勝者のインタビューと怪我の記事と厩務員
記者:陣内オーナー、まずはテクノスホエール号によるマイルCS連覇の快挙、そしてテクノスホエール号のGⅠ5勝目、おめでとうございます。
陣内:ありがとうございます。
記者:レースの感想をお聞かせください。
陣内:馬の実力を見ても、仕上がりを見ても、十分に勝ちを狙えるレースだと思っていました。期待通りの走りを見せてくれたホエールと、連覇のプレッシャーにも負けず素晴らしい騎乗をした天童騎手に感謝しています。
記者:レースでは、惜しくも2着に敗れたバインバインボイン号が故障するというアクシデントもありました。何か一言。
陣内:そうですね。あの馬は今年の競馬を盛り上げてくれた功労馬ですから、元気に走る姿をまた皆さんに見せてくれればと思います。
記者:ありがとうございます。テクノスホエール号の次走は海外でしょうか?
陣内:いえ、今年はこのまま放牧に出して春まで休ませる予定です。すでに海外のGⅠは2つも獲らせていただいていますし、今後海外のレースに彼女を出すのは控えようかと。
記者:それは、テクノスホエール号の出走レースを国内に絞るということですか?
陣内:ええ、そのつもりです。少なくとも、来年テクノスホエールを海外のレースでは使いません。代わりに、国内全てのGⅠに挑戦して貰おうと考えています。
記者:す、全てのGⅠに挑戦、というと?
陣内:国内のマイル・スプリント古馬GⅠ全てです。つまり、高松宮記念、ヴィクトリアマイル、安田記念、スプリンターズステークス、そしてマイルチャンピオンシップ。5つのGⅠ全てに挑戦し、全てで勝利を目指します。
陣内:前人未到となるGⅠ10勝の達成。それが、来年のテクノスホエールの大目標です。
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【バインバインボイン右前第1指骨骨折 2着に終わったマイルCSゴール後に倒れる】
11月××日京都競馬場で行われた第〇〇回マイルCSに出走し、2着に敗れたバインバインボイン(牝3歳 郷田厩舎)が、ゴール直後に昏倒した。
検査の結果、右前第1指骨の骨折が明らかになった。全治には3~4ヶ月掛かる見込み。
管理する郷田調教師は、『骨折としては軽度の部類であり、脚の中で飛び散った骨片の除去も完了している。ゴール後の昏倒は、骨折ではなく突発性の心房細動(不整脈)を発症したことが原因。心房細動についても後遺症は見られず、今後のレースへの影響はほぼないと見ている』とし、今回の件が骨折と心房細動が同時に起きるという極めて珍しい事例であったと説明した。
バインバインボインの今後については、『骨折した脚に痛みがあるようで、歩く時に跛行が見られる。しばらく厩舎で経過を観察した後、放牧休養に出す予定。故障中の馬に無理をさせないのは大前提だが、来年4月中のレース復帰を目指したい』とコメントしている。
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マイルCSでバインが倒れてから2日が過ぎた火曜日。
郷田が事務処理をしていると、扉を開け一人の厩務員が入って来た。
バインの担当厩務員の小野だった。小野は、青い顔をしたまま郷田を見ると、口を開いた。
「郷田先生。バインの奴、今日も餌を食べません」
「……そうか」
郷田が予想していた通りの言葉を小野は言い、やはりなと郷田は呟いた。
「水はどうだ。少しは飲んだか」
郷田の確認に、小野が首を横に振る。
「全く減っていませんでした。多分、今日はまだ一口も飲んでないんだと思います」
そうか、と、また郷田は呟いた。
マイルCSゴール後に心房細動を起こして倒れ、その後検査で骨折が発覚したバインだったが、骨折の症状自体は軽いものだった。
医者の診断では全治3、4ヶ月。順調にいけば、来年の4月半ばにもレース復帰可能な程度の怪我だ。
レース直後の派手な昏倒を見た関係者は、予後不良という最悪の事態を思い浮かべずにはいられなかったが、幸運にもバインの怪我は大事に至らずに済んだ。
関係者一同、誰もが胸を撫でおろしたところである。
しかし、事態が大事にならずに済んだとはいえ、それに責任を感じる者はいた。
それが、バインの担当厩務員である小野だった。
小野は、秋華賞での敗戦後に始まったバインの奇行を自分が止められなかったことが、今回の怪我の原因になったのではないかと自身を責めた。
秋華賞の後から、バインは馬房の壁を蹴ったり、癇癪を起したようにジタバタと床を転がって暴れるような奇行を、何度も繰り返すようになったからである。
それを止めさせる為、障害物になるようバインの馬房に畳を吊るしたのは小野のアイディアだ。
しかし、結局それでもバインの癇癪は収まらず、吊るした畳はバインに噛まれたり蹴られたりと、サンドバッグ代わりの玩具にされてしまっていた。
そして、そういった床を転がる動作や、壁や畳を蹴った衝撃、それらがバインの脚に負荷を掛け、今回の骨折に繋がってしまったのではないかと、小野はそう考えたのである。
郷田は、小野のその考えを一理あると認めながらも、あまり思い悩むなと励ました。
そもそも、郷田はバインの奇行を小野ほど重大に見ていなかったし、畳についても、それでバインのストレスが発散されるならいいだろうと、あえて吊るしたままにしておいた。
小野に責任があるなら郷田にも責任はあり、それは郷田厩舎全体の責任でもある。
厩務員一人が背負い込むものではないと郷田は小野に話した。しかし残念ながら、郷田の言葉ではバインの怪我に責任を感じて落ち込む小野の気持ちを晴らすことは出来なかった。
そして、昨日、今日と2日に渡りバインが一切水も食事も摂ろうとしなくなってしまったことで、小野はバインを心配するあまり、一層落ち込んでしまっているのである。
「あまり気にし過ぎるな。NHKマイルの後だってバインは食欲を失くしただろう。しばらくすれば、また元気に飼い葉を食べ始めるさ」
気にし過ぎるな。ここ2日で何度も小野に対して掛けている言葉を、郷田はまた繰り返した。
「……はい。でも、」
小野は一度言い淀んでから、言いづらそうに再度口を開いた。
「NHKマイルの時と今回とでは、バインの様子が違う気がするんです。前の時は本当にただ、飯も食えない位疲れているって感じでした。でも今回は食欲だけじゃなく、あいつの気力までなくなってしまっている気がして」
小野の言う通り、確かに昨日からのバインには覇気がなかった。
同じ敗戦であっても、秋華賞で負けた時は、むしろ荒ぶって血気盛んなくらいだった。しかし今回はその真逆で、暴れもせずにぐったりとした様子を見せている。
「バインの奴、昨日も今日も全然起き上がろうとしないんですよ。普通馬って、人が近付いたら警戒して立ち上がるものなのに。俺が馬房に入っても、寝転がったまま立とうともしないんです。立てないほど骨折が悪化したのかと心配したんですけど、それも違くて。ただ無気力に寝転がっているだけなんです。だから俺、怖くて」
「怖い?」
聞くと、小野は深刻な表情で頷いた。
「ああやって寝転がったままあいつ、死んじゃうんじゃないかなって。寝そべったまま何にも食べずに弱って、そのまま死んじゃうんじゃないかって、俺、それが怖いんです」
せめて水だけでも飲んでくれれば安心できるのにと、小野は力なく呟いた。
言わずもがなだが、競走馬にとって食事と水、そして体重は重要である。
数百キロの巨体の上に人間を乗せ、時速70キロ以上で走る競馬のレース。自動車なら化石燃料を燃やして生み出すそのエネルギーを、馬は自分の体を燃やすことで捻出する。
食事で蓄えたエネルギーを燃やし、脂肪を燃やし、筋肉を燃やし、そうやって馬の走るエネルギーは作られる。
サラブレットは自らの肉体を燃やしながら走り、文字通りにその身を削りながら、競馬場のコースを走り切るのである。
必然として、レース後に馬は痩せる。そして、次のレースまでに馬は再び体にエネルギーを溜め込み、体重を戻す。燃やし終えた筋肉の上に新しい筋肉を重ね、次のレースの為の燃料を蓄える。
それが出来なくなった馬は、引退の道を辿る。齢を取り、新陳代謝が衰え、筋肉が付きにくくなると、レースで燃やした分の筋肉が補充出来なくなる。
レースをする度に筋肉は削げ落ち、たくましさと共に速さを失い、どんどん痩せて、ガレて、勝てなくなり、走れなくなる。
故にレース後の食事は特に重要で、レース後にバケツ一杯の水を飲めるかどうかだけでも、馬の疲労の回復度は劇的に変化する。
にも関わらずバインは、レースを終えてからもう2日が経つのに、水をほとんど飲んでおらず、食事については全く摂っていない。
小野の心配はやや大げさではあるものの、競走馬を管理する者として当然のものであると言えた。
「どうすれば、バインに水や餌を食べて貰えるでしょうか」
郷田に対する質問というよりも、困り果てての独り言のように小野は言った。
「それは俺じゃなくバインに聞くんだな。お前はバインに、ちゃんと水を飲んでくれ、餌を食べてくれってお願いはしたのか?」
「え?」
郷田の言葉に、小野が驚いたように顔を上げた。
ようやくこっちを向いたなと思いつつ、郷田は言葉を続けた。
「前から思っていたんだがな、小野。お前は馬への話し掛けが足りない。バインに水を飲んで欲しいなら、まずはバインに『水を飲んで下さい』と声に出して頼んでみろ。話はまずそこからだ」
郷田の言葉に、小野はキョトンとした表情を見せた。
「水を飲んでくれって俺が頼めば、それで馬が言うことを聞いてくれるんですか?」
「聞く訳ないだろ。馬が人間の言葉なんて分かるはずないんだから」
郷田が答えると、からわれているとでも思ったのか、小野は不満げな表情を見せた。
その態度に、郷田は小さく溜息を吐く。
「いいか、馬に人間の言葉が通じるかどうかは関係ないんだよ。大事なのはお前や俺が人間だってことだ。なあ、小野。人間は、自分の考えや要求を相手に伝える時に何をする?」
「え?」
「例えば俺にこのコーヒーを取って貰いたい時、お前はどうする?」
手元にあったコーヒーを手に取りながら、郷田は尋ねた。
「そりゃ、『そこのコーヒーを取って下さい』って頼みますよ」
「そうだろう。そうやって声を使って頼む。人間とはそういう動物だ。人間は、言葉で自分の意思を伝える生き物だ」
言って、郷田はコーヒーを元の位置に戻した。
「馬だって、馬なりのやり方で自分の意思を俺達に伝えて来る。耳や尻尾を揺らしたり、顔をこすりつけて来たり、噛みついてきたり。その行為の意味を相手が分かっているかは関係ない。それでも馬は、相手が人でも馬でも、馬なりのやり方で自分の意思を伝えて来る。だから俺達人間だって、それと同じでいいんだよ。人間は人間なりのやり方で、つまり声と言葉で、馬に自分の考えを伝えてやればいい」
「いや、でも、伝わらないんですよね。馬が人の言葉なんて分かるはずないんですから」
「『どうせあいつには理解できないだろうから、何にも話す必要はない』だなんて、あまりにも相手を馬鹿にした、不誠実な態度だと思わないか?」
言うと、小野は困ったように眉を寄せた。
「伝わらないなら、伝わるまで何度でも話し掛ければいいんだよ。10回話しかけて駄目なら100回話す。100回でも駄目なら200回話す。1000回、2000回、何度も何度も話し掛けてみる」
「……でも、そんなに何度も水を飲めっていったら、伝わったとしてもバインの場合、意地になって逆に水を飲まなくなってしまう気がします」
確かにバインならそうなるかもしれないなと、小野の言葉に思わず郷田は笑った。
「なら、それ以外の話もすればいい。話す内容なんて何でもいいんだ。仕事の愚痴でも、他の馬の話でも、天気や昨日食べた夕飯のことでもいい。『水を飲んでくれ』『安静にしてくれ』『元気になってくれ』。そう心に浮かべながら話し掛け続ける」
郷田がそこまで話すと、ようやく小野は考えるような素振りを見せた。
「そうやって話しかけ続ければ、いつかは馬が人の言うことを聞いてくれるようになるって、郷田先生はそう信じているんですか?」
そうじゃないと、郷田は首を横に振った。
「言うことを聞いてくれるようになるんじゃない。馬が、こっちの気持ちを汲んでくれる瞬間が来る」
「汲む?」
郷田は小野の目を真っすぐ見ながら、力強く頷いた。
「人間の気持ちをな、馬が汲んでくれるんだ。その為に毎日話し掛けて、大事に大事に世話してやる。『丈夫に育ってくれ』『やる気を出してくれ』『頼むレースで勝ってくれ』。すると、何百何千と話し掛ける中で、たった一度あるかないかだが、馬がこっちの気持ちを汲んでくれる時がある」
「何千回も話しかけて、一度だけですか?」
「そうだよ。その為に俺達は馬の世話をしているんだ。たった一度でいいんだよ。たった一度、その馬に気持ちを汲んで貰えるならば、その為に何千回でも何万回でも馬に尽くす。それが俺やお前の仕事なんだ」
だからもっとバインに話し掛けろと、郷田は小野に強く言った。
「一度でも馬に応えて貰えるならば、俺達人間は、馬の奴隷でいいんだよ」
作中でしゃべる馬があまり登場しない理由の一つは、例え言葉が分かっても『しゃべる』というコミュニケーション手段を馬は基本使わないからだったりします。賢い馬ほど面倒くさがってしゃべりません。
本日久しぶりに2話投稿。続きは今日の夜8時投稿です。
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