23. ミートボール
翌日、西崎からは何のお咎めも無かった。
ついでに言えば、休み時間に俺の席を取る事も無くなっていた。驚くべき環境の変化だ。
登校したらクラスの爪弾き者にされるのを覚悟していたので正直助かった。
もしかしたら、諌矢への感情を俺がバラすとでも思って恐れているのだろうか。
それならそれで好都合だ。俺もこれから先、西崎とは互いに不干渉でいけばいい。それだけ。
まるで、どちらかが一線を越えただけで核戦争になる冷戦の時みたいな状況だ。嫌だなあ。
「夏生。お前、どっか具合でも悪い?」
昼休みが始まると諌矢に声を掛けられた。前の席なのに一度も話をしないのは流石に不自然だったのかもしれない。
でも、西崎との一件は知られたくない。諌矢をも巻き込んでしまうし、何よりもクラスの女王を下手に刺激したらどうなるか分かったもんじゃない。
「いや、特に何も無いけど……学食行く?」
だから、俺は何でも無いと言って腰を上げる。諌矢は終始、怪訝そうな顔をしていた。
学食は相変わらずの盛況ぶり。
赤坂を加えた俺達は、それでも窓際の席を取ることが出来た。
「赤坂。今みたいに飯をスムーズに喰えなくなったのって、いつからか分かるか?」
「どゆこと?」
俺の隣の赤坂はミートボールに箸を付けようとしている。
「こうなったきっかけとかさ。原因的な出来事は無かったのかなって思ってさ」
学校で特に症状が酷くなるって事は、学校で何か嫌な事があったからだと思う。
俺が小学校時代、個室トイレに入るのがトラウマになったみたいに。
「うーん」
しかし、赤坂は箸を置いたまま、何も言う気配が無い。
「難しいですなあ!」
諌矢は神妙な面持ちでカレーを掬って一口頬張る。
それにしても、諌矢はカレー好きだ。確か、一度牛丼を食っていた日もあったが、それ以外はもうずっとカレー。
一方の俺は本日の昼食をものの数口で終了させ、スマホを取り出す。もう少し赤坂の言う『逆ランチメイト症候群』について調べてみようと思ったのだ。
「食べる事を強要されて発症するきっかけもあるのか……」
「なんだって?」
聞き返す諌矢に、そのまま画面のブログ記事を読み上げた。
「で、結局治し方は? どうすんの?」
記事の最後を知りたがっている赤坂は俺のスマホを覗き込もうとする。猫っぽい動き。
「前置き長いから全文スクロールしたけど、治し方は分かりませんだって。いかがでしたか?」
赤坂が見やすいように画面を見せてやる。
長ったらしい記事の最後には俺が言ったのと同じ、いかがでしたかで締められている。赤坂はそれを見て頭を振る。
「こういう記事を残さず消し去りたくなったわ。電脳世界から1バイトの塵も残らずね」
まあ、いかがでしたかブログって散々引っ張っといて解決策が微妙だったり、最悪投げっぱなしで終わる事もあるからね。気持ちはわからんでもない。
「でも、食べるのを強制されて嫌になるってのは、何となく分かるなあ」
諌矢が俺を見て言った。
「中学のバスケ部の合宿であったよ。ご飯山盛りにされてさ、食いきるまで部屋戻れねえの。そういう習わしなんだって。吐きそうだった」
そう言って諌矢は大袈裟に首を振って見せる。
「そういうのあるらしいからなあ……」
体を作る為だとか、今の三年生も経験した伝統だからとか、そんな名目で食べきれない量のご飯を食べさせられる。
俺は小学校までしか部活に所属しなかったから、詳しい事は分からない。
でも、中学で運動部の奴が似た話はしていたな。
「おーす」
そこに丁度良く須山達が現れた。その中には西崎達のグループも漏れなく顔を揃えている。
「へえ。また、このメンツで食ってるんだ」
そう言って、西崎は周囲にはバレない程度で俺を睨みつける。やっぱ怒ってるっぽい。
昨日の今日だ。気まずくなって俺の所には来ないと期待していたのに、最悪な展開だ。
「……いい?」
諌矢に一声かけて西崎が腰を下ろし、俺の隣にも須山達が座る。
あっという間にガラ空きだった長テーブルが一年三組の生徒で埋め尽くされる。
「何の話してんの?」
トレーを置きながら、バスケ部男子が不思議そうな顔を向けてくる。
「いかがでしたかブログの話だよ」
赤坂の悩み事には触れずに、諌矢が上手い具合に話を逸らす。
まあ、いかがでしたかブログの話してたんだから嘘は言ってない。
そうやって、いつものように昼食会が始まった。リア充連中は相変わらずのワイワイガヤガヤなアットホームな雰囲気。
一方の俺と赤坂はお通夜モード。こんなんじゃこれから先、大人になってもアットホームな職場に馴染める気がしない。
「風晴って休みの日どっかいく系?」
「行かない。引きこもってる。俺、こう見えてゲーマーなんだよね」
「へえ」
西崎はそっけないけど可愛らしく小首を傾けて苦笑する。俺や他の男子には絶対に見せない恋する乙女の表情だ。
なまじ顔は良いから、見ているこっちまで頬が温かくなってきそうだ。
それにしても最悪だなあ、諌矢。今のは一緒にどっか遊びに行こうとかそういう前振りだというのは、流石の俺でも分かったぞ。
「赤坂さん……どうしたの?」
一方、隣の赤坂はトレーを前に固まっていた。俺の右手側と左手側で空気が違い過ぎる。
対面に座っていた西崎一派の女子が声を掛ける。
「赤坂ちゃんって、もしかしてダイエットしてる?」
周りを気にしつつ、竹浪さんも問いかける。不安を紛らわすかのような優しい声音。
「べ、別に。そういう訳じゃないけど……」
それでも赤坂は俯いたまま。その横顔の向こう側で、別の女子が小さくため息を漏らした。
西崎と眼を合わせ、空気悪いねとかそんな感じの意思疎通を計っているのだろう。
傍目で見ていて嫌な光景だ。テーブルの下、赤坂の右手はぎゅっと握り締められていた。
「大丈夫? 顔真っ青だよ?」
場を取り持つように、竹浪さんがおしぼりを渡そうとする。この冷え冷えの空気下でも絶やさない笑顔。他の数人の女子とは異なり、割と本気で心配してくれているらしい。
それでも、赤坂は何も言わない。いや、言えないのだろう。テーブルの下を見ると、握られた拳は震え続けていた。
思い返せば、もう一週間近くもこんな事が続いている。
赤坂が学食では食べたくないと一言告げればこんな苦行をわざわざ続ける事もない。
しかし、それでも赤坂は自分なりに問題を解決しようとしていて、決死の思いで行きたくも無い学生食堂に足を運んでいるのだ。
その努力と挑戦の結果がこれなのか?
俺はこれ以上、赤坂が無闇にさらし者みたいにされるのが耐えられない。
ミートボールは四つ。甘じょっぱい餡をかけられた盛り付け時の姿のまま、微動だにしない。
不意に、怒りが沸いた。
赤坂がこんなに辛い思いをしているのは、皿の上に鎮座するコイツらのせいなのだ。これが為に、赤坂の食事は苦痛の時間と化している。
ミートボール(こいつら)さえいなければ……
握り締められた彼女の拳を一瞥し――そして、俺は自分でも思いもしない行動に出ていた。
「なあ、赤坂。お前、それ食わないの?」
自分でも笑えちゃうくらいの棒読みだ。
でも、西崎の敵意を逸らしつつ、赤坂がここから自然に退席できる。そんな状況を作り出すのに必死になっていた。
「食わないのか? じゃあ、もらっていいよな?」
その為には大前提としてミートボールが、ここからいなくなる必要がある。
気づけば俺は、ミートボールを一つ、箸でつまんで口に放り込んでいた。
「は?」
気の抜けたような声を漏らす赤坂。
口の中では、すっかり冷めた肉の触感が広がった。
「ああ、美味しい。なんつーの、あまじょっぱいタレが最高だ」
須山の真似をしてテンション高めに演技するけど、心臓はバカみたいに高鳴っている。
「なあ、赤坂。もう一個もらっていいよな?」
勇気を振り絞ってもう一つ食べる。須山を始めとする他の連中全員が俺を見ていた。
一様に状況を把握しきれていない、そんな呆気に取られた顔で。
「ちょっと一之瀬っ!」
すかさず飛んできた明るい声。顔をあげると、喜色満面の竹浪さんの顔があった。
「もうっ。イチャイチャするなっての!」
思いもしないツッコミだ。そう言いながらも、竹浪さんは可笑しそうに笑っている。
ここまできて、ようやく、俺は気づいた。
皿の上からミートボールを無くすという一心で動いた。でも、やり方が問題だったのだ。
そうだ。これじゃあ、彼氏が彼女の昼飯を食っているようにしか見えないじゃないか!
「え、何。一之瀬と赤坂ってやっぱ付き合ってんの!?」
他の男子も竹浪さんに便乗して騒ぎ出す。
俺は事態を収拾すべく、諌矢に視線で助けを求めるのだが、にやけ顔のまま。
あの顔は……そうだ。この状況を面白がっている顔だ。くそ!
「ちょっと待ってくれ。俺はただ――」
ミートボールを食いきろうとしただけなんだ。そう言おうとする。
「ねえ、一之瀬。一人で何個食べるの? 」
しかし、赤坂はテーブルの下で俺の学ランの裾をぎゅっと握る。そして、決心したように小首を傾げて俺を見つめてきやがった。うわ、何これ超あざとい仕草。
「今食べようと思ってたのに。それ私のだし」
驚くべきことに、赤坂は箸でミートボールをブッ刺すと、そのまま口に運んで見せた。
ぎこちないけど豪快な動き。小さな口は精一杯開かれている。
「はむ……」
何度も、何度も、それこそ噛み締めるように赤坂がミートボールを食べる。
皿の上にはまだもう一個、最後のミートボールが残ったままだ。
「ちょ、一之瀬。駄目」
しかし、アシストすべく最後の一個を俺が食べようとしたところで、赤坂が制止する。
「私が食べるって言ってんの」
そうやって、最後の一つを口に運ぶ。
――いいぞ、その意気だ。
知らず、俺は心の内で赤坂にエールを送っていた。
一方で、酷い茶番なのも分かっている。
「あんたらさあ……」
案の定、西崎は苛立ちを隠しきれない顔。睨みつけながら、その口を開きかける。
「おい夏生! 前に言ってたよな? 赤坂さんとは何も無いって」
しかし、それよりも早く、割り込んできたのは諌矢だった。
「それなのに、何なんだこれは! 自分で噂を肯定して、馬鹿なのかお前は!」
西崎は何も言えないまま押し黙る。
整えられたシャープな眉が、ハの字に曲がって困惑を表していた。
「――なあ、西崎! そう思うだろ?」
諌矢は芝居がかった口調を崩さぬまま。オペラ歌手並みに両手を使ったジェスチャーで西崎に語り掛けた。
そんな明るいノリで話しかけられたら、さしもの西崎も空気を読んで愛想笑いするしかない。
「え、うん。まあ……」
「あはは。西崎もドン引きしてるってよ、なあ夏生!」
それを見て一層楽しそうに諌矢は笑う。ばしばしと俺の肩を叩きながら顔を寄せてくる。
それを見て初めて、俺に助け船を出してくれたのだと分かった。
「でさー、赤坂さんの方はどうなの?」
「いやいや、ありえないから。私達高校生だよ? それくらいで付き合ってるなんて中学生じゃないんだし、バカじゃない?」
一方、竹浪さんに追及された赤坂は軽快に俺を拒絶していた。それが場に一層笑いを呼ぶ。
ああ……俺を捨て駒にするのは一向に構わないさ。そう思いながら学食の天井を仰いだ。
「勝手に一之瀬が腹好かせてるだけだから。だってほら、昼食こんなだよ?」
赤坂が首を傾けた先には、本日の俺の昼食。沢庵の小皿とライス小盛。
そうだね、どう見てもひもじすぎるラインナップだね。
「どーせ、ゲームでも買って昼食代使っちゃったんじゃないの。はあー」
わざとらしいため息の赤坂。既に先ほどまでの陰気臭さは吹き飛んでいる。
赤坂は、俺をこの場を乗り越える為のデコイとして活用してくれたようだ。
でも、やっぱり言い方ひでえな。
「がああ! 一之瀬に先越された。赤坂ちゃんはこんな冴えない奴のどこが良いんだよ⁉」
でも、そんな駆け引きなど露も知らない須山が咆哮する。
「うっさい須山。ちょっと黙って」
竹浪さん達女子が容赦ない一言を放つ。場に大笑いが再び巻き起こる。
温かな雰囲気のランチタイムは、昼休みの終わり近くまで続いた。