18. クラスの女王蜂
その日の昼休み。席を外していた俺は、教室後ろ側から自分の机へと戻る。
「は?」
思わずそんな声が漏れた。
なんと、窓際の俺の座席に西崎瑛璃奈が腰かけているではないか。しかも、脚を組んで我が物顔。
西崎は周りの女子や諌矢と雑談に華を咲かせているが、俺はどうすればいいか分からず。途方に暮れて立ち尽くす。
「一之瀬だっけ。何?」
うっかり反抗的な視線を向けてしまったらしい。感づいた西崎が目を細めて睨みを利かす。
「いや」
そこ、俺の席なんだけど。そんな何気ない一言が喉奥で詰まって出てこない。
西崎は何も答えず、すぐに他の女子達に向き直って雑談を再開した。
「何なの、これ」
小声でぼやくが彼女達には全く聞こえていない。
この席にいる間、ずっとこんな事が続くのだろうか。俺は窓辺にもたれ、景色を眺める振りをして事態が動くのを待つ。
しかし、背後からの雑談が終わる気配は無く、西崎が席を発つ事も無かった。
窓の向こうに広がるグラウンド。その遥か先で開発中のバイパスをぼんやりと見る。
黄色い巨大な重機が運ばれ、その脇では作業員のおじさん達が何か話し合っている。
ああ、今日もいい天気だなあ。
そんな、しょうも無い事を心の中でぼやきつつ、休み時間が終わるのをひたすらに待つ。
「あ、須山じゃん」
ふと、一人の女子が嬉しそうに声を上げる。
視線を向けると須山をはじめとする男子連中が加わった所だった。あっという間にリア充が全員集合。ますますややこしい状況だ。
「今度の炊事遠足さ。自由時間に皆で何かしねえ⁉」
須山が女子を含めたグループ全員にそんな話を持ち掛ける。
炊事遠足は各自で材料を用意して昼飯を作るのがメインなのだけど、リア充連中にとってはその後の自由時間が本番らしい。
須山が満開の笑顔でこちらに視線を向けて来るのが何とも気まずい。
多分、須山の中では俺も会話の輪の中にはギリギリ入っているんだろう。諌矢繋がりと言った所かな。
ここで気軽に会話に入れば、それなりに打ち解けられるのかもしれない。しかし、俺は何も言えずに事の成り行きを見るだけだ。
「つかさー、須山。お前炊事する気ないべ?」
西崎に負けず劣らず、いかにも強そうなバスケ部男子が声を上げた。
冗談っぽいけど、相手を突き放すような言い方がキツ過ぎる。
俺なら何も言い返せず、微妙な空気を醸し出す自信がある。
赤坂は率先して会話に入れと言うけど、やはりこの面子は俺にはレベルが高すぎるよ。
「いや、せっかく広場もあるみたいだし!? 野球しようぜ。道具なら持って来るから」
しかし、須山は全く気にしていなかった。いつものハイテンションで豪快に笑い飛ばす。
「いや、バットとか普通に無理だから。ボールが他の人に当たったら怪我するじゃん」
そんな男子勢のやり取りを黙って聞いていた西崎がツッコミを入れる。
きつい口調だけど進学校に入るだけの学力とモラルは持ち合わせているらしく、尤もな事を言っている気がする。
「大丈夫、大丈夫! 子供用の柔らかいボールあんだよね。それなら当たっても痛くならないし。あとはおもちゃのバットが一つあればなんとかなる!」
それでも須山は引き下がらない。何が何でも野球をしたいのか、男子連中に話を広める。
諌矢ともう一人の男子は楽しげに聞いているが、女子はあまり興味無さそう。
「へえ、じゃあいいんじゃないの。ま、うちらはやんないけど――ね? 紫穂?」」
西崎はそう言って、とどめの一撃とばかりに野球をやらないという意志表示を叩きつける。
しかも、取り巻きの一人をけしかける周到さ。
「うん。野球はちょっとねぇ……」
大人しそうな黒髪ショートカットの女子は二つ返事で同意。
これで女子一同が須山に同意するのが難しい空気が出来上がった。恐るべき場の支配力。
俺はそれらのやり取りを横で突っ立って聞いていた。
会話内容では蚊帳の外なのに強制参加させられているという一番美味しくない立ち位置だ。ストレスで胃がモヤモヤしてくる。
その癖、俺みたいなのが会話から抜けると途端に注目の的になって『何だアイツ』みたいな目で見られる。これだから空気ポジションは辛いんだ。
「そういや、夏生って野球経験者だよな。前に言ってなかったっけ?」
と、毒針で急所を突くようなタイミングで諌矢が俺に話を振ってきた。
全く予想していなかった展開に俺は呆気にとられた顔で固まる。
「マジか!? 一之瀬って野球経験者なん!? 一緒にやらないか!?」
経験者という諌矢の一言に、須山が声のボリュームを上げる。
それに気づいた西崎が鬱陶しげにこちらを見るので余計に気まずい。会話に入ってくる事への嫌悪感が顔に出ている。
「まあ、やってたけどさ。もうずっと昔だよ?」
「ポジションどこだったの?」
「一応ピッチャー。控えだけど」
動揺を出さないように答えると、須山ともう一人の男子が俄かに湧き立つ。
「ピッチャーいいじゃん!」
「ふーん」
一方の西崎はそれを聞き流す。スマホをいじったまま、こちらには目もくれない。
「一之瀬って外野っぽいけどー」
それだけ呟いたきり。周囲の取り巻きみたいな女子達は流石に苦笑いしている。
え、なに。それは今の俺が外野だって暗に言いたいの? 外野は黙っていろ的な意味で。
「あー! 俺も投げたかったなあ。でも、膝をやられてしまってな」
「うそつけ須山。お前、今も現役でサッカー部じゃねえか」
ふざける須山にバスケ部男子はきついチョップをかます。
やっぱり見ていて怖すぎるよ、この人。背も高いし威圧感がある。須山と並んでいると塔が二本並び立っているみたいで威圧感がすごい。
そんな感じでワイワイやり始める男子勢。一旦、会話の流れが途切れた今なら抜けられる。
「あ、諌矢。そういや購買で買うもんあったんだわ。ちょっといってくる」
「じゃあさ、一之瀬。カフェオレ買ってきてくんない?」
そう思った俺は理由をつけて立ち去ろうとするのだが、何故か西崎に呼び止められた。
マスカラでどれくらい盛られているのか知らんけど、とにかく長い睫毛をぱちくり――こちらを上目で睨んでくる。
蛇に睨まれたカエルみたいに、俺は思考停止。
「ちょ、一之瀬。聞いてるー?」
苛立ちまぎれの引きつった笑いを浮かべながら、よっしょと身を起こす。
懐から取り出したのは可愛らしい財布。しかも意外や意外、キャラクターものである。
というか、そこ俺の机なんだけど。何かもうこの女王様やりたい放題ですね。
「ついでだし、いいっしょ?」
そう言って百円玉を取り出して俺に手を伸ばしてくる。
「お、おう。分かった。カフェオレだな?」
完全にパシリ扱いだった。
でも、小銭出してくれるだけマシかと思って手が伸びてしまうのが俺の悪い癖なのかもしれない。
虐げられ続けた者は抵抗そのものを諦めるというけれど、今の俺はまさにその状況だ。完全に流れに身を任せてしまっている。
「ちょ、西崎。自分で行けばよくね? 最近運動不足とか言ってたじゃん」
そこに差し込まれる曙光を伴ったような言の葉。
諌矢だった。窘めるように西崎に一言申したのは、多分、俺を気遣っての行動だろう。
しかし、それでも――こういう時くらい諌矢の手を借りずに切り抜けたい。
「いや、俺は別に良いよ」
俺は西崎から百円玉を受け取る。ネイルの先が触れ、金色の前髪の隙間からは鋭い眼光。
俺の反応、挙動からクラス内の潜在的ポジションを計っているような、そんな意思を感じる。
ここで弱さを見せられると一気に付け込まれそうなので、俺は精一杯虚勢を張る事にした。
「どのみち何か飲み物は買うしな。何なら奢ったっていい。西崎、カフェオレでいいんだよな?」
単に俺はこの空気に耐えられないから逃げたいんだ。別に飲み物を買いたいが為にこの場を去る訳じゃない。それでも気丈に返す。
ちなみに、普段は一匹狼でも、それなりに他人に配慮出来る赤坂をイメージしてみました。
「え、ああ……マイルドのやつ、グ〇コのじゃなきゃダメだから」
西崎は一瞬面食らったような顔をするが、金髪のサイドに指を通しながら細かいオーダーを返してきた。謎のこだわりっぷり。
刃の上を渡るような俺達のやり取りを、周囲は気まずそうな顔で窺っていた。
でも、ここで変に俺が反発して空気をぶち壊すよりかはマシだと思う。
「じゃあ、いってくんよ」
割と強気な口調で教室を出るが、それでもやっぱり心の中ではビビりまくりだ。
あの場から離れられる事にほっとするなんて情けない。そんな劣等感で一杯だった。