2-8 くすぶり始めた火種
数日後の昼休み。パンを買って教室に戻ると、俺の席の周りでは西崎達が昼食を摂っていた。
諌矢や須山が同席しているならともかく、普段の西崎グループと俺の間に接点はない。特に挨拶も交わさず席に座る。
しばらくの間、西崎グループの女子四人は内輪で大いに盛り上がっていた。
至近距離の甲高い女子の騒々しさに耐えつつ、俺は黙々とパンを頬張り続ける。
「ねえ」
不意に、諌矢の席に座っていた西崎に話しかけられる。
不機嫌そうに金髪を指に絡ませながら、半身だけこちらに向ける西崎。
「ねえ。聞いてんの?」
「ねえって名前じゃないんだけど」
「は? 何その言い方ムカつく。別に喧嘩売ってる訳じゃないし」
西崎はそう言うけれど、これが喧嘩の押し売りじゃないなら何なんだろう。
「野球の練習。どうなの?」
「どうって?」
苛立ちアピール全開の投げやりな聞き方だ。そもそも、諌矢も竹浪さんも出場するのに何でわざわざ俺に聞くんだろう。
「赤坂さん。出るんでしょ?」
――やっぱりそれか。
犬猿の仲の俺に話しかけて来るので珍しいなと思ったが、単に赤坂の動向が気になっているだけのようだ。
「ちょ、シカト?」
「聞いてるよ。それがどうしたの?」
「赤坂さん。一切練習出てないってマジ? ありえなくない⁉」
本格的に対話する姿勢を見せると、西崎は堰を切ったように不満を漏らし始めた。標準語のイントネーションだと同じ聞き方でも三割増しで迫力を感じる。
大方、竹浪さんか一緒に練習を見に来ているグループの女子から聞いたんだろう。直接関係ない癖に、クラスでやる競技というのを口実にちょっかいを出したいらしい。
「赤坂は野球やってたって言ってたし、練習あんまりいらないんじゃないの?」
「はあ?」
「初日の練習でも大丈夫そうだったし。ま、心配しなくてもいいんじゃないの?」
実際赤坂の運動神経は大したものだ。中学時代には部活で東北大会まで行ったとか聞いたし、元々のセンスもあるんだろう。だから、大丈夫だろうと念を押しておく。
「そういう意味じゃないんですけど」
今度こそ言い負かそうと語気を荒げた西崎は、自分の弁当を食うのも忘れて俺に食って掛かる。
「ていうか。別にあたし、赤坂さんに毎日出ろって言ってる訳じゃないし」
西崎は引き下がらない。竹浪さん達グループ女子の戦々恐々とした顔。
それだけなら良かったのだけど、周囲で食っていた何人かも注目し始めた。
今この場に、赤坂本人がいない事だけが救いか。
「なあ、西崎」
「何?」
一瞬だけ窓に視線を向けると、反射的に西崎もそれを追ってきた。
背もたれに肘をもたれる西崎。ハチミツ色の前髪が揺れ、はらりと片目にかかる。
「今日は諌矢と飯を食いに行かなくていいの?」
「はぁ?」
それまで、俺に対してあからさまに敵意を向けていた西崎の目が一瞬揺れる。
この場に諌矢はいない。だから西崎は俺に絡んでくるんだろうなと思いつつ、続ける。
「西崎っていつも諌矢と食ってるじゃないか。俺は最近は諌矢と飯食ってないし。今日みたいな時こそ、諌矢と二人でランチを楽しむチャンスなんじゃないの?」
「は!? 別にあたし諌矢と一緒にご飯食べれなくてイライラしてる訳じゃないんだけど!」
そこまでは聞いていないんだけどな。しかし、西崎は顔を真っ赤にして立ち上がり、気づけばクラス内の喧騒もぱたりと止んでいた。
「……」
じろりと見渡すと、様子を窺っているおとなしそうな男子生徒と目が合う。そして逸らされた。
皆聞き耳立てすぎて怖いよ。
「本当むかつく。もういいし!」
西崎はそう言って座り込むと、再び竹浪さん達の会話に戻っていく。
「何なの。本当むかつく!」
そう言ってわああんと声を上げながら、無理矢理グループメンバーの会話に戻っていく。
ちらと視線を向けた先、竹浪さんは一瞬だけ俺を見ると困ったような顔をして微笑む。
俺に呆れてるか、何とか有耶無耶に終わったこの状況にほっとしてるのか――多分両方か。
段々、西崎のいなし方が分かってきたような気がする。
だけど、このギャルはクラスの支配者層なのだ。無闇に反旗を翻すと俺が孤立する可能性もそれなりに高い。
これ以上は止めとこう。俺は少しだけ後悔しながら、西崎にビビりながら、ひっそりと昼休みが終わるのを待った。
放課後のチャイムが鳴り終わると同時に、野球出場者に召集がかかる。
今回はこの前出られなかったメンバーも来るとの事で、本格的に守備の練習をしてみようという話になったのだ。
教室後ろに集まる野球メンバー。諌矢や白鳥は勿論、その中には練習で見なかった顔や初日以外ずっと参加していなかった赤坂まで揃っていた。
「この前、バスケの練習した時に気づいたんだけど、中央公園なら野球も出来ると思うんだ」
提案したのは女子の野球出場者をまとめている女子生徒だった。確か、委員長のグループに属していた気がする。
「その内、中央公園で練習しないかって話になったんだよね。バスケに出る人達と一緒にさ」
「それいい! それにあそこの公園ってテニスコートもあるよね⁉ うち、テニスにも出るから助かるかもっ」
竹浪さんもその女子と意見を合わせている。違う派閥だけど、二人とも活発な性格で人当たりも良いのでその辺上手くやっていけているんだろう。
「確かに、複数種目に出る人なら、場所が同じなら手間も省けるね」
白鳥達もそれには同意しているらしい。話は決まりつつあった。
「でもさ、野球のグローブとかボールはどうすんの?」
しかし、それに異を唱えたのは斎藤だ。
「学校の外に出たら、備品は持ち出せなくないか?
確かにな。俺は無言で斎藤の言葉に頷いた。
グローブ、バットにミットにボール。野球はバスケやサッカーとは違って様々な道具が必要で、どれか一つでも足りないと練習にならない。
「それなら、僕が家にあるグローブ持って来るよ。他にも持ってる人は貸してくれないかな?」
白鳥は自分が中学時代に野球部だった事を改めて皆に言った上で、いくつかボールやグローブの余りもある事を教えてくれた。
「結構皆やる気なんだな」
「やる気無いのは……俺と、お前くらいだな」
諌矢が俺に冗談めかしたような事を言って笑う。
「あのさ……私は帰っていいかな?」
集まりも終わり数人が残った所で、赤坂が口を開いた。
「私家遠いからさ。中央公園の方まで行くとバス少なくなっちゃうんだよね」
「ああ……確かに」
すっかり忘れていたが、赤坂は市内でも相当に郊外の地区から通っているんだった。
彼女の使っているバスの路線は元々本数が少ないらしい。乗り遅れたら徒歩数時間かけて帰宅なんて事になりかねない。
「じゃあ、赤坂さんは帰った方がいいかもね」
その辺の事情も伝えると、白鳥は苦笑しながら同意してくれた。
「ごめんね。一応、練習は自分でしとくから。走り込み、筋トレだけじゃなくて、投げ込みも壁になら出来るし」
気丈にも赤坂はそんな事を言いながら帰り支度を始める。まめな彼女らしい。どんな些細な行事にもストイックに取りくむ姿勢が見て取れる。
「……」
しかし、俺は見逃さない。
まだ教室に残って遠くから聞いていた西崎一派の女子がその表情を険しくさせているのを。
いつも他人の視線とか感情ばかり気にして、少しの事で胃痛に悩まされるのが俺なのだから、感情の機微にだって反応するのだ。
着々と西崎達のヘイトは溜まりつつある。俺は不安を覚えながら教室を後にした。