29. 校外、開放感。
長ったらしい教師陣の説明が終わり、一年生全員が、炊事場へと移動を開始する。
「場所はどこがいいかな?」
「美由。工藤に炭取りに行かせた?」
諌矢や竹浪さんが西崎の元に集まってきて、俺もその流れで彼らと共に歩く。
不意に、案内板が目についた。丸太風の看板に描かれた地図には、遊歩道の路線から各キャンプ場内の遊具やトイレ、炊事場などが記されている。
「一応、場所だけでも覚えとくか」
俺はその中に記されたトイレの場所を脳内で必死にマッピングする。
学年全員が一緒くたになって行動するとはいえ、このキャンプ場は広大な敷地を持つ。森林浴が出来る雑木林は遊歩道になっていて、その先の川原は釣りのスポットになっているらしい。
用を足すなら、そういった生徒の寄り付かないような外れにあるトイレが望ましい。
「ちょ、一之瀬何してんの? 早くしてよー!」
西崎は鍋を抱えながら大声を飛ばしてくる。相変わらずの平常運転だ。
学校外だから優しくなるとか一瞬思ったけど、映画版のジャイア〇的な展開は無さそうだな。
炊事場に行くと、既にいくつかのクラスが準備を始めていた。
貸し出されたブロックをくみ上げて自前の炉を作ったりしている。火を起こせば、後はその上に鉄板を敷いて肉やら野菜を焼くだけという訳だ。
俺達の班は鍋を使ったカレーなので、炊事場の備え付けの炉を使う。
屋根付きの炊事場には洗い場も併設されていて、既に下ごしらえに入っている班もあった。
「野菜は向こうで瑛璃奈に切ってもらってるからさー。須山と工藤は米炊いといてよ」
「おう、任せとけ」
飯ごうを持ちながら須山と工藤が準備に入る。
その間も的確に指示を飛ばす竹浪さん。洗い場の外では女子だけの班に頼まれた諌矢が火起こしを始めていた。
皆がそれぞれの役割を果たそうとしている。これぞ、炊事遠足の醍醐味よ。
しかし、肝心の俺は突っ立ったままだ。出来上がっていくカレーを見るだけの簡単なお仕事。
「一之瀬」
「完全に蚊帳の外だなあ……」
周囲はどこも喧騒と笑い声。俺は一人、挙動不審げに立ち尽くすだけだ。
皆やる気満々で、俺の出番は無いっぽい。
「一之瀬」
しかし……果たして、本当にこれで良いのだろうか。
「ちょ、一之瀬! 話聞いてる⁉」
「はいいぃぃ⁉」
青天の霹靂。青空の下のキャンプ場に雷が落ちるような、そんな怒号が耳元で轟いた。
振り返った先には西崎瑛璃奈の不機嫌そうな顔。手には銀のボールとレタスが二玉。
「サラダ作ってきてくんない? って言ってんだけど。あと、そこに包丁置いといたから。水で洗って切るだけならアンタもできるっしょ?」
そんなに難しい仕事じゃないと言いたげな顔で、西崎は自分の持ち場へと戻っていく。
「わ、分かった!」
俺は西崎が去った誰もいない場所に返事をしていた。衛星中継並みの遅さだ。
「ああ怖かった……」
仕方ない。やるか。
俺は一人、洗い場のまな板の上でレタスを剥き始める。剥いた葉は水の入ったボールに浸けてしならせないようにしつつ、最後に食べやすいように小さく切る。
そんな事を暫く続けていたら、視線を感じたので顔を上げる。
「ふーん。ちゃんと仕事してるんだ」
向かい側にいたのはエプロン姿の赤坂環季だった。その横には江崎さんもいて二人は肉やら野菜をひたすらに串に刺す作業をしていた。
「BBQの仕込みか?」
「そういう一之瀬は見た所、雑用みたいね」
串を持ち、勝ち誇った顔の赤坂。
少し離れた向こう側では諌矢達が炒めていた野菜と肉を鍋に投入。女子の間では歓声が上がり、何やら楽しそうに騒いでいる。
「赤坂の班は火を起こせたの? 慣れない奴にやらせると上手く燃えないみたいだけど」
かまどを一から組み上げた隣の班は散々で、諌矢が助っ人に入った途端、あっという間に火が燃え盛っていた。
炭の組み方にもコツがあるらしい。こういうイベントではアウトドア慣れした存在が不可欠だ。一方で、赤坂の班は全員が女子。絶対苦戦すると思う。
「うちらは大丈夫だったよ」
横でタマネギを慎重に串を通しながら、江崎さんが話しかけてくる。
「環季ちゃん、火起こすのすっごい上手いんだよ。あっという間だったよ、ほんと!」
「マジか。赤坂って勉強だけじゃなくて、そういうのもこなせるタイプなんだな」
「いや、事前にネットで火起こしのやり方は調べといたし。普通でしょ」
恥ずかしいのか何故か声を上げながら赤坂が肉をブッ刺す。グシッというすさまじい音をして肉片が三つも四つも連なっていく。肉だけの串の完成だ。
「だから、あの時も……ちゃんと調べてくれてたのか」
「は? あの時?」
首を傾げる赤坂。俺はこの場に江崎さんもいる事を思い出してそれ以上言うのを止める。
江崎さんもいる手前『あの時はビオ〇ェルミンプレゼントしてくれてありがとな』なんて言えない。
そこから派生するであろう『何でビ〇フェルミン?』っていう江崎さんからの追及を誤魔化せる自信も無い。
「仲いいんだね」
「「は?」」
そんな事情を知らない江崎さんは、面白そうな顔。ショートカットがはらりと揺れ、丸っこい瞳がまじまじと俺を覗き込む。
「ねえ。やっぱり二人って付き合ってるの?」
「ありえないから、それ」
赤坂が即答で否定する。その口調には、荒々しい本性の片鱗。
「うぇ……そうなんだ。でも、その割に息が超合ってるけど」
江崎さんはからかう調子で俺達を見渡す。だが、流石の江崎さんでも分からないだろう。
俺と赤坂の共有した秘密は決して甘酸っぱい青春的な物じゃない。
――寧ろ、知られてたまるか。
「そういえば、一之瀬君。うちらのBBQ食べていかない?」
一通りレタスを切り終えた所で、江崎さんはもう一度俺に話しかけてきた。
具材がいっぱいに入ったボールを持ちながら、小首を傾げる微笑は可愛らしい。
普段俺に話しかけもしないのに、諌矢とか赤坂がいる時は本当に人懐っこいな、この女子。
「作り過ぎて余ってんだよね。ついでだし、一本くらい食べていけば?」
そう言って、赤坂も出来上がった串の入った皿を一足先に運んでいく。
赤坂達の炉は、炊事場を出てすぐの場所にあって、既に数人の男子生徒が集まっていた。
「うんめー! 肉うめー!」
その中には、何故か須山も紛れ込んでいる。
大きなガタイを揺らし、両手に持った串を交互に食い散らかす様は、ファンタジーの酒場にいそうな雰囲気。
「丁度、焼けてるのあったみたい。はいこれ」
赤坂から受け取った串。
タマネギの甘味と香ばしい苦みがじんわりと広がり、やけどしそうな程に舌先が痺れた。
「あぢぃッ!!」
ていうか、割とマジで熱い。かなりオーバーに叫んじゃったよ。
「一之瀬君。面白いねー」
真横にいた江崎さんがもう一人の女子と共にプークスクスと笑う。BBQ慣れしていないのがバレバレだ。
普段目立たないから、こういう時に悪目立ちすると非常に恥ずかしい。
「何で冷ましてから食べないの……ほら、これ。水あるから」
呆れ顔の赤坂から紙コップを受け取り、冷水で口を冷ます。
そして、串の残りのピーマン、エリンギ、たまねぎ、ピーマンを順に食べた。
つかこれ、肉一切れも無いね。
「なあ、これ野菜多くない?」
いつも細かい事を気にする俺の気にし過ぎだろう。そう思ったのだが、一応聞く。
「そうね。誰も野菜だけの串なんて食べたがらないし、持て余してたの」
すると、赤坂が嬉しそうに口角を上げた。確信犯かよ!
「ていうか、赤坂。こういう場所で食うのは大丈夫なの?」
俺が小声で尋ねると、赤坂は少しだけ気を落としたような顔をする。
「まあ、ちょっとだけなら……テーブルに座って黙々と食べてるわけじゃないし」
控えめに俺を見て笑う赤坂は、素の表情って感じだ。そこに建前とか嘘は感じられない。
人が多すぎる環境なら自然に食べられるっていうのは何となくだけど、店とかの公共トイレなら気にせず個室入れるって心境にも似ている気がする。
学校は閉鎖的だから、どうにもトイレに入ると知り合いしかいないのが嫌なんだよな。
一人、俺はそんな事を考えて勝手に納得していた。