十分懸念しているようだった。
「逆上した西崎がターゲットを変える可能性もあるからな。あいつは女子最強だし」
ぞっとしない顔で諌矢が言う。
でも、一応は安心か。空気が読めて皆をまとめられる諌矢ならば、西崎も上手く制御してくれるだろう。
「じゃあ、俺は赤坂の説得に集中するよ」
「ああ、頼むぜ」
そう言いながら教室に一足先に入ろうとする諌矢の背中を眺めた。
一件めんどくさくて複雑なこの問題。でも、その解決方法は意外にシンプルな物だと俺は考えていた。
「西崎がああなってるのは、大体諌矢のせいなんだけどな」
赤坂が練習に参加しないのが気に入らない。そういう理由もあるんだろうけど、西崎があんな風にしている根本的な動機は他にあると思ったのだ。
大方、諌矢を盗られたと勝手に思い込んで機嫌を悪くしているんだろう。
休日に諌矢と遊んでいたのを不満げに愚痴っていた事からも、それは分かる。
「へ?」
しかし、俺の声が小さかったのか諌矢は気づいてくれない。
心底不思議そうな顔で振り返る。
「いや、何でもない」
そう言うと、諌矢は特段気にした様子もなく教室へと入っていった。
このイケメンは自分自身が関わる事案には鈍いらしい。どこのラブコメ主人公だよ。
「その前に、まずは赤坂か……」
自分の席に戻りながら、これからどうするか。俺は早くも悩み始めていた。