残された男達とグールの娘
「私はね、ニーアアドラブルのような馬が欲しくて馬主をやっているんです」
テクノスグールを撫で続けながら、そのオーナーである陣内恋太郎はおもむろに語り出した。
「正確には、このテクノスグールのような馬ともう一度で出会いたくてね。ただその一心で、私は今日まで馬主を続けて来た。なのに酷い話ですよ。ようやく見つけたグールの生き写しは、私のものではなく、グールとは何の関係もない部外者の持ち物になっていたんですから」
言って、陣内はどこか責めるよう視線でテクノスグールを流し見た。
見られたテクノスグールは、どこか得意げに『ブフン』と鼻を鳴らす。それはまるで、悪戯の成功を自慢する子供のような仕草だった。
それを見た陣内が、困ったように小さく溜息を吐く。
「私の持ち馬に、テクノスリングという3歳馬がいます。私が今まで買った馬の中で一番値が張った、超良血の馬です。無理してその子を買ったが為に、あの年私の財布には他の馬を買うだけの余裕がなくなってしまった。そしてそんな年に、ニーアアドラブルは売りに出された。顔に傷があるなんていう下らない理由で、あれほどの馬が破格の安値で売り払われた」
そして、高額だったテクノスリングは未だ重賞未勝利、夏の放牧中に怪我をして現在療養中。
高価な馬が勝つとは限らないのが競馬の面白さだが、それにしたってあまりにも悔しいと、陣内はその話をまとめた。
「天童さんだって、私と同じ気持ちでしょう? 秋華賞はグールと同じ走りをするあの馬に挑戦するチャンスだったのに、天童さんはご自身の馬を守るのに手一杯で、勝負することすら出来なかった訳ですから」
秋華賞のレースに対し自分が抱えていた様々な感情。その中核を的確に言い当てられ、天童は思わず癖である舌打ちをしそうになった。
「さあ、どうでしょうね。俺は騎手として、自分が勝つ為に必要なことをしただけですから」
ぐっと自分の舌の動きを抑えながら、天童が答える。
秋華賞のゴール争いに天童が加わらなかったのは『仕方のない』ことだ。
秋華賞はノバサバイバーのレースではなかった。そして、ノバサバイバーは強敵との戦いを避けてこそ、真価を発揮する馬だと天童は認識している。
ノバサバイバーも実力『だけ』なら一流クラスと言っていいが、残念なことに因縁の相手との決戦で頼りにしていいタイプの馬ではない。
そしてそんな頼りにならない馬が、天童が今年乗る中距離馬の中で一番の実力馬であることが、天童がニーアアドラブルに真っ向勝負を挑むのが難しいと感じる原因だった。
「どうにも、巡り合わせが悪い気がしますね。私と天童さんは、あのニーアアドラブルという馬と中々縁を持てないでいる。おかしな力が働いて、私たちが望む形ではニーアアドラブルと関われない様に、そう誰かに仕組まれているようにさえ感じます」
頼れるお手馬がいない時に、天童の前に現れたニーアアドラブル。
普段買わないほど高額な馬を買い、陣内がもうこれ以上馬は買えないという年に、売りに出されたニーアアドラブル。
テクノスグールのような馬にもう一度真っ向勝負を挑みたいと願う天童にとって、テクノスグールのような馬をもう一度買いたかった陣内にとって、ニーアアドラブルの登場は、図ったように最悪のタイミングだったと言っていい。
「残念で悔しい話ですが、ニーアアドラブルの運命の相手は私たちではないということなのでしょうね。グールの関係者であの馬の一番近くにいるのは、多分郷田さんだ」
言って、陣内はテクノスグールを撫でるのを止め、その顔を見上げた。
天童も釣られ、テクノスグールの顔を見る。
「ニーアアドラブルという馬は、グールが郷田さんに送ったプレゼントなのかもしれません。『俺の娘位超えて見せろ』というような。あるいは、ようやく生まれた特別な娘を、私達から守るために、私達は遠ざけられているのかもしれない。私たちはグールに思い入れが強すぎて、その生き写しが近くにいてはきっと冷静でいられないでしょうから」
陣内の話しぶりは、どこか現実離れしていた。
まるで、テクノスグールが未来を見通し、人と馬との関わりを操って、世界を自分の意のままに動かしているような、そんな力をテクノスグールが持っているかのような言い方だった。
だが、テクノスグールにはそんな超常めいた力があるのではないかと、そう感じてしまった瞬間を、天童自身がこれまで何度も経験したことがあった。
もちろんそれらがただの偶然で、テクノスグールに感じる神秘性のほとんどは自身の妄想に過ぎないと天童は思っている。
しかし、この陣内恋太郎という風変わりな馬主は、あるいはテクノスグールという馬がそういう神通力めいたものを持っていると、本気で信仰しているのかもしれないと天童は思った。
天童は、改めてテクノスグールを見る。人間と馬と、その他全ての生物を含め、最も自分と因縁深い相手であるテクノスグールを見る。
テクノスグールの目には、やはり不遜が宿っていた。目の前の天童と陣内のやり取りを、面白がるような色がその目にはあった。
ニーアアドラブルという待望の馬が生まれた。しかし、その馬を手に入れることも、挑むことも出来そうもない男たち。
10年以上待ち続けた絶好の機会を棒に振った二人の男を、元凶とも言える一頭の馬が、ご機嫌に尻尾を振りながら睥睨している。
舐めるなと、勝負の世界から去った者が偉そうにするなと、天童は思わずかっとなってテクノスグールを睨み返した。
そして陣内に挨拶し、テクノスグールに背を向け天童は歩き出す。
いつもそうだった。ここへテクノスグールに会いに来るたびに、天童は怒りを胸に燃やしてここを去ることになる。
テクノスグールは引退した馬だ。どれだけその馬に負けた事実が自分にとって重くとも、それを背負ったまま天童は走り続けるしかない。
自分の居場所はレース場なのだと天童は知っている。
引退した馬も、勝負の熱を失った郷田も、レース場にはもういない。
だがそれも関係ない。この熱が消えるまで、この身体が馬に乗れなくなるまで、天童善児は走り続ける。
誰と戦うことになっても、望んだ相手と望んだ戦いが出来なくとも、レース場という世界で一番熱いあの場所で、天童は戦い続ける。その熱でその身を焼き続ける。
そう生きると決めていた。そう生きる以外の道に価値を見出せなくなった。あの馬と出会ったから。テクノスグールに負けたから、天童善児にはそれ以外の生き方が必要なくなった。
「グールの娘をお願いしますよ」
後ろから陣内に声を掛けられ、振り返る。
「グールの娘は、ニーアアドラブルだけではありませんから。来年の競馬はきっと、今年よりずっと面白くなる」
陣内が言う『グールの娘』がどの馬のことなのかは、すぐに思い立った。
天童のお手馬の中に、ニーアアドラブルに匹敵する中距離馬はいない。
しかし、中距離でないなら比肩する馬はいる。『短距離・マイル』の戦場でなら、ニーアアドラブルすら圧倒しうる最強の牝馬が、天童のお手馬の中にいる。
「来年の中距離GⅠは、ニーアアドラブルが華々しく活躍するでしょう。ならば、短距離とマイルのGⅠは天童さんが乗る私の馬で席巻しましょう。グールの娘2頭で、短距離・マイル・中距離のGⅠタイトルを総なめにするんです。そういうものを、私は見たい」
気づけば、陣内は天童の近くまで歩み寄ってきていた。
「つまらないんですよ、最近の競馬は。ならせめて、私たちにだってその位の楽しみがないと、ね?」
なんでもない、天気の話でもするように陣内が言う。
その言葉を受けて、天童は一頭の牝馬を思い浮かべていた。
中距離とマイル。これからその2種類の距離をまたに掛けて走りそうな馬が、一頭いた。
最強の中距離女王と、最強のマイル女王。その二つに真っ向から喧嘩を売りそうな、おかしな馬名を持つ牝馬に、一頭心当たりがあった。
「陣内オーナーは、バインバインボインという馬のことをどう思っていますか?」
気になって、天童は頭に浮かんだ質問をそのまま口にした。
文脈を無視した天童の質問に、陣内は不思議そうな顔をしたが、すぐに返答が返ってくる。
「バインバインボイン、ですか? そうですね。最近の競馬を盛り上げてくれている、立派な馬だと思っていますよ」
「強いと思いますか?」
天童が質問を重ねる。日本一の馬目利きと呼ばれるこの人物が、あの馬のことをどう評価しているのか、単純に気になった。
「いいえ、それが全く。あれもあれで不思議な馬です。あんな馬がどうして勝てるのか、私にはさっぱり分からないほどです」
天童の質問に、陣内は困ったように微笑んだのだった。
続きは明日12時投稿予定です。
24.1.3 14:40 サブタイトルを変更しました。
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