19. ランチタイムは一人が良い。
購買でおにぎりを買った俺は、学食前のベンチで少し遅めの昼飯を摂っていた。
「一之瀬。ぼっち飯してんの?」
丁度、赤坂が通りかかり、俺に話しかけてくる。本当に恐ろしいエンカウント率だ。
夢の国のマスコット並みに、赤坂が校内に何人もいるんじゃないかと思えてくる。
「何か用?」
西崎とのやり取りに疲れきっていた俺。自然と出る声もテンションが低い。
しかし、俺とは対照的に、赤坂はさぞかし面白そうに口許を緩める。
「風晴君が言ってたの。あんたに話しかけると大体面白い反応するから、暇つぶしになるって」
「暇つぶしって……」
いくらなんでもひどすぎるよ。
俺の席で領有権を主張する西崎といい、今日は厄日かな?
「ていうか、トイレの個室に入るのを気にする癖に、ここでぼっち飯するのは何の抵抗も無いんだね。この渡り廊下ってクラスの皆も通るし、少しは人目気にした方良いよ?」
「違うから! 単に教室で食うタイミング失っただけだから!」
「本当に?」
意地悪く俺を見下ろす赤坂。
「余計な事突っ込んできやがって……」
大体、教室では西崎に席を占拠されていて食えないのだ。
自分の惨めっぷりを再認識していたら、俺はある事に気づいた。
「あれ? ところで赤坂、昼はまたパンなの?」
「えっ」
彼女が手にしていたパンの包みは、前と同じようにおひねりみたいに丁寧に結ばれていた。
「だってさ、前もここで会った時にパンのゴミを捨ててたじゃない?」
「そうだけど。だから何?」
そして、赤坂は雑な手つきでゴミをゴミ箱へねじり込む。
それはまるで、見られたくない物をさっさと片付けてしまいたいという行動にも見えた。
「赤坂。いつもパンばかりだと栄養偏るよ。もっと米を食べなよ」
「はあ? トイレに行きたくないから飯を抜く男に言われたくないんだけど」
うんざりしたように俺を見下ろす赤坂。人をおちょくるのは好きな癖して、その逆は嫌いらしい。
「いや、赤坂ってわざわざ教室外で食ってんのかなって、そう思ってさ」
「つーか、別にどこで食べようが関係なくない? 何で、そんなに私の行動が気になるの――」
それまで泰然と構えていた赤坂は、不意に何かに気づき両腕で胸を隠す。
そこそこ整ったプロポーションが引き締められ、こちらを睨みつける顔は何故かほんのり赤い。
「もしかして、一之瀬。あんた私の事好きなの……?」
割と本気で嫌そうに、低く押し殺したような声で俺を窺う。
「何でそうなるんだよっ! どんだけ自意識過剰だよ」
「だって、下らない事に対する執着がおかしいし」
俺の聞き方が気に入らなかったのか、珍しく赤坂が取り乱す。
「でもさ、普通持ってきた弁当やパンは教室で食べるのが当たり前じゃないか」
「うわぁ。何で、そんな無駄な所に気が回るの」
赤坂がドン引いた目を向けるけど、彼女が昼休みの教室に殆どいないのは事実なのだ。
外で鉢合わせする事はあったけど、校内ではどこにいるのか見当もつかない。
「私は誰もいないところで、一人で食べてるの。その方が落ち着くし……文句ある?」
赤坂は疲れたように肩を落とし、こちらを睨みつける。
「え、じゃあ何。買ってきたパンを学食に持ち込んで食ってるって事?」
「何でそうなるの……迷惑でしょ。ていうか、学食なんて入学して一度もいった事無いし……」
呆れたようにテンション低く言われてしまった。
しかし、学食で食ってる訳でもないなら、どこで食ってるのだろうか?
「まさか、便所飯?」
「はあ? 違うし。つーか、何であんたと話してるとこんなにペース持ってかれるの……私としたことが――」
言わなければ良かった。小さく漏らしながら、赤坂は俯く。
いつも強気で常に俺の上を行く彼女にしては珍しい表情だ。
「何だよ。何か……あるの?」
「むしろ逆よ、逆」
赤坂は観念したのだろうか。周囲を少しだけ気にした後で顔を寄せてくる。
「逆?」
思いもよらない一言だ。意味を理解しかねて思わず首を傾げた。
「はあ……やっぱ言わないとあんたは引きそうにないわね。めんどくさい」
赤坂は、俺をもう一度見ると大きく溜息を吐いた。あからさま過ぎる態度。
「一之瀬がすぐお腹壊すみたいに、私にも悩みの一つや二つくらいあるって事。分かった?」
赤坂は気前悪そうに早口で言い終えると、唇を真一文字に締める。
「ま、私の場合は一人で食べるのが辛いんじゃなくって、一人で食べられないのが辛いんだけどね」
「どういう事?」
俺が尋ねても赤坂は黙したまま。
「別に。ぼっち飯なのは平気だし」
そう言ったきり、再び押し黙ってしまう赤坂。
学食帰りの生徒達は何かあったのかと言いたげな視線を向けては、通り過ぎていく。
「座ろうよ。とりあえずは」
「……うん。そうする」
これだと俺が赤坂をいじめているように見られかねない。俺達は二人でベンチに座る。
「最初の頃は他の人達と中庭で弁当を食べたりもしてた。私、一之瀬と違って友達はそれなりにいるんだよ?」
「何で説明する度に俺をディスるんだよ。マジでやめろ」
ベンチに座った途端、仕切り直しとばかりに俺を口撃する構えを見せる赤坂。
本当容赦ない。
しかし、それも束の間。赤坂は握り締めた拳を太ももに置いてまた下を向いて押し黙る。
「私の場合はぼっち飯とは違う。そうね、例えるなら『逆ランチメイト症候群』だと思ってる」
「逆ランチメイト症候群……だって?」
いきなり飛び出してきた謎のワードに俺は思わず問い返した。
一人寂しく食べているのを他の人達に見られるのが辛い、恥ずかしい。
孤立しているのを他人に見られながら苦痛の中でランチタイムを過ごす。
それがぼっち飯――いわゆるランチメイト症候群とか言われているやつだ。
でも、その逆ってどういうことだ?
何も言えないでいたら、赤坂が小さく口を開いた。
「別に一人で食べるのは良い。寧ろ、私はそっちの方が気楽だし。でも、人と一緒に食べるのは例え教室でも嫌なんだ」
最後の言葉は消え入りそうな程に小さかった。かすれがかった赤坂の声音に、俺も喉元を締め付けられる思いに駆られる。
「皆がいるから嫌なの……?」
恐る恐る尋ねると、赤坂は俯いたまま首肯する。赤い髪が頬にかかってはらりと揺れる。
「人がいる場所だと気になって食べにくい。上手く物を飲み込めなくなったり、そんな感じ」
真実を打ち明ける赤坂の姿は、これまで見てきたどんな姿よりも弱々しい。
「特に教室とかは最悪。仲良い子に一緒に食べようって誘われても断りにくいし。そうやって一緒に食べてると、喉とかつっかえそうになるし。本当嫌」
「もしかして……だから、昼休みに抜け出して一人で食ってるのか?」
はっとしたように顔を上げる赤坂。俺をじっと凝視する。
「そうよ。悪い?」
顔を上げた赤坂は気丈に俺に詰め寄るけど、顔は真っ赤だった。
「いや、悪くないよ」
俺はスマートフォンを開く。そして、グーグル先生に『みんなで食べる 嫌』とか、『ぼっち飯 メリット』とか思い当たるキーワードの羅列を打ち込んで調べてみた。
俺以外にも『過敏性腸症候群』で悩んでいる人達がいるみたいに、赤坂にも同じような体質で苦しんでいる人が結構いるかもしれない。そう思ったのだ。
すると、ウィキペディアの対人恐怖症の記事に関連項目としてそういった症状も説明されていた。
確かに、人がいる環境で食事ができなくなる、飲み込もうとしても喉がつかえるなどの症状があるらしい。特に、学校や会社といった普段行動を共にする者が多くいる環境は、より症状を悪化させるとも書いていて、赤坂の今の状況と合致する。
「意外だな。赤坂って人の目とか全然気にしなさそうだけど」
樹上に獲物を運んでゆっくり食事を摂るヒョウとかヤマネコみたいに、赤坂には我が道を行くイメージがある。でも、好きで一人で食事を摂っている訳では無いのだと、今俺は思い知らされた。こんな彼女にも悩みがあったなんて。
「逆ランチメイト症候群かあ」
言い得て妙だと思う。思わず、笑みが漏れだす。
「一之瀬、本当うざい……」
赤坂が鼻にかかった声で憎まれ口を言うけれど、今この時は何故かそれが可愛らしく感じられてしまうのだから不思議だ。
「何か……こうなったきっかけとかは思い当たらないの?」
驚きより先に、俺の中では『何で彼女が?』という疑念が沸いた。
学校では猫を被っている赤坂だけど、生き方とか、考え方みたいなのは同い年の俺より遥かにしっかりしている。そんな彼女がこんな隠された悩みを持つ事自体が意外だった。
「知り合いが誰もいないとことか、ラーメン屋の一人カウンターなら割と平気。けど、教室とか中庭とか、知ってる人達が一杯いる場所での食事は……結構きつい」
言ったきり、赤坂は黙りこくってしまう。つーか、一人でラーメン食いに行くのかこの子。
「そうか。それなら誰もいないとこで、ぼっち飯するしか無いよな」
「笑っちゃうでしょ? あと便所飯だけはしてないから。流石に」
妙に念を押す所がおかしい。でも、今は笑える状況ではなかった。
「分かった、もう言わないって。赤坂に限ってそれは無いよ」
「くだらない悩みでしょ?」
割と真剣にそう言うと、赤坂は自嘲気味に笑って返す。けど、強がっているのはバレバレだ。
「くだらなくないだろ」
赤坂は食い入るようにこちらを見つめる。
「俺も似たようなもんだし。人それぞれに悩みがあるって事じゃないか。全然くだらなくない」
俺だって人から見れば、どうでもない事で悩んでいるのだ。それは十分承知している。
家族や諌矢に『トイレ行きたきゃ気にしないで行け』と言われても、勝手に恥ずかしくなってしまっていけないのだ。他人がどう考えているかは別として、自分が嫌なのだ。
赤坂だって同じだ。事情の知らない人からすれば、しらけられるような悩みかもしれない。
でも、同じように学校内の生活で悩んでいる俺だからこそ、彼女を助けたいとも思った。
「協力するよ。赤坂が学校で気にせず飯を食えるように」
「はあ?」
しかし、赤坂は呆れたような顔で俺を見ていた。
「一之瀬。自分の事を棚において人の心配とか……本気?」
長い睫毛が様子を窺うように何度も瞬く。
「そもそも、解決策とか浮かんだの?」
「いや……それはこれから考える」
だと思ったとぼやきつつ、赤坂は小さくため息を吐いた。
「まあ、分かってくれればいいの。もう人の昼食にとやかく言わないでね」
そう言って去ろうとする。彼女の背中を見ていたら、俺もここに来た理由を思い出した。
「あ、忘れてた」
「何? まだ何かあるの?」
急いで西崎からもらった百円玉を取り出し、自販機に灯ったカフェオレのボタンを小突く。
更に他のジュースも購入。ガシャンと音がしてパック飲料が次々と落ちてくる。それを見ていた赤坂は怪訝そうに首をかしげている。
「乳飲料、嫌いじゃなかったっけ?」
「西崎に頼まれたんだよ。ほら……あいつ、良く俺の席の周りにくるじゃん」
「正確には、一之瀬じゃなくて、風晴君とか取り巻きの人達に用事があるんでしょ?」
事実なんだけど、いちいち言葉に棘があるな。
「よく分かるね」
「ていうか、一之瀬ってしょっちゅう西崎さんに席取られてるじゃない? 所在なさげに窓見てるし。分かりやすすぎだもん。もしかして、パシリにされてる?」
どうやら、相当に人間観察されているようだ。アイデンティティを解析されてる感まである。
こいつがAI開発の権威なら、俺のアンドロイドが何人も世に放たれていそうだ。
「ていうか、赤坂。お前の方こそ、何で俺が乳飲料飲まないのを知ってんだよ」
「そ、それは……フツーに考えてそうじゃない!? だって、あんたお腹弱いし」
咄嗟に話題を逸らそうとすると、赤坂はカウンターでも喰らったように表情を一変させる。
「もういいわ。チャイム鳴るから戻る」
そう言って、赤坂は足早に去っていくのだった。
赤坂に遅れる事、数分。俺は予鈴前の教室に戻る。
既に須山達男子グループはどこかに行ってしまったようだ。ただ、俺の席は相変わらず西崎が占領していた。諌矢も他の女子と楽しげに雑談している。
もういいよ、分かったから。誰かここにスペースコロニーでも落としてくれ。
「西崎。ほら、これ」
俺が飲み物を買いに行った事すら忘れていそうな西崎の眼前に、カフェオレを突き出した。
「あー。サンキュ」
すると、意外や意外。西崎はすんなり受け取る。
俺は即座に窓辺へと退避。
それはまるで、道具を演者に渡すと同時に舞台袖に消え去る黒子みたいな動きだった。
「遅かったじゃん。どっか行ってたの?」
と、竹浪さんが今度は俺に興味を持ったのか話しかけてくる。
西崎に比べると飴とムチみたいな対応の違いだ。距離感も近くて危うく勘違いしそうになる。
「ああ、ちょっとね。まあ、色々――おい、諌矢」
好奇心の塊みたいな彼女の視線から逃げ、俺は諌矢にも買ってきたバナナオレを手渡した。
「これやるよ。この前奢ってくれたお礼」
すると、黄色いパックをぐっと握り締め、諌矢は感極まった顔になる。
「マジか! 覚えてくれたんだな、嬉しいよ!」
「そんな喜ぶことかな?」
「だってさあ! いつも冷たいし。マジで嫌われてると思ってたんだぜ、俺」
諌矢ははしゃぎ気味に言うけれど、何故ここまで喜んでいるのかが、俺には分からない。
リア充特有のオーバーリアクションなんだろうか。
と、浴びせられる無数の視線。何と、西崎筆頭の女子四人がこちらを見ているではないか。
「なに? 何かした?」
「いや、別に……ねえ? 風晴と仲良いんだなあってさ」
「ね!」
竹浪さんともう一人が顔を合わせて笑う。
そのタイミングで、コーンと予鈴が重なった。
「次古文じゃん。だるー」
西崎が気だるげに立ち上がる。そこでようやく、俺は自分の席に座る事を許された。
「なんなんだよ、あいつ」
「まあまあ。西崎もカフェオレには感謝してる筈だから」
なだめようとする諌矢。その背中越しに、丁度教室に戻ってきた赤坂が見えた。
席に着くと同時に隣の女子に話しかけられ、それに気さくに答えている。
傍から見ていると、深刻な悩みがあるなんて思えない、人当たりの良い女子を演じている。
でも、さっき学食前で話した悩みってのは多分、本当の事なんだろうな。
「……何とかしてやんないとな」
呟く俺を、諌矢は暫くの間、不思議そうに見ていた。