前へ次へ
5/129

3. 数少ない理解者

「よう、一之瀬。さっきは慌ててどうした?」 

 教室の自分の席に戻ってすぐ、声を掛けられた。

 振り返ると、180に届こうかという長身痩躯の男子生徒が立っている。

 日に当たると小麦の穂みたいに透ける薄茶の髪。更に、整った鼻梁と優しそうな垂れ気味の奥二重。

 名前は風晴(かぜはれ)諌矢(いさや)。悔しいけれど、男の俺から見てもイケメンだ。


「今もがっかり肩を落としてさ。ただでさえ友達いないのに、そういう陰気臭い顔は話しかけづらくなるから止めたほういいよ? あれ、じゃあ何で俺は話しかけてんのかな。あはは」

 一人で調子良くほざきながら、諌矢はパック飲料から飛び出たストローを咥える。

 パッケージはいちごオレ。乳飲料で腹が緩くなる俺への当てつけかな?


「保健室に行ってたんだよ。分かるだろ?」

 ぶっきらぼうに答えたせいか、付近の席の女子達が怖がる。


「へー。じゃあ、いつものアレか」

 諌矢は後ろの席の江崎さん達にフォローの笑みを向けると、通販番組の外国人並みにHAHAHAと声を張る。

 胡散臭さ満点の笑い声だけど、爽やかさも満点でイラっとする。

 ちなみに、諌矢はクラスで唯一、俺の腹の悩みも知っている存在でもある。彼の巧みな話術によりうっかり漏らしてしまったのだが、一応それ以上の拡散は防げている。

 しかし、こいつは軟派な見ため通り、恐ろしく口が軽い。

『トイレの話』をうっかり漏らさないか、俺は常に細心の注意を払っていた。


「なに、さっきの時間も保健室でトイ――」

 ほらな! 思った傍から口走りかけやがる。

 油断も隙もあったもんじゃない。


「トイプードルがどうかしたか!?」

 諌矢が言いかけた『トイレ』に成り代わる言葉を咄嗟に浮かべ、そのまま脛を蹴りつける。


「痛ッてええええ! 何すんだよ、一之瀬!」

「トイプードル可愛いよな。でもな諌矢。俺は猫派なんだ。お前の会話には合わせられない」

 尚も蹴る素振りを見せつつ答えた。

 無理矢理過ぎる展開だが、とにかく話を逸らせという意味だけは伝わったらしい。諌矢は首を縦に振りまくっていた。

 こいつはリア充だから恐ろしく空気が読める。物分かりが良くて本当に助かる。


「分かったよ。もう言わねえって。マジで痛かったぞ、あーくそ」

 諌矢は片膝を上げ、今も患部を擦っている。

 俺がトイレ恐怖症だという事は、絶対に他の連中に知られたくなかった。これはもう、墓にまでもっていかなければいけない秘密だ。

 だから、こうやって諌矢が言いかける度に『分からせ』ているのだが、俺の行動が、周りには変な意味で勘違いされているらしい。


「ここじゃ言えないような、あの二人の秘密って何……?」

「やだ、久美子ちゃん。男子生徒が二人で共有する秘密なんて決まってるじゃない」

 ひそひそ声で後ろの江崎さん達が何か良からぬ事を噂している。


「しっかし、何でこうも頑ななのかね……そんなに嫌なのか?」

「当たり前だ。何やっても許されるリア充の諌矢とは違うんだよ」

 諌矢程のリア充ポジションの陽キャラなら、学校のウン〇なんて苦も無いのだろう。

 そう思って『どうやって安全に学校でウン〇をしているのか』聞いた事もあった。

 そうしたら、『そもそもウン〇したくならねえし』とあしらわれた。ふざけろよ。

 諌矢レベルのリア充は、家でしか催さないらしい。

 腹も壊さないし、胃腸薬や下痢止めとも無縁とのこと。一日一回、家にいる時間帯にスッキリなんて羨ましい特異体質だ。


「あーあ。まだ痛え。そんなに必死になる事かよ……」 

 予鈴が鳴り、席に戻っていく諌矢。

 長身の背中を睨みつけながら、俺は授業の準備に取り掛かるのだった。






前へ次へ目次