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マイルの国の絶対女王


 ヴィクトリアマイルが近付く4月の下旬。テクノスホエールの主戦騎手である天童は、大手競馬情報サイトの取材を受けていた。


 栗東からほど近い場所にある設営スタジオ。その取材内容は、5月中旬に開催されるヴィクトリアマイルとそれに出走するテクノスホエールについてだった。


 それは、天童にとって少し意外なインタビューだった。

 例年この時期の取材ならば、4月末に控える天皇賞春についてか、もしくは三歳馬のクラシック戦線についての取材であることが多い。


 春競馬の目玉である天皇賞やクラシックの話題を差し置いて、牝馬限定のマイルレースの取材を、わざわざスタジオを借りてまで行うというのは、毎年多くの取材を受ける天童にとってもあまり覚えがないことだった。


 そんな珍しい取材がセッティングされたことからも、いよいよテクノスホエールという馬が、競馬ファンの注目の中心になってきていることを天童は感じた。


 昨年の年末、陣内恋太郎オーナーが宣言した、1年で国内の5つのマイル・スプリントGⅠを全制覇するという目標。そして、それに伴うGⅠ10勝という大記録への挑戦。


 その宣言は競馬ファン達の興奮を大いに煽る結果となり、今やテクノスホエールの動向は、全ての競馬ファンから注目されていると言っても過言ではない。


 テクノスホエールの管理を任されている高橋調教師などは、陣内オーナーの宣言を事前に知らされていなかったこともあり、大いにうろたえて、今では精神的に参ってしまっているという。

 日本中の競馬関係者に注目されるというプレッシャーは、高橋調教師のキャパシティーを大きく上回るものであったらしい。


 そんな風にメンタルを崩す位なら、いっそテクノスホエールを他所の厩舎に転厩させてしまえばいいのにと天童は思う。


 だが残念なことに、高橋厩舎唯一の重賞馬であるテクノスホエールを手放すという選択肢は、高橋調教師の中にはないらしかった。


『名馬テクノスホエールの調教師』という肩書は、高橋にとって許容量を超えるプレッシャーやストレスを抱え込んででも、守りたいもののようである。


 結果、調教師に何の相談もなく馬主の強権で何でも勝手に決めてしまうオーナーと、そんなオーナーを忌々しく思っているのにその馬の管理は手放したくないという調教師の間に、テクノスホエールと天童は立たされている。


 天童は、テクノスホエールの厩舎での様子を取材で答える内、陣内オーナーと高橋調教師の二人に挟まれた時の面倒臭さを思い出し、うんざりとした気分になった。


「次走のヴィクトリアマイルについて、不安に思うことはありますか?」


 そんな天童の心中を知らず、女性記者が質問を投げて来る。


『馬主と調教師の仲が険悪すぎて不安です』とでも答えてやろうかという考えが、天童の頭をよぎったが、天童は心の中で首を横に振った。


「ヴィクトリアマイルに関しては何も心配していません。実力は十二分にある馬ですから、それをしっかり発揮させてやれればと思っています」


 当たり障りのないことを答えながら、天童はテクノスホエールのことを考える。


 マイル・スプリントの国内GⅠを1年で5つ獲る、という陣内オーナーが掲げた無茶なローテーション。しかし、5つの内3つについてはなんら問題にならないと天童は考えていた。


 もし、テクノスホエールがGⅠを獲り逃すことがあるとすれば、おそらくそれはスプリント。高松宮記念かスプリンターズステークスの短距離GⅠの2つだ。


 その2つに関しては距離が短いこともあり、馬場の状態や枠番によっては紛れが起こる可能性を消しきれない。

 しかしその2つの関門の内、高松宮記念についてはすでに突破した。


 残るは9月のスプリンターズステークス。テクノスホエールにとって、今年の山場はそこになるだろうと天童は予想していた。


 逆に言うと残る3つのマイルレースに関し、天童はテクノスホエールの勝利を微塵も疑っていない。


 テクノスホエールは、レースというものを分かっている馬だ。勝ち負けを理解し、ゴールという概念を理解し、レースが何を競うものなのかを知った上で走っている。


 そして信じがたいことに、テクノスホエールは自身の適正、自分自身の能力が最も輝く場所はマイルだということまでも、理解している。


 実際ホエールの逃げは、中距離では必ずしも絶対的なものにならない。鈴を付けられ、ペースを乱されれば、中距離ではゴールまで先頭を守り抜けなくなることをホエールは知っている。

 知っているが故に、テクノスホエールはそこでは戦おうとしない。


 テクノスホエールの騎乗を依頼された時、天童はテクノスホエールが敗れた中距離レースの映像を確認し、すぐに理解した。


 この馬は、自分が1番でいられる場所が1600mまでだと理解して走っていると。

 理解しているからこそ、中距離レースであっても1600mまでは先頭を守り続けるが、そこから先は興味をなくして失速し、他の馬に先頭を譲ってしまう。


 要するに、勝ち負けを理解した上でテクノスホエールという馬は、人間の設定したゴールや距離を無視して走っているのである。


 テクノスホエールは人間が決める勝ち負けには興味がない。人間の決めたレースのルールに従うつもりがない。


 テクノスホエールという馬にとって、レースとは1600mまでのかけっこのことを指す。

 テクノスホエールにとっての勝利とは、1600mの地点まで、つまり、自分が誰にも追いつけない速さで走り続けられる距離まで、先頭で走り続けることを指す。


 天童はそれを、一種の縄張り意識のようなものなのだと解釈している。


 1600mまでが、テクノスホエールの縄張りなのだ。

 テクノスホエールが誰より速く走れるその距離の内において、テクノスホエールは絶対の王者であり、その縄張りを侵すものを許さない。


 故に、中距離やそれ以上の距離をテクノスホエールが最後まで本気で走り抜くことはない。だから彼女は中距離レースで勝ったことがない。


 そして、自身の縄張りであるマイルのレースにおいて、彼女は負けたことがない。


 自分の縄張りの中で負けることを、優劣を付けられ自分を下に置かれることを、テクノスホエールは許さない。


 誰も寄せ付けぬその走りは、マイルの世界においてまさしく王者の走りとなる。誰一人彼女に逆らえぬ、マイルの国の絶対女王。それがテクノスホエールという馬の正体だ。


 勝てる馬などいるはずがない。天童はそう思う。マイルの戦場でなら、彼女は父馬をも上回る怪物であるが故に。


「きっと、テクノスホエールは皆さんの期待に応える走りを見せてくれると思います」


 インタビューに答える天童の声には、テクノスホエールを取り巻く人間のいざこざを知ってなお、絶対の自信がにじみ出ていた。



次話は明日12時投稿予定です。



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